2021年10月4日月曜日

全ての成行きは常に一点を指している、心磨きと言う一点を (2021-10-04)

 今日も和賀心学 (2021-10-04)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


磁石はどこに行っても常に一点、北を指し示している。私どもの人生も実は常にある一点を指し示している。それは自らの心を磨くこと。私どもが人生の大目的を自らの魂を磨き清める事に焦点を定めないならば真の助かりは難しい。全ての成行きは常に一点を指している、心磨きと言う一点を。それが神の願い。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 271頁)


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合掌

中原博信

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御理解第26




信心に連れはいらぬ ひとり信心せよ

信心に連れがいれば 死ぬるにも連れがいろうが




みな 逃げておるぞ

日に日に生きるが信心なり




生命の欲求 と頂きました

いのちが求めるやむにやまれぬもの という事でしょう




信心は私の生命です

といえるまで信心を高めたい




教祖さまが極められた御教え

日に日に生きるが信心なり




という本当の意義が

だんだんわかってまいります




信心とは何か

と言う事がはっきりしませんと




日に日に生きるが信心なり

と言う事の意味合いが分からないと思います




繋がって来ないと言う事ですね

合点がいかないと言うのでしょうかね




信心とは 神様を信じて 神様からおかげを頂く

と言う事でもありましょうけれども




本当の意味においての信心と言うのは

やはりその神様のおかげを頂く




そう言う事を通して 私どもの心を磨いて行く

育てて行くと言う事だと思いますね




人間が真実助かる その助かる為には 私どもがやはり

焦点が然るべき所に定まらない限りは助からないとも言えますね




そのやはり人生には方向が有ります

今朝頂きますのは 例えて言えば磁石ですね




その山に行くとか どこに行くとか 車でどこかに行くとか

そう言う時でも必ず磁石は北を指します




磁石は北を指すものだと言う事ですね

言わばどこに行ってもその一点 北を指し示している




それと同じ様に 私どもの身の上に起こって来る

人生において様々な事柄が起こって来る




これらは全てが

そのある一点を実は指しているのだと




私どもは その磁石が北を指す 北を指している

と言う事を知って居りますから 全てがそこから始まります




どこに居ても北を指している

こちらの方角が北になると言う事が分かります




磁石を持っておればですね




ですから信心なければ

これもやはり一切のものが 私どもの身の上に起こって来る事柄が




こちらの方向を指し示していると言うその事が

信心なければ分からないと言う事になりますね




信心をすると言う事は

その磁石を持っておる様なものかもしれませんね 例えて言えばですね




ではどこを指し示しているのか それはもう一点ですね

心を磨くと言う事です




私どもの心を 自らの心を磨くと言う

そこ一点を指し示しているのだと言う事




ですから私どもが 一切の神様が引き起こされる出来事が

その心を磨くと言うこと一点を指しているのですから




私どもも やはりそこに焦点を定めなければ意味が無い

と言う事になりますね 助からないと言う事にもなります




その同じ方向をやっぱり向かなければならない




神様が 例えば北へ行けと仰って居られるのに

南へ行こうとしたり 東や西へ行こうとするから




難儀な目に遭うと言うのか

おかしな事になって来る訳ですね




神様が北を指し示して居られるのならば

その神様が指し示された方向に向かって進むならば




そこに助かりの世界がある

と言う事になりますね




その助かりの世界 神様が指し示して居られる その世界

それはやはり私どもの心を育てる 磨く




色々な表現は有りましょうけれども

私どもの心を磨いて行くと言うそこ一点に定まっていると言う事です




ですから私どもも 人生の目的と言うものを

自らの心を磨くと言う事に そこ一点に定めない限りは




右往左往してしまい 中々助かりの世界に

助かりの世界から遠のいてしまうと言う事にもなりかねませんね




ですから真実の助かりを頂きたい

と願うならば




私どもの人生の目的が

自らの魂を磨く事 清める事に焦点を定める事ですね




定めないから 定まらないから

起こって来る事柄を難儀と感じてしまう訳ですね




実際そこに難儀と言うものが

有る訳ではない訳ですからね




私どもが難儀を感じる

自分の意に沿わないから難儀と感じる訳ですから




その自分の意に沿わない事 その自分の意を

その方向に変えてしまえば意に沿うことになりますからね




神様が北を指し示して居られるのに 東や西に行こうとするから

あぁこれは難儀だなぁと感じる訳ですから




難儀が有る訳ではない

難儀を感じる 難儀と感じる私があると言うだけですからね




神様が導こうとされる方向と同じ方向に私どもが歩き出せば

それはもう難儀ではありませんね




それこそ神愛の世界

と言う事になるのでしょうね




ですから先ずは私どもが それこそ心を磨く

それを別の言葉で言えば




生神の性 その生神の芽を芽吹かせる

生神を育てると言う事でもありましょうし




様々な色々な表現が有ると思いますが

結局のところ




自らの心を磨くと言う事 清まると言う事

或いは改まる 育てると言うことになりますね




ではどう言う心を育てるのか

どこに焦点を定めるのか




それが 天地日月の心になること肝要なり と言われる

天の心 地の心 日月の心を身に着ける そこに焦点を定める




また定まった時に初めて

助かり世界の入り口に立ったと言う事ではないでしょうかね




磁石が北一点を指し示している様に




神様の一切の働きは 私どもの心を 魂を磨く事の為

そこ一点に定まっているのだと言う事




ですから私どもの心自体が またそこに焦点を一点に定めない限りは

身の周りに起こって来る事柄が難儀に思えてしまう




難儀は難儀ではない

難儀と感じる私どもの心があるからだと




それは私どもの人生の焦点が




神様が願われる 指し示される所と違う所を

目指しているからではないかと言う事ですね




自らの心を磨き 清める 育てる とそこに定まったならば

そこには助かりの世界があると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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