今日も和賀心学 (2022-02-02)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心の初めはやはり自分の抱える問題であったり、身内の抱える問題に神様のおかげを頂くことだと思う。そこからおかげを頂き、御礼の為にも何か御用をさせて頂こうと、更に神様のお役に立ちたいと言う心が育つ。そこから更に、神様が、よし使おうと仰って下さるような私どもになる精進が要ると言うこと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 409頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第72節
人間を軽う見な
軽う見たらおかげはなし
人間を軽う見られぬように
言うことなすことに心しなければなりません
軽う見られることは軽う見た人が おかげはなし
ということになるのですから慎まねばなりません
他人が軽う見える時には
自分を尊大に思って居る時です
自他共の助かりの為にも他人を神の氏子と見
自分を屑の子と見ることです
言う事なす事に心しなければなりません
と有ります
言う事なす事に心する
私どもが信心を初めると言うのは
やはり自分の問題であったり
親や子供や身内の何か抱えている問題
それを神様のおかげで解決してもらう
それが病気であったり 金銭の問題であったり
人間関係の問題であったり 様々な問題が有るのでしょうけれども
先ずはおかげを頂きたい 神様のおかげを頂きたい
と言うのがやはり信心の初めではないでしょうかねぇ
そこからそれこそ あれもおかげを頂き
これもおかげを頂きと おかげを頂く
そして神様へのお礼の心も募って来る様になる
御教えも頂き そこから更に
これはどうでも一つご恩返しの為にも 神様のお役に立たせて頂きたい
と言う思いが育って来る 芽生えて来ると言うのでしょうかね
神様のお役に立ちたいと
その神様のお役に立ちたいと言うその前に
先ずは それこそ教会長の先生のお役に立ちたいと言う心であったり
その御用をしたいと言うですね であったり
何か教会の御用をさせて頂きたいと言う思いが芽生えて育って来る
教会愛と言う様な事を言われますねぇ
そしてそこから段々それ以上に
神様への御恩と言うのでしょうかね
神様の御用をさせて頂きたい 神様のお役に立たせて頂きたい
立ちたいと言う願いが愈々育って来なければなりませんね
そして今日頂きますのは
ここからなのですけれども
神様のお役に立ちたい 何か御用の一つでもさせて頂きたい
と言う思いが育って来る
そしてそこから更に 先日も頂きます様に
お役に立つと言っても 色々な役が有る訳ですね
トイレの掃除の御用と言うのも有りましょうし
草むしりと言う御用も有ったりするのでしょう
様々な御用が有ります
そして中でも 人が助かる事の為のお役に立ちたい
御用に立たせて頂きたいと言うのが
一番の御用ではないでしょうかねぇ
中には悪人としてお役に立つ
と言う方も居られるには居られましょうけれども
やっぱり善人として 人を助けるお役に立たせて頂く
と言うのが一番良いのではないでしょうかね
そう言う心が育って来ます
そして問題はここからなのですけれども
それだけで良いかと言うと
それだけではいけませんねぇ
お役に立ちたいと言う心が育つ 育てばそれで済みかと言うと
そこから先が未だ有ります
師匠が良く仰って居られた事に 例えば今お食事をしている
そして誰かが私にお給仕をさせて下さいと申し出る
ところがそのお給仕をさせて下さいと申し出た人が
髪もとかずに髪はボサボサ
或いはそれこそ身なりも 今までまだ野良仕事をしていた
と言う様な格好で 泥まみれで汚れている
それこそ手も未だ洗ってない 土が付いている
或いは他の色々な汚れが付いている
そう言う格好で 私にお給仕をさせて下さい
と申し出られたとしても
あぁそれならお願いします
と言う気には中々なれないねと
お給仕をさせて下さい
と申し出るからには
それこそ髪は奇麗にといて調える
顔も綺麗に洗う
また身なりもそこそこに清潔な身なりをする
手もキチッと洗う
それこそ爪が伸び放題 それでお給仕をさせて下さい
と言われても やっぱり考えると
その為には綺麗な整った身なりをして 手も洗い
いわゆる清潔な格好をして それでお給仕をさせて下さい
と申し出られるならば
お願いします と言う事にもなろうと
神様もやはり同じだと
神様は お役に立たせて下さいと言いながら
それこそお役に立たせて下さいと言いながら
もしそれが泥まみれの 未だ未だ汚れの付いている手であったり
身だしなみが それこそ破れかぶれと言うのか
きちっと如何にも清潔ではない
あぁこの人に頼んで大丈夫だろうかと思われる様な出立ちで
お役に立ちたいと言われても それはどうだろうねと
神様も それなら使おうとは仰って下さらないだろうね
と言う様な事なのですね
神様のお役に立ちたい 御用に立ちたい
使うて頂きたいと願うからには
今日のミニ御理解ではありませんけれども
言う事なす事に心しなければなりませんと
それこそ心を磨いておかなければならない
泥棒心が有る人が お手伝いさせて下さいと
いやこの人に手伝ってもらいよったら
何か取って行かれるかもしれない
と思える様な人に
手伝いをして下さいとは言えませんねぇ
この人なら大丈夫だと 例え現金をそこに置いといても
決して手を出す様な事もない
この人なら信用が出来る 間違いない この人に頼もう
家の手伝いをしてもらおう と言う事になりますね
私どもの心が
それこそ神様からご覧になって
この氏子なら使うても良い 使うてみようか と思われる様な
私どもの心に育っていなければならないと言う事ですね
ですから お役に立ちたいと思うならば 神様が使うて下さる様な
私どもに育たねばならないと言う事でも有りますね
ある高徳な先生などは 御道の御用をさせて頂いて居ります
と しかしいつ神様からお暇が出るか分かりません
とそう言う細心の心を持って御用をして居られた様ですね
お役に立ちたい と思うならば
そう言う心が育ったならば そこから更に
さあどうあったら神様が私を使うて下さるだろうか
神様に使うて頂けれる様な私に育たねばならない
と そこからの精進が必要だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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