今日も和賀心学 (2022-02-18)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
和賀心教典460頁昭和47年のミニ御理解の中にある「傘一本」は、師匠大坪総一郎師の原文は「一本傘を」です。傘にまつわる御理解に、安心の傘を持って居ってもその傘が破れてびしょ濡れになる時が来る、そのびしょ濡れになって居る時、よしもう濡れても構わない、濡れて行こうとその破れた傘を杖に立ち上がる、その時頂けるのが本当の安心の傘だと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 373頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第60節
おかげは受け徳 受け勝ち
先生が先ず おかげをうけて見せねばならぬ
先ずは徳を受けることが先決で 徳を受けた者には勝てません
受け徳のおかげを頂くために
神さまをむしるようなことをせず
信者をむしるようなことをせず
自分自身をむしる気で信心してゆけば徳がうけられる
おかげは押しやり修行は受け身
魚釣る人見ている人
天地は限りなく与えようとなさる
受ける方に姿勢がいる 見ているだけでは受けられぬ
受ける方に姿勢がいると
どう言う姿勢が要るのだろうかと
神様がおかげを授けて下さろうとする
そしてその受けたおかげを またお裾分けと言うのでしょうかね
師匠は 師匠の有難さの余波で人が助かる
と教えて下さいましたが
その余波 私どもが頂くそのおかげの余波で
人がまたおかげを頂けれる様な
その神様から頂くおかげを
人様にもお裾分けが出来る程しのおかげをやはり頂きたいものですね
その為には やはり受ける者の姿勢が要ると
どう言う姿勢が要るのだろうかと思いますね
今朝は心中祈念の時に ある方の事を思い出させて頂き
そこを訪問している様な 何かお知らせを頂いたのですけれども
それとは前に 実は昨日でしたか 一昨日でしたか
師匠の 大坪総一郎師のお話の中で
今まで聞いた事の無い様な 衝撃的なお話を頂きました
そのある 昨日のその頂いたお話と
今朝その心中祈念の時に頂いた方とのが
リンクする所が一つ有るのですが
それでこの話をやはりこれは残しておくべき話
伝えるべき話だと思いますので
今日はそのお話をさせて頂きたいと思います
それはこのいつも使わせて頂いている和賀心教典と呼ばれるもの
師匠大坪総一郎師のミニ御理解を集めたものですけれども
これを この御本を作る時に
私もお手伝いをさせて頂いたのですけれども
実は一箇所だけ 師匠の原文と異なる所が有るのですね
傘一本で道が開けると言う御理解が有りますね
その師匠はミニ御理解に
一本傘が有れば安心だと言う様な表現をして居られたのですね
教祖様の御理解では傘一本ですけれども
師匠のミニ御理解には一本の傘と表現して居られました
それでやはり私は
師匠が表現されている通りの方が良いと思いましたので
ここはやっぱり一本の傘とすべきでしょうと 何と言いましょうかねぇ
主張しましたけれども やはりそれは通りませんでした
教祖様の御理解が傘一本だからと言う事で
或る 今朝心中祈念の時に頂いた先生の意見が通り
傘一本に修正されてしまいました
私が気がかりなのはそのここですねぇ
師匠の原文では一本の傘となっていた
ところがそれが御理解に合わせて 傘一本に修正された
ここが私が知る限り唯一師匠のミニ御理解の原文とは違う所ですね
先ずこの事をお知らせすると同時に
その師匠が語って居られる
つい昨日でしたか一昨日でしたか頂いたそのお話の中に
それこそ傘が一本有れば安心と言われる
降っても照っても安心と言われる
その一本の傘を持って居る
それは例えば 師匠にお届けすれば安心だと
どんな事が起きても師匠のお取次ぎを頂けば安心だ
と言った様なそう言う安心かもしれない
それが例えば一本傘を持っておる
言わば傘が広げられておって雨が降って来ても濡れずに済むと言う
そう言う一本の傘が有るのだと 持っておるのだと
しかしそのその傘が破れる ボロボロになると言うのか
安心 そう言う師匠 例えば親先生にお届けして安心だ
と言った様なそう言う安心が
傘が破れて雨が漏ると言うのでしょうかねぇ
雨に濡れてずぶ濡れになる 必ずそう言う段階が来ると
この一本の傘を持っておれば安心だ お届けをしたから安心だ
と言うそこから その傘が破れると言うのですねぇ
そして雨に いわゆるびしょ濡れになる さあそこからだと
もう傘が破れてびしょ濡れになって そこから
よしもう濡れても構わないと その破れた傘を杖にして立ち上がる
そこに初めて安心の一本の傘を頂く事が出来るのだと言うお話でした
大変衝撃を受けましたねぇ
傘を持っていれば その祈りの傘と言うのでしょうか
その傘を開けば守られる
雨が降っても一本傘が有れば安心だと 濡れずに済む
ところがその傘が破れる そしてびしょ濡れになる
そう言う時が必ず来ると そしてそのびしょ濡れの中で
愕然とひざまずくと言うのでしょうかね
雨が降って来て傘も役に立たない
濡れしぼたれになると言うのでしょうか
そう言う中にあって
よしこの濡れている雨の中を歩いて行こうと
その もう濡れても構わないと
その手に持った破れた傘を杖について起き上がる
ここが大切な所なのですねぇ
破れた傘を杖について よし雨の中を濡れて行こうと立ち上がる
そこに初めて安心の傘が頂ける
と言う師匠のお話でした
その傘を開けば雨に濡れずに済むから安心だ
と言う安心ではないのですね
破れ傘でもよいと
いや破れ傘なのだと
そしてその雨の中に濡れて行こう 濡れても構わないと
その破れた傘を杖につく それが安心の傘だと
すごい御理解だと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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