今日も和賀心学 (2021-10-26)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人の我儘な願い事が全て叶うような世界では人の心は育たない。やはり人の心は逆境の中にあって育つものなのだろう。名刀を作るには鉄を鍛えた上にも鍛えなければならない様に人の心を育てるにも鍛えた上にも鍛えなければならないのだろう。その鍛えられている時、人間には難儀に見えてしまう。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 364頁)
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合掌
中原博信
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御理解第57節
金の杖をつけば曲がる 竹や木は折れる
神を杖につけば楽じゃ
金にたよるな 人にたよるな 自分自身にすらたよるな
当てになるものは何一つない
ただ たよりになるのは神さまだけと悟るところから
自ずと一心の信心が生まれ 信の世界に住むことが出来る
神を杖につけば楽じゃ と言われるのに楽でないなら
神さま以外のものをたよりにしている証拠である
金や物や人も
みな向こうの方からやって来るもの
神様を頼りにする
その神様が頼れる神様であるのかどうか
中々私どもが辛い事が起こって来ると
神様に頼ろうと致しますけれども
それでもその辛い事がなくならない
それで 神も仏もあるものかと言った様な心になったり致します
昨日はあるテレビのドラマを見させて頂いて居りましたら
これはこう言うのが神様の御心ではなかろうか
神様の御働きではなかろうか
と言う様なものを感じさせて頂きましたが
ある学校の先生が その赴任して来られて
学級を受け持たられて 大変厳しい先生なのですね
それで 生徒にも大変厳しく当たられる
ある意味見方によってはいじめている様にも見える訳です
そしてまた生徒の方にしてみても
いじめられている様にとれる訳です
ところがどうもその厳しくするその裏には
それこそ育って欲しいと言う これは親心と言うのでしょうかねぇ
そう言う逞しく育って欲しいと言う心が
その裏には有る様なのですね
未だ途中ですので最後まで観て居りませんから
よく分かりませんけれども
何かしらそう言うものを感じさせて頂くのです
その端々にですね ところがその生徒達にはそれが分からない
ただいじめられているとか
厳しくされているとか
どうしてこんなに厳しくするのだろうかと
言う事しか分からない訳ですね
神様もこう言う所がお有りになるのではなかろうかと
思わせて頂きました
それこそこの氏子を育てたいと言う時には
厳しいまでにも厳しい
何と言うのでしょうかねぇ お鍛えと言うのでしょうかね
それが有る様な感じが致しますね
一つ山を越えたら そしたらまたそこに次の山が有ると
そしてまた次の山と
それこそ これでもか これでもか
と言う程しに鍛えられる
よく師匠は その相撲取りの稽古の話で
御理解下さった事が有りますね
それこそこの氏子に育ってもらいたいと思われたら
それこそもうそれは鍛えるしかない訳ですから
甘やかしておったのでは その子供が好き放題に
子供が願うままに物を与える
或いは好き放題にさせると言う事では
やっぱり決してその心が育つと言う事は有りませんねぇ
ただ我儘な子供が育つだけ
と言う事になるのでしょう
何事にもやはりその育つ 育てる
その為には厳しい上にも厳しくする
鍛える上にも鍛えると言う
そう言うものが有る様な感じが致しますね
それは勿論神様が 私どもを鍛えられる
私どもの成長を 何と言いますかねぇ 期待すると言うのでしょうか
成長して欲しい 育って欲しいと
思われれば思われる程鍛えられる
その鍛えられるそれが 当の本人にしてみれば
いじめられているとしか受け止められない様な
そう言う事も有ると言う事ですね
何かしら神様のそれこそ深い思いと言うのでしょうか
愛のムチと言う様な事を申されますけれども
正にこの神様にはそう言う愛のムチ的な働きが
たまには飴玉を下さる事も有りましょうけれども
原則として やはり人間は厳しくされて初めて育つ
優しく甘やかされてばかり居ては
人間は中々育つ事はないと言う事ですね
踏み付けられて 踏み付けられても
それでも育つ と言うそういう人でなければ
やはり本当の神様のお役に立つ
と言う事にもならないのではないでしょうかねぇ
鍛えた上にも鍛える
と言うのが神様の御働きの中に有ると言う事ですね
これは尋常ではありませんね その鍛え方と言うものはですね
その事を分からせて頂いた様に思います
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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