今日も和賀心学 (2022-02-27)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は変わった事を頂いた。和賀心になったからと言って争いが無くなる訳では無いと。中には争いが好きな人も居る、そういう人は争いの中に得手勝手な和賀心を求め様とすると。人間社会にも色々な流儀があると。師匠大坪総一郎師の御流儀は、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも皆んな私が悪いのですと一切を自らの改まりの材料とする事だと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 389頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第65節
日柄方位は見るにおよばぬ
普請作事は 使い勝手のよいのが よい家相じゃ
よい日柄というは 空に雲のない ほんぞらぬくい
自分に都合のよい日が よい日柄じゃ
いかに暦を見て天赦日じゃと言うても
雨風が強うては 今日は不祥のお天気じゃと言うではないか
日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え
鳥や獣には日柄も方位もない
人間にだけあるはずがない
天地の恩恵の中に生きるものは総て 人間も動物の仲間である限り
生きる自由の与えられておる事をわからねばならぬ
生きる自由が与えられている
これは誰にでもと言う事でしょうね
と言う事は その何と言いましょうか
争い事と言う事も起こり得ると言う事ですねぇ
一寸おかしな話ですけれども
誰もが生きる自由が与えられている
そうすると一人が生きようとすると
一人が邪魔になると言った様な事が
やはり起こって来るのでしょうからね
共存共栄と言う事が言われますけれども その共存共栄が
そう言う道が有るのならば それが一番良いのでしょうけれども
中々現実には そうは行かないところが有りますねぇ
やはり人間の我情我欲がぶっつかるからですね
今朝は一寸変わった事を頂きました
それは あちらこちらで 例えば争い 戦争が起こっている
また悪い事も起こっている いわゆる悪人と言われる人達が居られる
これはいわゆる人間の目から見て
善人と言われる様な人達の目から見て
悪人と思われる様な人達が居られる
色々な人達がうごめき合って居ると言うのか
生き合って居ると言うのか
そう言う中で 例えば和賀心になる
和らぎ賀ぶ和賀心になる
その和賀心になれば 戦争は無くなるのか と言うと
必ずしもそうではないと言うのですね
それは悪人には悪人の論理が有る
と言うのです
なる程私達普通の人にとっては
いわゆる善人と言われる人達にとっては
争いの無い世界 人を妬んだり羨んだりと言うのでしょうかねぇ
人の物を奪ったりと言うその
いわゆる争いの無い世界が平和な世界であり
その中に和らぎ賀ぶ和賀心も頂けれると思うのですけれども
そうとばかりは言えないと
言わば寧ろ人の物を取ったり 人を殺したり 戦争をする
そう言う中に心が和らぐ そして喜ぶ そう言うものを見い出す
と言う人達が無いとは言えないと言う訳ですね
言わば争い事が好きな人
戦争が好きな人にとっては
寧ろ戦争をする事の方が心が和らいで居れ
その中で喜んで居れるかもしれないと言う訳ですね
人間はどちらかと言うと争い事が好きなのかもしれません
映画にしろテレビドラマにしろ 争い事が氾濫していますねぇ
戦いの場面が沢山有ります それは良い人と悪い人と言う風に
区別されて しかしその中で繰り広げられるのは戦いですね
ゲームが色々有ります そのゲームの中でもやはり戦いです
平和な 戦いの無いゲームと言うのは余り有りませんねぇ
中には有りますけれども 人気のゲームと言うのは
いわゆるバトルゲームと言うのでしょうか
それが現実に 人に危害を加えると言う事ではないから
未だ許されているのかもしれませんけれども 内容は争いですよね
何々ゲームであったり 何々ゲームでそこで繰り広げられているのは
戦争のゲームであったり 撃ち合いであったり
例えばそのマーシャルアーツですか いわゆる空手であったり
そう言うものでの戦い 争い事です
その争い事に 言わば この人の方が善いと思う様な人が勝てば
拍手を送る 悪人が勝てば一寸がっかりすると言った様な
そのそこに繰り広げられているのは
やはり争いであり その争い事に対して楽しみを感じている
これが戦争ともなると そのゲームの世界が現実のものとなる
現実のものは なる程悲惨な結果を生みますからね
しかしその本質的に
人間の中に争い事を好むと言うものが有るのかもしれませんね
そう言う人達にとっては寧ろ
争いの中に心が和らぎ賀ぶと言う人々が居られるかもしれません
ですから和らぎ賀ぶ和賀心になると言っても
どう言う状況で和らぎ賀ぶ和賀心になるのか
それは人によって夫々だと言うのですね
ですから必ずしも和賀心になったからと言って
戦争が無くなると言う事ではないと言う事なのですね
ではどうしたら良いのだろうか それは信心にも御流儀が有ると
剣術ですか 色々な流派が有りますね
それと同じ様にやはり信心にも
この世を生きて行く上にも その御流儀が有る
例えば師匠は
師匠の大坪総一郎師の流儀が有る
そこに御縁を頂いたらその流儀を
その師匠の御流儀を頂いて行く事だと
そこに神様との交流も頂け
神様からの特別のおかげもやはり頂いて行く事が出来る
でその師匠の流儀は何かと言うと 色々有るのでしょうけれども
今日教えて頂きますのは
電信柱が高いのも 郵便ポストが赤いのも 皆な私が悪いのです
と言う生き方だと
つまり一切のもの
私どもに関わる一切の事
それらを自らの心の改まりの材料として
自らの心を改まって行くと言う事だと
極論をすれば あそこで戦争があっておる
これは私の心が悪いからだと 私の心を改めなければならない
その為にあそこで争いが起こっているのだ
と言った様な頂き方にもなりますね
極論で頂き難いかもしれませんけれども
しかし師匠ならそう頂かれるでしょうね
それこそ当時の若先生の御祈念のスタイルを見られて
あんな格好で御祈念をしてと思われた
けれども次の瞬間 いやあれは若先生の事ではない
これは私の心がそうなのだと
私の心を改める事を 神様が指摘して下さったのだと
もし戦争がそこに有るとするならば
私どもの心の中にそう言う争いを好む心がないものかと
自らを改まって行く 自らを律して行くと言うのでしょうかね
そう言う生き方が
師匠の生き方である訳ですね
電信柱が高いのも 郵便ポストが赤いのも 皆な私が悪いのです
と一切を自らの改まりの材料として行かれた
これが師匠の御流儀だと
そこに神様からの特別の御働きも頂けれると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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