今日も和賀心学 (2022-02-22)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は師匠大坪総一郎師の、確信こそ心の守りであると言う御理解を頂き直して居る。おかげに成るだろうか、ならないだろうかと迷う心にはおかげは無い。人が必ず助かる、天地金乃神様が必ず働いて下さると言う確信、師匠の祈りへの強い確信が神様をも動かす。半信半疑では神様も動いて下さらない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 382頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第63節
一粒万倍といおうが 一人がおかげを受けたので千人も万人も
おかげを受けるようになるから よい手本になるような信心をせよ
善い手本になるような信心とは
どんな信心を言うのであろうか
信は光なり
信の光が心に点じられる
その光で自分の心の中の暗黒面がハッキリしてくる
そこから真の改まりがなされる
又その光は自分の周辺を明るく照らしてくる
いよいよ光は広く輝くようになる
その光に潤う者 数かぎりなく信心の喜びをたたえるであろう
まさしく一粒万倍ではある このような信心をさせて頂きたい
一粒万倍となる様な信心
そのやはり信心させて頂くからには
神様のおかげを頂く 神様の御働きを頂いて行く
その神様の御働きを頂いて行くと言う事を
自らが頂くばかりではない
その周辺の人達にも おかげが頂かれる様に
と言うその輪が広がって行くと言う事だと思いますね
神様のおかげを頂く
なる程今までは自力で何事もなして来た
それが神様のおかげを頂いてさせて頂く
と言う世界にならなければならないと思うのですね
やっぱり信心をさせて頂くと言う事は
勿論自らの心を改まって行く 心を育てて行くと言う事も大切です
と同時に それこそ奇跡的な神様のおかげも頂いて行く
頂けれる道であると言う事ですね
自らの心の成長 そして神様の奇跡的なおかげを頂いて行く
この 2つの事が相まって行かねばならないと思うのですね
そうでなければ信心させて頂く甲斐が無い
と言う事になると思いますね
今朝はその 神様の
それこそ奇跡的なおかげを頂くと言う事について
師匠が教えて下さる 確信こそ心の守りである
と言う事を改めて 今朝は頂き直して居ます
この事がおかげに成るだろうか ならないだろうか
それこそ取次者が 誰かがお願いに来られる
さあ私で果たして人が助かるだろうか
助からないだろうか
本当に助かるのだろうか と言った様な
心が定まらないと言うのでしょうかねぇ
そう言う様な心では やっぱりおかげにはならない様ですね
先ず確信が要る様です なる程おかげになると
おかげになるだろうか ならないだろうかと言う所には
おかげになりませんねぇ
人が助かるだろうか 助からないだろうか
と言う所には 人は助からないと言う事ですね
必ず助かる 必ず神様が
そのおかげと言うのは
私どもが願い通りのおかげであるか 願いに反するおかげであるか
それはそれこそ神様任せと言う所ですね
しかし間違いなく
私どもを真の幸せへと導こうとして 神様が下さるおかげ
それは例えば そうですねぇ 受験なら受験で
その学校に合格する事が果たして本当の幸せに繋がるのか
不合格になる事が本当の幸せに繋がるのか
その時点では中々分かりません
それは神様の方が 私どもの将来の事を見通して
その時点時点において合格のおかげであったり
不合格のおかげであったり おかげを授けて下さる
なる程私どもの願い通りには行かないかもしれない
けれども間違いなく神様が私どもを助けて下さる
助けようとして居られる その為のおかげだと
神様が間違いなく助けて下さる
そう言う いわゆる好都合のおかげばかりではなく
不都合のおかげをも おかげとして
間違いなく神様が助けて下さる 助けようとして居られる
その為に働いて居られる
働いて下さると言うその事の確信ですね
そこの確信が出来なければ
やはり奇跡的なおかげを頂くと言う事も難しいですねぇ
なる程信じさせる為に働きを現して下さる事も有ります
より真実の事を分からせる為の御働きを下さる事も有ります
必ずしも私どもの願い通りに事が運ぶかどうかは
それは神様の御教導のテクニックと言いましょうかねぇ
そのテクニックの次第で いわゆる現れて来る
と言う事ですけれども
その私どもを幸せにする為に 神様があの手この手を使って
働いて居られる と言うそこを確信して行く
この確信 それがまた
次の神様の御働きを呼ぶと言うのでしょうかね
なる程神様が間違いなく助けて下さる
いわゆる本当の意味においてのおかげを授けて下さる
と言うその確信がなければ
その確信が愈々強くなって行かなければならないと言う事ですね
と同時に師匠が バックで祈って下さっていると言う
その師匠の祈りをまた確信する そう言う確信がなければなりませんね
いやなければならないと言うか 育って来なければならない
愈々その師匠の祈りへの確信が強くなって来なければならない
そしてそれが自信ともなる訳ですね
師匠が守って下さっている 師匠が祈って下さっている
と言うその師匠の祈りを確信する
そこがやはり特に取次者にとっては大切だと
言う事になりますね
自らの 神様の助けようとして居られる働きへの確信
そして師匠が祈って下さっていると言う事への強い確信
その確信が有って初めて 人の助かりにも繋がる
それこそ光ともなる
その光とは 先ずは
自らの心の中に頂く確信だと言う事も言えると思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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