今日も和賀心学 (2022-02-11)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師の教えて下さる事を頂き違いをしては居ないだろうか。世間で言われる成り行きと師匠が言われる成行きとはその意味合いが微妙に異なっている。天地のリズムと言う事でも、師匠はオタマジャクシを一つ一つ並べて行って初めて一つの本当の素晴らしいリズムになってくると仰って居られる。
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(和賀心教典 371頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第59節
習うたことを忘れて もどしても
師匠がどれだけ得をしたということはない
覚えておって出世をし
あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば それで師匠も喜ぶ
おかげを落としては
神は喜ばぬ
おかげを受けてくれれば
神も喜び 金光大神も喜び 氏子も喜びじゃ
神様のおかげで今日の私がある
と悟った時から本当の信心が出来るのに
反対に
かえって後ろ足で砂をかけて行くような人もある
後ろ足で砂をかけて行く様な人もあると
一寸心しなければならない様な師匠の表現ですけれども
後ろ足で砂をかける これはある意味
恩知らずと言う様な事になるのかもしれませんね
その師匠の恩と言うものをよくよく分からねばならないと
師匠のおかげで それこそ出世したと言うのでしょうか
この習うた事を忘れてと その師匠から習うた事を忘れる
あるいは習うた事を正しく理解しない
その様な事がやはり後ろ足で砂をかけると
言う様な事にもなるのではないでしょうかね
ある意味大変心しなければならない事だなと
師匠が教えて下さる事を頂き違いをすると言う様な事も
その中に入るのではないでしょうかねぇ
実は昨日はその
私が頂き違いをしていた事を気付かされたのですね
ああなる程こう言う事を
の意味で使われて居ったのかと改めて分からされました
師匠が教えて下さった事 習うた事と簡単に言いますけれども
それを頂き違いをしておる と言う事がやはり有りますねぇ
師匠が伝えようとされた事を正しく受け止めているか
それこそ後ろ足で砂をかける様な事になってはいないだろうかと
今日はよくよく反省してみなければならない
と神様が仰って居られる様に思います
成行きを大切に
と師匠は教えて下さいます
その師匠大坪総一郎師が言われるところの 成行き
これを普通の常識で 成り行きと考えてしまいますけれども
師匠の言われる成行きと世間で言われる成り行きとは
その意味合いが少し異なっていますね
師匠が言われる 師匠が使われる成行き
と言う事がどう言う事なのか
世間で使われる成り行きとは少し意味が違うと言う事を
ハッキリ理解しなければなりませんし
またその事を伝えて行かなければならない
と思いますね
今朝頂きますのは 昨日から頂きますのは
その 天地のリズム と言う事についてなのです
今まで私が感じて居りましたのは
例えばあの人に会いたいなあと思う
そして丁度バスに乗った そしたらその会いたいなと思った人が
次のバス停で丁度乗り込んで来たと
ああ今あなたに会いたいと思っていたのに 会えたと
リズムですねぇ と言った様な事ですね 神様の御働きをそこに感ずる
その一つの事に天地のリズムを として頂くと言うのか
感じると言うのか そう言う頂き方だったのですけれども
師匠の研修を頂いて居りますと 師匠の言われるリズムと言うのは
そうではない事がやっと分かりました
なる程そう言う感覚と言うのでしょうか
フィーリングと言うのでしょうか
そう言うもので
ああなる程これは神様の御働きだなと言うものを感じる
それが 1回だけ感じただけでは駄目なのだと
それは丁度オタマジャクシの一つだと
ですから神様を感じる 何と言いますかねぇ
やっぱりフィーリングと言うのでしょうかねぇ 天地の働きを感じる
その一つ一つが並べられる 言わばそのオタマジャクシが一つ一つ
そのオタマジャクシを一つ一つ並べて行って初めてリズムとなるのだと
だから 1回神様の御働きを感じたと あぁこれは神様の御働きだ
と言うだけではリズムではない訳ですね
その神様の御働きを感じる一つ一つが 並べられて行って初めて
その素晴らしい一つのリズムともなると
ですから毎日一日の中で神様の御働きを感じる
実感すると言う事が重ねられると言うのか
繋がると言うのか 並べられて来なければならない
幾つも感じなければならないと言う事になりますねぇ
その神様の御働きを幾つも感じる その幾つも感じた
その一つ一つのオタマジャクシが並べられて 初めてリズムとなる
と言う表現をして居られました
ですからただ会いたいなと思っていた人が
丁度バスに乗り込んで来て会う事が出来た
と言うこれなどはオタマジャクシの一つに過ぎませんね
言わば天地のリズムの中の一コマと言うのでしょうかね
決してその事がリズムと言う事ではない
そう言う事が幾つも重なって 重なると言うのはおかしいですねぇ
そう言う御働きに幾つも触れて
その御働きを並べて行った時に 一つのリズムとなる
言わば天地のリズムとなると言う事になりますね ですから
そのオタマジャクシを 1つ書いただけではリズムにはならない
オタマジャクシを沢山並べて行って初めて
天地のリズムと言えれる様に 実感出来れる様になるのだと
言う事なのですね
ですからどうでも私どもが日々の生活の中に
そのオタマジャクシを一杯感じ 並べて行かなければならない
そして並べる中に
神様の素晴らしいリズムを聞き取って行かなければならない
と言う事になりますね
師匠が教えて下さる事を
それこそただ上っ面だけ頂くのではなく
正しく師匠の意味される所のものを
正しく頂いて初めて 何と言いましょうかねぇ
後ろ足で砂をかける様な事の無い生き方に
なるのではないでしょうかねぇ
それこそ間違った頂き方 頂き違いをしていたのでは
後ろ足で砂をかけるのと同じ様な事になるのではないでしょうかね
改めて心して行かねばならないと
今朝は思わせられた次第です
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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