2021年10月31日日曜日

神様が与えて下さる成行きを好きになる (2021-10-31)

 今日も和賀心学 (2021-10-31)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


お金に好かれる話と言うのが有った様に思うが、今朝は神様に好かれる話と頂いた。神様に好かれるにはどうすれば良いか。私どもが神様を好きになる事は勿論だが。まず第一に神様に嫌われない様にすること。そして次に神様が与えて下さる成行きを好きになること。好きになれば大切にせずにはおれないもの。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 349頁)


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合掌

中原博信

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御理解第52




信心する者は驚いてはならぬ




これから後 どのような大きな事ができてきても

少しも驚くことはならぬぞ




唄の文句に

沖の瀬の瀬にドンとうつ波は みんなあなたの度胸さだめ




と言うが

信心も同じで信心度胸が出来ねばならぬ




どのようなことが起きても

少しも驚かんですむ信心修行が必要であります




その時の受け方次第で おかげが変わってきます

信心の位も出来てきます




神さまに対する信心姿勢の見せ場でもあります




大向こうから 日本一

と言う声がかかって来るようなスッキリしたおかげを受けたい




受け方次第でおかげが変わって来ます

と有ります




受け方次第 私どもの受ける心次第と言う事だと思いますね

受け方と言うのはやはり心で受けるものです




野球で言えばその受けるのは何ですか

野球のグローブですか で受けますね




その例えば拳法で言えば その受けの型が色々有りますね

基本的には幾つかしかないのかもしれませんけれども




手で受けるとか 足で受けるとか

身体をかわして受けるとか




この信心による受け方次第と言うのは

その身体でかわして受けると言う事は出来ませんから




やはりその心でどう受けるかと言う事だと思いますね

いやだなぁと受けるか 嫌々受けるか




それこそ有難いと受けるか 喜んで受けるか 喜び勇んで受けるか

その私どもの受け心次第でおかげが変わると 言う事の様ですね




同じ受けるでも 例えば同じ成行きを受けるでも

しょうことなしに受ける 嫌々受ける




それで神様の心に通うとか

おかげになるとは思えませんね




私どもが何と言いますかねぇ

神様に好かれると言うのでしょうか




お金に好かれる話とか言う本が有った様に思うのですけれども

神様に好かれる話と言う事になるとどうなるでしょうかねぇ




どうあったら神様に好かれるかと

言う訳ですね




先ず神様に好かれると言う事の前に

私は先ずは私どもが神様を好きになる事だと思うのですけれども




そして好きになる

その次には 好きになった人からはやっぱり嫌われたくない




と言う心が起こって来る事だと思いますねぇ




先ずその人に好きになってもらうと言うよりか

その前に先ずは嫌われちゃならんと




神様に嫌われたら大変だと 言うその嫌われたくない

と言う心が先ず起こって来なければならないと思いますねぇ




私が教えを行じると言うのでしょうか

教えに取り組もうとしたその第一は




ああこんな事をしていたのでは神様に嫌われてしまうな

神様に嫌われたら大変だ と言うのが私の原動力の様なものでしたね




おかげを頂きたいから教えを行じる

と言うのも一つの方法でしょう




私は の場合は おかげが頂きたいから教えに取り組む

と言う事ではありませんでしたね




特別欲しいおかげと言うのも有りませんでしたから




それよりか 神様に嫌われたくない

それこそ神様に嫌われたらどう言う事になるか分からない




だからとにかく神様に嫌われる様な事はしないでおこうと言うのが

教えに取り組むと言うのか その出発点だった様に思いますね




ですから私の心の出発点は

神様に嫌われない様にしよう




こんな事をしていたのでは神様に嫌われてしまう

と言う様な事をしなくなったと言う事ですね




先ずはその神様に嫌われちゃならんと言う思い

神様から嫌われたら大変だ




それこそ神様から見捨てられたら もうどうしようもないと

神様から見捨てられたら生きて行き様が無い訳ですから




なるだけ神様に嫌われない様にしよう

と言うのが先ず私の出発点でしたね




そしてそこから少し欲が出て来ると言うのか

そしてなるだけなら嫌われないと言う所から一歩抜け出して




神様から好かれたいと言う事になりますね

どうしたら神様に好きになってもらえるだろうか




神様に好きになってもらう為の精進

神様の気を引く為の精進と言う事になるのではないでしょうかねぇ




それはそれで良いと思うのですね




そのあれは何ですか下心と言うのですか そう言うものが有って近付く

それはいけない事かもしれませんけれども




神様に好かれたいと言う思いで

そう言う神様に好かれたいと言う下心は 有りだと思いますね




そしてそれが愈々神様に好かれる為ならば

それこそ神様に喜んでもらう為ならば




と言う様な事にも発展して行く訳ですからね




そしてそれが愈々になると もう無条件に

神様に好きになってもらいたいから何かをすると言うのではなく




もう無条件に神様に喜んでもらいたい と言う信心へと

段々育って行くのだと思いますね




その手前には 神様に好きになってもらいたい

神様に好かれたいから何かをする 教えを行じる




と言う世界が有っても良い様に思いますね




では神様に好かれる為には

どうしたら良いのだろうかと言う事になりますが




今朝頂きますは

先ずはその成行きを好きになる事だと




そのよく言いますねぇ その誰かを好きになる

そしたらその先ずは その持ってるものを褒めるとか




その人本人に

どうのこうの近付く事は出来ませんから




その昨日も そうですねぇ

車を売る人の話があって居りましたが




車を売ろうとする 大体買うのはご主人ですね

しかしご主人を攻めて ご主人にその気をさせても売れないと




何故ならばそのお金の財布の紐を握ってるのは奥さんだと

だからご主人を説得するだけではダメで




奥さんに気に入ってもらわなければ車が売れないと

では奥さんに気に入ってもらう為にはどうするかと




奥さんにおべっかを使う訳にもいかないと

奥さんに喜んでもらう為には その子供に喜んでもらう事だと




一緒に子供を連れて来てもらって

その子供が嬉しくなる




その子供が楽しくしている その子供が喜べば奥さんも喜び

そして財布の紐が軽くなる 緩くなるですか




と言うに違いないと だから子供を喜ばせる事にしたと

シャボン玉のお兄さんになられたと言うのですね




そしたらもう今まで売れなかった車がどんどん売れ出し

成績優秀なセールスマンになったと




言う事を何か言って居られましたけれども

そう言う風なものではないでしょうかね




神様がそれこそ私どもに投げかけて下さるその成行き

成行きを大切にしなさい と師匠は教えて下さいました




成行きを尊ぶ 大切にする

そして更にもしも私どもがその成行きに対して 好きになったならば




成行きが好きですと言う心が芽生えて来たならば

神様はもっと喜んで下さるのではないでしょうかね




私どもが 神様が大切にして欲しい物を大切にする ばかりではない

神様が大切にして居られるものを私どもが好きになる




勿論好きになったら

大切にせずにはおれませんね




好きになったものをそれこそ隅っこに置いといたり

好きになったものをホコリかぶれにして居る事はありませんね




好きになればやはり大切に致します

そしたら神様も喜んで下さると言う事になりますね




ですから 神様に好きになってもらいたい

ならば先ずは成行きを好きになる事だと 今朝は頂きました




なる程理屈から言うと

そうかもしれないな と言う感じが致しますね




どうぞ私もこれからは 今までは

成行きを大切にすると言う事に取り組んで来ましたけれども




なる程これからは 成行きを好きになる

と言う方向で取り組んでみようかなと今朝は思わせられています




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2021年10月30日土曜日

嫌いなお方の親切よりも好きなお方の無理がよい (2021-10-30)

 今日も和賀心学 (2021-10-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


嫌いなお方の親切よりも好きなお方の無理がよいと。嫌な人から何か言い付けられると嫌なものだ。しかし好意を寄せている人から頼み事をされると心がワクワクし、させて頂く事が楽しくなる。これは神様もそうだと言うこと。好意を寄せている氏子からの頼み事は神様も心ウキウキ聞いて下さる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 128頁)


ビデオ: https://youtu.be/QA6ou0cVKBM

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御神訓




まめなとも信心の油断をすな




まめであればある程に 平穏無事であれば平穏無事である程に

強うなり手厚うなる信心を身につけてゆかねばならん




それには和楽路ばき(一生懸命の意)の信心が

いよいよ決意されねばならん




御道の信心は

和楽の路を辿るのであるから




和楽の路

と師匠が教えて居られます




和らぐ そして楽しむ

師匠は和らぎ楽しむ和楽の道だと




また教祖様はおかげは和賀心にあり

和らぐ そして賀ぶ心にあり と




賀ぶと表現されたり

楽しむと表現されたりして居られる訳ですけれども




喜ぶ心 楽しむ心

これがどこから出て来るのか




これは何をして居りましても喜びに溢れて居れたり

楽しく事が出来たら これ程有難い事は無い




またそう言う楽しく喜んで出来る心の状態と言うのでしょうかねぇ

そう言う日々のあり方を目指すのだと思いますけれども




先日でしたか

パソコンの OS が新しくなったと




そして入れ替えたら とても便利な機能が使える様になったと

言うお話をさせて頂きましたが




大変便利ですね




今までは何か作業をするのに 一つ一ついわゆるアプリを起動して

2つも 3つも起動して して居りますけれどもやはり手順が有りますね




それがその登録しますと

ワンクリックで必要なアプリが全部起動してくれます




必要なファイルを読み込んで起動してくれる




今まで手順が 2つも 3つもかかっていたのが

1回の手順ですむ と言う大変便利ですね




その事を今朝心中祈念の時に

思わせて頂くのですけれども




その便利な機能が有る その便利な機能を使わせて頂く

そうすれば私どもも有難い




またその使うてもらうその機能の方もまた有難いと言うよりか

喜ばしいのだと言う事なのですね




師匠が良く食物の事で

食物は人間に食べてもらって




それこそ人間の血肉になる その事が喜びなのだ

楽しみなのだと言った様な事を御理解下さいましたね




正にそう言うものが そのアプリであったり

モノであったりするものにもやはり有ると言う事でしょうね




折角そこに便利なものがある

それこそ宝の持ち腐れと言われますけれども




宝の持ち腐れでは その宝自体が悲しい思いをする




使ってくれて初めて その便利さが活きてくると言うのか

そのもの自体が喜ぶと言う事になりますね




これは昨日の続きではありませんけれども

嫌いなお方の親切よりも 好きなお方の無理がよい でしたかね




嫌いな人からあれをしてくれとか これをしてくれと頼まれると

まぁ嫌なものですねぇ したくなくなります




ところが 思いを寄せている人

好きな人 そう言う人から




これをしてくれと頼まれると

まぁ頼まれる事自体が嬉しいものですねぇ




声をかけてくれて何か頼まれる

そしたらその 一寸無理な事でもやっぱり嬉しいですね




そしてそれこそ喜んで何かをしようとする

そこには声をかけてもらったと言う喜び




と同時に またその人の

好きな人のお役に立つと言う事の喜びも加わって




それこそ楽しくその作業をさせて頂く事が出来る

と言う様なものではないでしょうかね




今日は これが立場が違ってもそうだと言う感じで頂くのですね

言わば私どもが 誰か思いを寄せている人から何か頼まれる




そしたらそれが それこそ喜び勇んでと言うのでしょうか

楽しくさせて頂く事が出来る




これは神様もそうだと言う事なのですね




神様の方も それこそあれは何でしたかねぇ

使うてもろうて嬉しいと言う様な御教えが有りましたねぇ




神様の方もそれこそ 思いを寄せると言うのか

神様が気に言った人から頼み事をしてもらう




それは神様の方もまた喜びをもってそれに答えて下さる

と言う風なのですね




ですからもし私どもが神様に あれをお願いします

これをお願いしますと神様にお願いをする




そこに神様がもし私どもの事を嫌って居られるならば

これはもう嫌々して下さると言う事かもしれませんね




ところが神様の方が好意を持っている私ども であったならば

それこそ神様の方が私どもの願いと言うものを喜んで




それこそ楽しみながら聞いて下さる

と言うそう言うものだと言う事なのですね




神様が私どもの願い事と言うものを それこそ喜んで聞いて下さる

そう言う間柄であれと言う事な訳ですね




しかしここで注意しなければなりませんのは

例えば誰かに何かをしてもらいたいから媚を売ると言う事が有りますね




そう言う事であってはなりません

何かを頼むから媚を売る これはおかしい事です




しかし最初から何か知らんけれども好意を寄せていると

惹かれると言うその人からの頼み事 これはもう嬉しく




それこそ楽しく 喜びをもってさせて頂く事が出来る

そう言う間柄であれと言う事ですね




神様と私どもとの間柄がそう言う間柄であるならば

神様が喜んで私どもの願いを聞いて下さる




と言う そう言う世界が有るよと言う事なのですね

そう言う世界に住まわせて頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2021年10月29日金曜日

神様に恋をすることが真の信心の入り口 (2021-10-29)

 今日も和賀心学 (2021-10-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心とは何だろうと思う。大概は神様を便利屋として使う事が信心の様に思うて居る様に見える。今朝は心中祈念の時にその事を御祈念していたら心に、神様に恋をすることと響いて来た。神様を便利屋の様に使う信心では真の信心は生まれない。神様に恋する心が芽生えてそこから初めて真の信心とは成る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 168頁)


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御神訓




懐妊の時腹帯をするより

心に真の帯をせよ




懐妊のおかげをうけた当の本人の信心は

言うに更なりであります




その半身である主人たる者も 女だけにその修行を任せず

生まれる新しい生命のためにも その半分の修行を担うべきです




夫婦揃うての信心修行こそ安産のおかげだけでなく

よい子に恵まれる為の神様に対する絶対の条件と思います




真の帯をせよと

真の心と言う事だと思いますね




そしてそれはまた 真の帯をせよと

真の信心をせよ と言う事でもあろうと思いますね




ではその真の信心とは何だろうかと

言う事になります




今朝はしきりに心中祈念の時に

信心と言うけれども 信心とは一体何だろうか




どうある事が信心と言うのだろうかと

その事をしきりに思わせて頂いて居りました




そうしましたら 心に響いて来ますのが

信心とは神様に恋をする事だと




神様に恋をする

これが真の信心だと言うのですね




なる程そうですねぇ 信心と言うと

私ども神様を便利屋の様に使うと言うのでしょうかね




そう言う事から信心は始まる様な感じが致しますね

いわゆるおかげ信心とか ご利益信心とか言われる それですね




神様を便利屋の様に使う

それが信心だと思うている人達が多いのではないでしょうかねぇ




それは真の信心ではないと言う事ですね

どうしても私ども 神様を便利屋としか見ていない所が有りますね




そして神様を便利屋として使おうとする

真の信心と言うのはそうではないよと




神様に恋をする事だと その神様に恋心を抱いての信心

そこから真実の信心が始まると言うのか 真実の信心になると言うのか




そこからそれこそ 神様に嫌われちゃならん

好きな人に嫌われてはならないと言った様な心にもなるものですねぇ




そして 好きな人に喜んでもらいたい

と言う様な心も起こって来るものですね




その様々な神様に対しての心と言うのが

私どもの中に湧き起こって来る




その大本になると言うのか

それは神様に対する恋する心だと




そこから初めて 様々な教えに取り組むであったり

和賀心になろうとする事であったり




様々な真の信心が 何と言いますかねぇ

始まると言うのでしょうかねぇ




先ずはその要になるのは それは神様に恋をする事だと

恋をしておれば 痘痕も靨と言われたりもしますね




そう思えたりも致します

またそう見えるものなのでしょう




ですから神様が少し何かをされても 悪い所が有ったり

悪く感じる所が有ったにしても それでも良いものとして頂けれる




と言う様な事かもしれませんね




そうでないならば もしも神様が嫌いなお方であるならば

それこそ一寸した事が愈々嫌になってしまいますね




とても有難くはなれません どうしてこんな事をするんだろうか

何でこんな仕打ちをされるのだろうかと言う事になります




あれは何ですかねぇ 歌の文句ですか

嫌いな方の親切よりか 好きな方の何でしたかねぇ




何が良いとか言うのが有りますねぇ




嫌いな人に親切にしてもらうよりか

好きな人につっけんどんにされても そっちの方が良いと言う




そんな感じだと思いましたね




とにかく神様を好きになる

神様に恋をすると言う事が




真の信心をさせて頂く上での一つの条件

になるのではないでしょうかねぇ




ではどうしたらその神様に対する恋心が湧き上がって来る

育って来るのか と言う事になりますね




それはやっぱり神様の御親切に触れる

と言う事ではないでしょうかねぇ




神様の御親切に触れて そしてそこから私どもの方が

今度は神様に惚れると言う様な事になるのでしょうね




では神様の御親切に触れる為にはどうしたら良いのか

それこそ師匠が教えて下さる 成行きを大切にする 尊ぶ




その成行きを尊び大切にする生き方の中に

愈々神様の御親切を感じる事が出来る様になりますね




そしてそこから愈々神様に惚れる心も

育って来るのではないでしょうかね




そして神様に恋をした時に初めて

痘痕も靨と言う様な 何と言いましょうかねぇ




そう言う事になって来る様に思いますね




真の信心をさせて頂く為には

ただおかげが頂きたいから信心をするとか




ああせろ こうせろと言われるかするとか言う

そう言う次元ではとても出来るものではありませんね




あぁ思い出しました




嫌いな方の親切よりか 好きな人の無理が良い

とか言う歌でしたね そう言う言葉でしたね




神様が好きであればこそ 神様から無理な事を言われても

それでもそちらの方が良いと言う訳ですね




そう言う心が起こって来る

それもそれは神様に恋をしておればこその話ですね




神様を便利屋に使おうとしている様な心から

そう言う神様の無理に対して




こちらの方が 無理の方が良いと

思う様な心はとても起こって参りませんね




真の信心をさせて頂く

為には先ずは神様に惚れる事だと 神様に恋をする事だと




そしてこれが 神様からも惚れられる様になる

いわゆる神様に恋をすると言う世界から




神様と恋をする 相思相愛の仲と言う事になれば

一番良い事になると思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます