2022年2月26日土曜日

この御道は天地金乃神様のおかげを頂きながら心を育てて行く道 (2022-02-26)

 今日も和賀心学 (2022-02-26)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


この世に生を受けた人間の本願は、魂を磨き清める事、即ち心を育てる事に置くのが本当だと思う。地位や名誉や権力や富では無い、只ひたすら自らの心を育てる事。それは万人に於いてそうだと言う事。その事を教えてくれるのが真の信心であり、しかも天地金乃神様のおかげを頂きながら心を育てて行く道である。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 421頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第76




人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか

牛馬はわが子が水に落ちていても助けることができぬ




人間が見ると助けてやる




人間は病気災難の時 神に助けてもらうのであるから

人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ




その場かぎりなら金ででも助けられる

物でも助けることは出来るが




心から助ける 又は永遠の助かりにつづく助かりは

真の信心による他に道はありません




助ける者自身が難儀を修行とわかり

神愛と悟り心に真の喜びをうけ




その心で人に話をしていけば そこから

神の示現 神仏が不思議な働きを示し現わすこと




がおこり自他共に助かることの出来る道が開かれ

人間最高の生き甲斐ある信心生活が営まれるようになる




私どもは 信心をさせて頂くと言いますが

その信心をする者と しない者の違いがどこに有るのか




また私どもがそれこそ この世に生を受けた

いわゆるその人生の目的と言うものは何であるのか




人によって色々有ると言われるかもしれません

ある人は それこそスポーツ選手になって成功しようと




オリンピックで言えば金メダルを取ろうと

そこに人生の目標を定める人も居られるでしょう




あるいはお金持ちになると

お金が有れば何でも出来ると




また有名人になろうとか 政治家になろうとか

権力を手にする 夫々様々の欲望と言うのでしょうかねぇ




その自らの欲望を満たす その事の為に一生を過ごす

そう言うものが多いのではないでしょうかね




そう言う中にあって 人生の目的

人がこの世に生を受けた本当の目的と言うものは何か




それはやはり 心を育てると言うこと

この世は魂を磨きに来たのである と言われる




この世に来た この世に居るその目的 本願と言うのでしょうかね

それは魂を清める事 心を磨く事に有る




と言うのが本当の答えだろうと思いますね




しかし中々その本当の事を教えて下さる

或いはその本当の答えを見い出す事が少ない




そして私は何の為に生まれて来たのだろうかとか

私の人生は何の為の人生だろうか




と迷い道に入ってしまう

そう言う方達が多いのではないでしょうかね




これは信心する者 信心しない者

或いはしていない者に関わらず




人生の最大の目的

それは心を育てる事にある 魂を磨き清める事にある




これは全人類共通の事だと思いますね

信心が有ろうが無かろうが 本来そこに目指しと言うのか




目標を置かなければならない 人生の目標をですね

しかしそこに目標を定めている人が少ない




普通は教えてもらえないからですねぇ

その私ども人間の人生の目標を教えてくれる




それがあるいは一つの宗教と言うのでしょうかねぇ

信心の目的と言うのでしょうか でもあろうかと思いますね




やはり信心をして それこそ師匠から教えてもらって初めて

人生の最大の目的は何か




人間がこの世に生を受けたその目的は何かと言う事を

教えて頂いた様に思いますね 信心をさせて頂く者にして初めて




人間がこの世に生を受けた その本来の目的

本願と言うものを教えて頂く事が出来る




それは魂を磨き清める事だと

心を育てる事だと




そしてまた同時に

なる程信心はなくとも 本を読んだり見たり




そう言う哲学書を読んだりして

そう言う事に目覚めた人が居られるかもしれません




しかし本を読んでそこに目覚めたからと言って

神様の特別のおかげが頂けれるとは思えませんね




その神様との御縁を頂く

いわゆる頭で考えて なる程心を育てよう と言うのではない




実際に神様を体験して 神様の御働きを体験して

なる程神様のおかげを頂いて 神様と共に自らの心を育てて行こう




自らの魂を磨き清めして行こう とその神様と共にと言うのか

神様のおかげを頂いて心を育てて行こうとする人の上に初めて




神様の特別の御働きが頂けれる

それこそ奇跡的なおかげも頂けれる事も有りますね




いや寧ろ毎日が奇跡の連続と言うのが本当でしょうね

私どもが何かやろうとして 本当は出来る事ではない




師匠が吾無力と言う境地に到られた

そこに到ると日々起きて来る事柄 それは奇跡の連続だと




これは感じるものですね

おかげの世界が広がって行く




それは今まで一頂いていたおかげが 十おかげを頂く様になる

と言う事もありましょうけれども




また今まではおかげと感じていなかったものを

おかげと感じる様になる




だから頂いているものは同じでも 有難いと言う感謝の心の方が

一から十に増えると言うのでしょうかね




今まで頂いていると思っていたそのおかげが

実は氷山の一角にしか おかげと気付いていなかった




本当はその九割方は隠れていた

その隠れている所もおかげだと




それこそ難儀もおかげであった

難儀のおかげで心を育てて頂く事が出来た




頂く事が出来ると言う事が本当に分かれば

難儀もおかげだと言う事になりますねぇ




それが自分に好都合の 良いおかげと言うのではない

その事によって心を磨く事が出来る




いわゆる本願を達成する為のおかげだと

言う事になりますね




おかげの世界が広がるとは 何も頂くものが広がるのではない

おかげと感ずるものの世界が広がると言う事も有りましょうね




どう言う心を育てれば良いのか それを教えて下さる

そしてまたそこに神様の奇跡的なおかげも頂けれる




と言うのが信心だと思いますねぇ




で今日神様がお示し下さる それは 教祖様のこの御理解に有ります

人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心せよと




いわゆる人を助ける心を作れと

人の助かりを祈る心を持てよと




そしてまたその人の助かりを祈る事 人を助ける事それが有難い事だと

そう感じる心を育てて行け と言う事ですね




私どもがこの世に生を受けたのは

魂を磨く事だ 心を育てる事だ その事の為に生を受けた




これは万人がそうなのだ だけれども信心をさせて頂く者は

そこに神様のおかげを頂いて 心を育てさせて頂く




その神様のおかげを頂いて心を育てさせて頂く所に

神様のまた奇跡的な御働きをも頂く事が出来る




道は孤ならず

と言われる所以が そこに有る様に思いますね




なる程一人だけで 自分だけで心を育てようとする事も

出来なくはないのかもしれません




しかしそこに神様のおかげを頂いて させて頂くと言うところが

信心の味噌でもある様に思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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