今日も和賀心学 (2022-02-14)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
お道のあり方について考え直させられる様な成行きを頂いた。心中祈念の時「しきりなおし」と頂いた。教祖様がこのお道をお開き下さった原点に立ち帰る時なのかもしれない。それは「世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ」と、天地金乃神様と氏子との取次ぎの道への回帰でもあろうか。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 126頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
障子一重がままならぬ人の身ぞ
なんと悲しい迄の表現である
然しこの事を悲しい迄に感じとった時
すがらずにおれぬ 任せる外なしの心が開ける
初めて真の信心の第一歩と
いえるのではなかろうか
障子一重がままならぬ人の身ぞと
人の身ぞと言う御教えですね
これは私ども一人一人の事について
教えて下さって居られるのだと思います
ここが大切なとこだと思うのですね
この御道のあり方としての大切な所
それは一人一人の私どもが助かって行く事を目指した御道である
と言う所ですね
実はある 教師の会議の議事録を昨日読ませて頂いたのですけれども
それである提案と言うのでしょうか 議案が出て居りましたが
その事を昨日から思わせられているのです
そして今朝の心中祈念の時にも
その事をやはり思わせられて居りましたら
しきりなおし と頂きました
仕切り直し 最初からやり直すと言う事でしょうかねぇ
で どう言う事だろうかと
続けて思わせて頂いて居りましたら
なる程 例えば西洋における
その三大宗教とか言われるその宗教
その元々の始まりは ある意味 民族を救う
と言う様な民族宗教的な色合いが濃いですね
なる程確かに個人個人の救済を目的とした所も有りますけれども
どちらかと言うと その自分達の民族が救われる事を目的としている
と言う所も有る様な感じが致しますね 勿論その中には
一人一人の助かりも含まれているのでしょうけれども
大雑把に言うと 民族を救う
自分達の民族を救う為の宗教と言うのでしょうかね
ところが教祖様が開かれたと言うのでしょうか この御道には
民族を救うと言う様な感覚はどこにも無い様に思いますねぇ
有るのかもしれません 私が知らないだけかもしれませんけれども
どこまでも一人一人の助かりを求めて居られる様な感じが致します
今朝頂きますその
仕切り直し と言う事から
やはりこの御道の教祖様の原点に
帰らねばならないのではなかろうかと思うのですね
ではこの御道の原点は何かと それは例えば会堂であったり
人が沢山集まると言う所であったり そう言う事ではない訳ですね
なる程教団として発展する そうすれば大きな建物も要る
人が沢山集まって来る
その西洋の宗教では
その人が沢山集まって来る
そして日曜なら日曜度に人が集まり
神様にいわゆる御祈念をすると言うのでしょうかね 礼拝をして
そして御教えを頂く と言った様な形になるのでしょうけれども
それが西洋の宗教のあり様ですねぇ
ところがこの御道 教祖様の場合は
出発点はそこでは有りませんねぇ
西洋の場合には牧師さんが居て
その教会と言うものを建てて
そこに人が寄り集い 礼拝をする
と言うのが一般的な形なのでしょうけれども
この御道は少し違う様に思いますね
それはやはり原点は立教神伝と言われる その神伝
神様から教祖様が
世間になんぼうも難儀な氏子あり 取次ぎ助けてやってくれ
と言うここにやはり始まるのだと思いますね
難儀な氏子の願いであったり その難儀であったり
それを神様に取次ぐ そしてまた神様の願いを氏子に取次ぐ
その何と言いましょうかねぇ そこに助かりが生まれる
これがやはり原点である様に思いますね
そこには一人の人間の助かりが
先ずは原点であると言う事ですね
集団の助かりを目指したものではない
集団の礼拝を目指したものではない
なる程家族勢を揃えて信心をせよ と言う御教えも有りますから
どこまでも一人と言う訳では有りませんね
勢を揃えた信心 それもまたやはり大切ですけれども
それは天の心を醸成する為のものの様な感じも致しますね
なる程教祖様の御晩年には
理解だけでよしと言う事でしたから
それは神の願いを 氏子に聞いてもらい それで助かってもらう
と言う神様の願いが御晩年には吐露された
それこそ天地書附なども
これは神様の氏子に対する願いであろうと思うのですね
その神様の願いが 氏子の助かりを願い
こうあったら助かるぞと 氏子への願いが吐露される
その前の段階においては 難儀な氏子を取次ぎ
助けてやってくれと言う 先ずそこから始め直すのだと
仕切り直すと言う事であれば
難儀な氏子の願いを取次ぎ助けてやれと
言うのが
神様が今願われておる事ではなかろうかと
それがどこからか薄れて来て
神様の願いである所の御教えを伝える事
その方に偏っていると言うのでしょうかね
偏ってしまったと言うのですか
氏子の願いを神様に取次ぐと言う事が
少し希薄になって来たと言う感じが致しますね
勿論その 氏子の願いを神に取次ぎ 神の願いを氏子に取次ぐ
その双方向の取次ぎがなされねばならないのですけれども
神様が その教祖様の御道開きの原点に帰れと 仕切り直しをせよと
何か今朝は心中祈念の時に そう頂いた様に思います
この御道のあり方をもう一遍原点に帰って考え直し
そこからの再出発 仕切り直しですねぇ
と言う事をさせて頂く時が今来ている
と言うものを感じさせて頂きますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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