2021年10月10日日曜日

神様と情が通い合い相思相愛の中になる (2021-10-10)

 今日も和賀心学 (2021-10-10)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、神様に惚れると頂く。神様と情が通い合い相思相愛の中になることだと。これは、信じ信じられる間柄のもう一つ向こうにあるように思う。師匠大坪総一郎師と天地金乃神様との間柄はやはり「矢切りの渡し」的な間柄だと思う。そこに初めてこの方と一緒なら例え地獄の果てへでもと言う一心も出る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 124頁)


ビデオ: https://youtu.be/4qHrsZfgDnE

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合掌

中原博信

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御神訓




心配する心で信心をせよ




願いが大きくなると

小さな心配はなくなる




願いが大きくなる どういう大きな願いを育てているか

やはり願いが育って行かねばなりませんねぇ




先ずは私どもの それこそ我情我欲を満たす

私利私欲を満たすと言う事の願い




まぁ先ずはこれが入り口だと思いますが そこから更に

私どものいわゆる我情我欲による願いが成就する事を願う信心




その段階では不安心配が一杯ですね

それから更に私どもの心が育ち




それこそ神様の願いが成就する事を願う信心へと

私どもの願いが育って行かねばならない




私どもの心が育つ 心が育たなければやはり願いが育ちませんね

しかしその神願成就を願うと言う願いも




その願いが 私の願いが成就する事よりも

神様の願いが成就する事を願った方がより幸せになる




言わばよりおかげが受けられると言う

いわゆる下心が有っての御神願御成就を願うと言う時代も有りますね




それはそれで良いと思うのですけれど

人間の算盤より神様の算盤の方が大きい




だから私が目先の事を願うよりも

神様の願いが成就する事に身を任せる




その事を願った方が 私がより一層幸せになる道へ出る

と言うそこを信じての御神願御成就を願うと言う世界ですね




しかしこれはどこまでも

やはり 私サイドから抜け出て居りませんねぇ




もう一歩先に踏み込んで

もういわゆる無条件に神様の願いが成就する事を願う




と言う世界が有る様ですね

今朝はその事を頂きました




私が幸せになる 或いは世界の人が幸せになる

それは神様の願いが成就する事を願う




何故ならば 神様の願いは 人が助かる事

人を助けようとする神様だから御神願御成就を願う




それは即ち 神様の人を助けようとされるその願いと一つに成る

と言う事になりますかね




しかしこれでは

やはり人間側サイドで




自分にとって都合の良い事になるから

御神願御成就を願って居る と言う世界から抜け出ていませんね




もう一つ先の世界

それは神様に惚れた世界だと




師匠が

行く先は地獄の果てかは知らねども 付いて来なされこの提灯に




と仰いますね そのなる程行く先は幸福の世界か 或いは地獄の果てか

それは分からないけれども そんなのはもうどうでもよいのです




ただただあなたに付いて行きますと言う 惚れた世界ですね

それは神様と情が通うた世界とも言えるのでしょうかね




師匠が 或る修行生の出し物に

一心を立てれば それこそ奇跡的な事も出来ますと




親先生に喜んでもらいたいと言うその一心が

不可能を可能にする と言う事もある訳ですけれども




では 親先生に喜んでもらいたいと言う一心は

どこから出るのか




御神徳と言われる事を言われます

神様と氏子とが信じ 信じられる仲に成る事だと




神様から信じられる 神様を信じる 信じ貫く

その世界 それでも御神徳の世界と言われますけれども




その世界で果たして神様に喜んでもらいたいと言う一心が出るだろうか

未だ出ないと思いますね




信じると言う世界 信じられると言う世界 からは

未だその一心は出て来ない様に思いますね




師匠と情が通う 師匠に惚れる




それこそ愛される 愛し愛される中になって初めて

命までもと惚れる事が出来るのではないでしょうかねぇ




一心が出るとすれば




その命をも捨てても構わない この人の為ならばと言うそれは

信じると言う世界では未だ出て来ない様に思いますね




信じると言う世界からもう一つ向こうの

言わばやはり惚れると言うのか 愛すると言うのか




そういう情が通い合うと言うのか そういう世界に入って初めて

この人の為ならばと言う一心が出るのではないでしょうかね




師匠の事を信じて居りますと言う世界では

師匠が喜ぶ為にと言う一心は未だ出て来ませんね




その信じると言うのも 信じれば

この人は私には危害を加える事はない




私の為に何かをして下さると言う

そこを信じているのでしょうから




もう一歩 例えこの人が私に危害を加えるかもしれない

それこそこの人に付いて行けば地獄に落ちるのかもしれない




それでも付いて行きます と言う師匠が

神様がそれこそ師匠に対して




どうしてそう言うおかげを受けられる様になったか

それは矢切の渡しだと




歌がありますねぇ

矢切の渡しでしたか




そこですねぇ 付いて行きますと

それこそどこへ行くのか分からないけれども あなたに付いて行きます




これはもう信じると言う世界の

もう一歩向こうの世界ですね




信じるとか信じないとかを超えた世界

惚れた世界と言うのでしょうかねぇ




愛し愛される世界と言うのでしょうかね




その惚れて初めて この人の為ならば命をも投げ出しますと

言わば一心が出るのではないでしょうかね




ですから神様に一心とは やはり神様に惚れ抜かなければ

その一心は出て来ない事になりますね




また信心の とは愈々その心配が無い

信じていると言うだけでは心が揺らぐ事が有ります




惚れて初めて 心配が無い 心配が無いと言うよりも

この人に付いて行けば それこそ行き先は地獄の果てかもしれない




それでも付いて行きますと言う

そこにはもう心配は有りませんねぇ




惚れ抜くと言う事ではないでしょうかね

神様に惚れると言う事 神様に惚れ抜くと言う事




その情の通い合いがなければなりませんねぇ




これはもう御神願御成就を願うと言う世界の

もう一つ向こうの世界ではなかろう思いますね




師匠と神様の間柄はそう言う間柄であった様に思いますね

やはり矢切の渡しですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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