2022年2月4日金曜日

天地金乃神様は私どもの心根を、心の動きを見て居られる (2022-02-04)

 今日も和賀心学 (2022-02-04)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


天地金乃神様は私どもの心根を見て居られる、心の動きを見て居られる。師匠大坪総一郎師は、人から笑われても神様から笑われてはならないと教えて下さった。御用姿勢と言うが、自分がおかげを頂きたいからの御用、御礼の為の御用、したいからする御用と色々有るが、人の助かりを願っての御用でありたい。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 356頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第54




徳のないうちは心配する

神徳を受ければ心配はない




まず御神徳を受けたい




ある人は

金光教の信心は一切をおかげにしていく道だ と説かれた




合楽では

一切をお徳にしていく道 を教える




先ずは

一切神愛論 のマスターから




御神徳を受けたいと その御神徳

それは神様の御信用だと教えて下さいます




神様から信用してもらう

神様の信頼を頂くと言う事でしょうか




ではどうしたら

その神様の信頼を得る事が出来るだろうか




これは信頼を得ようとして何かをする

と言う事で信頼が得られるとは思えませんね




一寸矛盾した様な話ですけれども 師匠は正直な所

神様の御徳を頂きたいからと思って信心をした事はない




と言う様な事を

仰って居られました




余り公にはされていないのかもしれませんけれども

私にはそう仰いました




自分はそれこそ御神徳を頂こうとして信心をしたのではないと

しかしお説きになる時には 御神徳を目指しなさいと説かれます




一寸矛盾が有る様に思いますけれども

それはその通りだと思います




なる程御神徳を頂く為に信心をさせて頂こうと言う

そう言う心根がやはり有る時が まぁ必要な時が有りますね




しかしその心の底に 例えばそう言う

よし神様から一つ信用を頂いてと言うのか




神様の信用を頂こう 御神徳を頂こう

と言うそれが目的であったのでは これはまた妙な事になりますね




神様が決してそう言う人に

御神徳を与えて下さるとは思えませんね




それは 人に気にいってもらいたいから何かをする と言う様な

言わば下心が有っての信心と言う事になりますからね




愈々本当の所になって来ると

私は神様から信用してもらいたいから何かをすると言うのではない




御神徳を頂きたいから

神様に気に入ってもらいたいから何かをすると言うのではない




ただもう私がしている事 行う事 心に思う事

いわゆるそれが天地に通うと言うのか 神様に通うのだと




言う事になって来なければ

いわゆる本当の神様の信用と言うものは付いて来ないでしょうね




誰かにそれこそ気に入ってもらいたいから

おべんちゃらを使う そう言う人を信用出来るとは思えませんね




一寸矛盾した様な話に聞こえるかもしれませんけれども

信心の初めの頃には 確かに神様の御信用を頂きたい




御神徳を頂きたいと思うて信心を進めるのは

良いのかもしれませんけれども




愈々佳境に入る

本当に神様の御心に通うと言う段階になると




神様の信用を頂く為にこれをしようとか

神様から信頼してもらえる様に これをしようと




いうそう言う事では

神様には通わないと言う事ですね




神様から信用してもらいたいと思ってするのではない

ただもうひたすら自らの心を磨き ただひたすら自らがしている事




それが天地に通うものである様な私どもにならなければならない

と言う事ですね




ある意味それは師匠が教えて下さる 木鶏の話が有りますね

その木鶏に通じるものかもしれませんね




それこそ信用してもらいたい




信用してもらいたい 信用してもらいたいと言うものが有る限りは

決して信用して下さる事はないと言う事ですね




寧ろもう信用されようが どうしようが どうでも良い

と言う心根になって




そして する事なす事が神様の御信用を

神様の御心に適う事をしておる




と言う時に本当の御信用が頂けれる

と言う事になりますねぇ




これは教えを伝えると言う事においても

その心根が大切ですね




なる程合楽理念を伝えようと願います

それがどう言う心根でなされているかと言う事ですね




例えば美味しいものを食べる あぁこれは美味しいと

だから皆にも食べてもらいたい 皆にも勧めようと思う




それが その自分が美味しいと感じたから

皆にも勧める その心根が 2つ有りますね




一つは自分が美味しいと感じたから

皆にも美味しいよと教える




それは教えたいから教えると言う

これでは未だ我欲の域を 我情我欲の域を出ていませんね




それがもう一つ先へ進んで

美味しいものを食べて頂きたい 皆にも喜んで頂きたい




と言う願いから 美味しいよと勧める

そこに至るとまた話が違って来ますね




いわば教えを伝えるでも この教えは素晴らしい

だから皆に伝えようと言う所からもう一つ一歩先に進んで




皆に助かってもらいたい この皆に助かってもらいたいと言う事が

その心根が根底になからねばならないと




そして人々に助かってもらいたいから

その助かってもらう為には この教えを伝えねばならない




ですから 教えを伝えたいから伝えるでは駄目だと

言う事なのですね




人々に助かってもらいたい 幸せになってもらいたい

その為にはこの教えを伝えるしかない




と言うその根底に 人が助かる事を願っての教えを伝える

でなければ神様には通わないと言う事ですね




大変微妙な所ですけれども これがやはり神様の御心に通うと言う事が

そう一筋縄で行くものでも有りませんね




何が神様の御心に通うのか

またそれが分かったからと言って




その神様の御心に通う為に こうしようと言う事では

これでは未だ通わない と言う事なのですけれどもね




私どもの焦点と言うものが やはり人が助かる

と言う事に焦点が置かれての あれであり これである




と言う時に初めて

神様の御心にも通う事になるのではないでしょうかね




どうでもその 焦点を間違えない様に と言うのか

そこに焦点が定まる様な心のお育てを頂かねばならない




その定める所は 人が助かると言う事

勿論それが神様の助かりにも繋がると言う事では有りますけれどもね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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