今日も和賀心学 (2021-10-16)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、人間世界での価値観と神様の世界での価値観が明らかに違う事を教えて頂いた様な気がする。例えて言えば子供がママごと遊びをしていて木の葉をお金の代わりに使うとしよう。その木の葉のお金が大人の世界では全く通用しないのと同じだと。神様の世界で通用するものそれは和賀心であり、真心だと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 368頁)
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合掌
中原博信
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御理解第58節
人が盗人じゃと言うても 乞食じゃと言うても
腹を立ててはならぬ 盗人をしておらねばよし
乞食じゃと言うても もらいに行かねば乞食ではなし
神がよく見ておる しっかり信心の帯をせよ
一把の割木がある ゆるんでいる
数本加えたらシッカリと締まった
シッカリ信心の帯をせよ とは
その内容を加えて行くことである
木とは気
即ち心のこと
木とは心の事と師匠が教えて下さいます
心ですね
今朝は 人間の世界での価値観と
神様の世界での価値観は違うのだと
それこそ全く違うのだと
言う様な事を教えて頂いた様に思います
それは そうですねぇ例えて言えば
子供の頃 ママごと遊びですか を致しますか
そしてそのママごと遊びの中でも
やはりお金と言うものが登場しますかねぇ
子供ながらにお金が登場する
そしてその世界 ママごとの世界では
まぁそこら辺の何か 木の葉か何かを持って来てと言うのか
ちぎって来てと言うのか そう言うものを集めてお金代わりにする
と言うのか お金として使う訳ですね
ママごとの世界ではその木の葉を持って来て それをお金として使う
それが値打ちが有る その世界ではですね
そう言う様なものだと
そのママごとの世界で値打ちの有る 通用するその木の葉のお金
それが言わば普通の大人の世界と言うのでしょうか
人間世界で通用するかと言うと
通用しませんね
また今私どもが価値有るものとしているお金
例えば 1億円なら 1億円と言う現金が ここに有るとしましょうか
それがタイムスリップして過去に遡った
そこにその現金の 1億円を持って行って
それで何か買おうとして買えるかどうか
その世界では全く値打ちが有りませんね
また未来に行っても同じだと思いますね
昔私の子供の頃は 小学生の頃ですかね
1千万貯めたら後は利息で食べて行ける
1千万円あったら働かずに一生暮らす事が出来る
と言う様な事が本気で思われていた時代でしたね
それが今はどうでしょうか
とても 1千万円で一生働かずに暮らせると言う事は有りませんねぇ
今ならそれこそ 1億円 10億円なければ
働かずに一生暮らせると言う事はないのかもしれません
それでも足りないのかもしれませんね
お金の価値と言うものがその時 時代時代によって変わって来る
これは人間社会であってもそうである訳ですね
勿論 あの世には持って行けない
と言う事は私ども重々承知して居ります
それでもやっぱりこの世に居る間に
お金をなるべく欲しいと思います
これは生身の有る 今人間と言うその社会 世界に生きて居る者として
仕方が無いと言えば仕方が無いのかもしれません
しかしこれが それは人間社会の
人間世界の中だけの事であり
例えば信心の世界と言うのか 神様の世界
神様の世界の住人にならんと欲する時
神様と共に生きると言う 神様の世界に生きようとする時には
全く役に立たないもの 値打ちが無いものだと言う事なのですね
子供がその木の葉をお金として珍重がると言うのでしょうか
であったとしても 大人の目から見れば たわいも無い事
全く値打ちが無いもの である様に
神様の目からご覧になれば 神様の世界から見れば
人間の価値有るものとしているものが
全く値打ちの無い無価値であると言う事なのですね
もし私達が人間の世界だけに住んで居る
それで良いと言うのならば それで良いのかもしれませんけれども
少なくとも神様と共に生きたい 神様の世界に住みたい
神様のお役に立ちたいと願うならば 幾らお金を貯めたからと言って
それは神様のお役に立つものではないと言うのか
神様の世界では価値は無いと言う事になりますね
では神様の世界で価値有るものは
何なのかと言う事になります
それこそそれが神様の世界で価値が有るもの
それは和らぎ賀ぶ和賀心と言う事になるのではないでしょうかね
神様がご覧になるもの 神様の世界で値打ちが有ると言うもの
それはやはり私どもの心だと
しかもそれは私どもの
いわゆる真心だと言う事ではないでしょうかね
神様の世界での値打ち有るものと
人間世界での値打ち有るものと考えているものは全く違うのだと
神様の世界では 今の私どもの世界での値打ち有るものは
全く通用しない 無価値なのだと言う事なのですね
ですからどうでも信心をさせて頂く 神様と共に生きる
神様の世界に住まわせて頂きたいと願うならば
その神様の世界でも通用するもの
価値有るものを やはり目指したいと思いますね
それはやっぱり心だと言う事になりますね
そう言う意味においてもやはり天地日月の心と言うものが
神様の世界においても値打ち有る心なのではないでしょうかね
先ずは人間社会における 人間世界における価値観と
神様の世界におけるその価値観とが全く違うのだと
人間世界での価値観は神様の世界では通用しないのだと
いや全く価値の無いものとなってしまうのだと
神様の世界で価値有るもの
それは私どもの和賀心であり 私どもの真心だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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