今日も和賀心学 (2021-10-20)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
神様のお役に立たせて下さいでは謙虚さが足りない様な感じがして来た。どうぞ何でも構いませんので私を使うて下さい、神様に使うて頂く為の私の一生ですとの思い、祈りの方がより良い様に思う。それでも信用が置けない者は使えないと言う事になる。使うて頂くには先ずは信用が第一と言う事になる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 353頁)
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合掌
中原博信
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御理解第53節
信心すれば 目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い
知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ
後で考えて あれもおかげであった
これもおかげであったということがわかるようになる
そうなれば本当の信者じゃ
一切神愛論 から頂けば
あれもおかげこれもおかげとわかりますが
どれ程の深さ重さをもっておかげを実感できるかということに
限りない信心の精進が求められる所以です
どれ程の深さ重さをもってと有ります
有難いと言うその有難い 有難さ
その有難さの度合い
と言うものが有る様ですね
師匠がある方に あなたと私の今日のおかげの差は
どこに有ると思われますかと
出発点は同じだったと思いますけれども
今日どうしてこう言う差が開いたのだと思われますかと
それはその有難さの度合いが違っていたからだと
あなたが一有難いと思われた時に 私は十の有難さが有ったと
その有難さの度合いの違いが今日のおかげの違いえとなったと
そう御理解下さった事が有ると聞いた事が有ります
そのやはり有難いと言ってもその度合いの違い
その度合いと言うものが大切な様ですね
有難さの度合い 私ども神様のお役に立たせて下さい
と思いもすれば 願いもします
神様のお役に立たせて下さいと
今朝はこれではいけないなと言う思いが致しました
神様のお役に立たせて下さい これでは未だ 我と言うのか
役に立てると言う思いがどこかに有る訳ですね
私でもどこかに役に立てるだろう
神様のお役に立てる 役に立てると言う思いが有るから
役に立たせて下さいと願う訳ですね
これではいけないなと
それこそもう一つ自分を虚しくすると言うのでしょうかね
それで 神様 どうぞ使って下さいと
会社に就職するとしましょうか
就職試験に際して 私はこの会社の役に立ちたいですと言うのと
どうぞ私を使って下さい この会社の為に使って下さいと言うのと
どう言う響きが有るんでしょうかねぇ
やっぱり私はこの会社のお役に立ちたいです
それはある意味 役に立てると言う自信の現れとも取れる訳ですから
これは頼もしいと取られる事も有りましょう
しかしもう一方では これは鼻につくなと
自信過剰だなと取られる事も有りましょうね どちらが良いのか
それは採用する人の心次第で違うのでしょうけれども
一方 私を使うて下さいと どうぞ使って下さい
こちらの方が少し謙虚な様に思えますね
それこそ役に立てるか
役に立てないか分からないけれども
とにかくどっかの端々にでも走り使いにでも
どうぞ私を使うて下さいと
その方が何かそのお役に立ちたいと言う思いが
にじみ出ている様な感じも致しますね
最初から 私はあなたの役に立ちたい と言うのと
どうぞ私を使うて下さいと言うのでは
何か謙虚さが少し違う様な感じがするのですね
それで今朝は どうぞ神様 何でも良いですから使うて下さいと
私を使って下さい
私の人生はそれこそ神様に使うて頂く為に有ります
ですから神様に使うて頂かなければ
私の人生は無いにも等しいものですと
ですからどうぞ走り使いでも
何でも致しますから神様の下で使って下さい
と言うそう言う願いですか 祈りですか
とにかく神様に使うて頂かなければ
私の人生は有りませんと言う願いですね
この方が 神様のお役に立ちたいです
神様のお役に立たせて下さい と言うよりか少しへりくだった様な
まぁ実際の自分を
もう少し見極めた様な感じが致しますね
ですから今朝は お役に立たせて下さい
と言う願いは止めて どうぞ神様使って下さいと
私の人生は神様に使うて頂く為の人生ですと
どうぞ私を使って下さい と言う願いに替えました
そうしましたら面白いですねぇ
ふとスマホを見ましたら この御結界に着いてですね
何か急用でもなかろうかと思って見ましたら
メールのソフトが有りますね アプリですか
そのアプリから 私が日頃使っている私のドメインですか
そのメールが受信出来ないと
いわゆるそのいわゆるプライベートのドメインですから
証明が確認出来ないと
いわゆるここのメールアドレスは信用が出来るかどうか分からない
寧ろ信用出来ない可能性が有ると だから接続出来ないと言う訳ですね
そう言うメッセージが来て居りました
それであぁなる程そう言う事かと
神様 どうぞ私を使うて下さいと願っても
神様が この氏子は信用が置けない 信頼出来ないとなったら
使うて下さらない訳ですね
よく何か忙しそうにしている
家の引っ越しであったり 火事場であったりした時に
誰か通りすがりの人が よし私も手伝いましょうと言って
その忙しそうにしているのを手伝ってくれる
で 手伝って引っ越しの手伝いをして
荷物を運び出してくれるのは良いのだけれども
それが気が付いたら貴重品がなくなっていた
と言う事が有る訳ですね
誰か彼かが手伝いましょうと言って手伝ってくれた
それは良いのだけれども 気が付いたら貴重品がなくなっていた
と言う事も有るのですから
誰も彼もに手伝ってもらうと言う訳にはいかないと言う訳ですね
神様も
なる程使うてくれと言われるから使うてやった
けれどもそれこそ何か取られてしまったとか
何かなくなったと言う様な事ではいけない訳です
ですから使う前には
先ずその身元と言うのでしょうか
その人が信用出来る人であるかどうかが確認出来てからでないと
使う事は出来ない とそう仰られた様な感じが致しました
神様に使うて頂く為にも
先ずはやはり神様から信用して頂ける
私は信用が出来ますと言う
その保証みたいなものが要る様ですね
神様から なる程この氏子なら大丈夫だと信じられて初めて
神様も使って下さると言う事になるのではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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