2022年2月19日土曜日

弟子の使命は師匠の教えを正しく伝えること (2022-02-19)

 今日も和賀心学 (2022-02-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


教会は教会家族を養う為に在るのでは無い、人が助かる為に、難儀な氏子が助かる為に有るのである。若し人が助かる働きが無くなったら教会存続の値打ちは無い。師匠の弟子は弟子自らの為に在るのでは無い、師匠大坪総一郎師が教えて下さった事を違える事なく正しく伝える為に有るのである。それが人の真の助かりに繋がる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 413頁)


ビデオ: https://youtu.be/Et_Fot5noFE

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合掌

中原博信

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御理解 第73




変人になれ 変人にならぬと信心はできぬ

変人というは 直いことぞ




ここで変人と言うのは

真実のことをわかろうと意欲してつとめる人を言うのです




人間の身体の中にも 感じるところと 感じないところがあるように

神さまは真の変人ぶりを発揮する人間に感じなさる




師匠のミニ御理解に

真実の事を分かろうとして意欲すると




真実の事を分かろうと意欲して努める人を変人と言うのだと

真実の事を分かろうと努める人




実はここ数日頂きますのは

その真実の事を伝えると言うのでしょうか




ここではミニ御理解では 師匠は 真実の事を分かろうと努める

そして今度はその真実の事が分かったら




その真実の事を真実の事として伝えて行く

その事に努める事が要ると言う事なのですね




間違った事を伝えてはならない

真実の事を真実の事として伝える




それは師匠が教えて下さった事を

違えて伝えてはならないと言う所から来ているのですね




昨日傘についてのお話をさせて頂きましたけれども

それも実は間違った事を伝えてしまっている




その事に対しての反省と言うのでしょうか




そこから真実の事 師匠が真実に伝えようとされた事

師匠の真実の言葉を伝えろと言う事なのですね




私どもやはり弟子として

師匠大坪総一郎師の弟子としての使命




それはやはり 師匠が教えられた事を間違いなく伝えて行く

と言う事が先ず第一だと思うのですね




ところがどこからか

やはり自分の思いと言った様なものが出て来たり致します




例えば教会なら教会と言うものを 何か預かったり致します

そうするとついつい教会維持の為の教会と言うのでしょうか




寧ろ教会家族の存続の為の教会

と言った様な事になってしまいがちですね




そうではない 師匠が教会となったのは

別に師匠が また教祖様が教会を作ろうとされた訳ではない




そこに人が助かると言う事の為に

その必要なものとして 神様がお作りになられた




ですからそれはどこまでも人が助かる為

人が助かる為の教会でなければならない




教会と言うものが 人が助かる為に有るものだと言う事なのですね

そしてではどうあったら人が助かるのか




私ども師匠の弟子としては それは神様が人が助かる為に その為には

師匠の教えを違える事なく 違える事なく伝えてくれよと




その師匠の御教えを正確に伝える事

それが人が助かる事になるのだと




人が真に助かって行く事の為には 師匠の御教えを正しく

間違える事なく伝えて行かねばならないと言う事だと思いますね




そう言う所から出たところの

昨日今日のお話と言う事ですけれども




今朝のミニ御理解にも有ります

真実の事を分かろうと意欲して努める人を言うのですと 変人ですね




そして更にその真実の事を分かった人が 真実の事を習った人が

真実の事を真実の事として伝えて行く




その事に努めなければならない

と言う事なのですね




実は昨日私が伝えさせて頂きましたのは

不十分な所が有りました




それは御理解の前に頂いた事ですから

私の記憶の中に有る事だけでお話をさせて頂いたのですけれども




これではいけないと言う事を改めて気付かせて頂き そしてその

実際本当にその箇所はどうなっているのかと見させて頂きました




ですから今日は正確にその事を

お伝えさせて頂きたいと思います




それは和賀心教典の御理解第89

此方の道は傘一本で開くことができる




ここですね 今 お勇みが有ったと思いますねぇ

やはり神様が 正確に伝えてくれと




師匠が語られた事を正しく伝えてくれと

仰って居られる様に思いますね




その昭和4779日のミニ御理解




一つ 此の方の道は真心一つで開くことができる

一つ 此の方の道は和賀心になれば開くことが出来る




一つ 此の方の道は神さま一心を出せばおかげが頂ける

真心一つが 和賀心が 神さま一心がなかなかむずかしい




真心 和賀心一心に求める信心から生まれるやすらぎの心

安心の心が一切をおかげにしてゆく




外出の時 傘一本持って居ればいつ降ろうが照ろうが安心であるように

信ずる心から生まれる安心が一切の道を開くのである




と ここの 外出の時 傘一本持っておれば と替わっているのです

これは原文では 外出の時 一本傘を持っておれば が原文です




傘一本持っておれば ではなく

一本傘を持っておれば と言う事ですね




一本傘を

傘一本 ではなく 一本傘を です




そんな事かと 同じ様な感じじゃないか

似た様なものじゃないか と思われるかもしれませんけれども




師匠の御理解は

似て非なるものが有ります




神様が伝えようとして居られるのは

私どもが感じる所の信心では有りませんね




師匠が感じられた信心 師匠と神様との間に作り上げられた その信心

師匠の信心を間違える事なく伝えてくれよと言う事なのですね




そう言う意味においても その後 昨日

まつわる話をさせて頂きましたが これも実は正確では有りませんね




昨日の段階で 私が覚えている所を 記憶している所を

伝えさせて頂いたのですから




概要としては

そう言う概要でしたけれども




正確な師匠の文言と言うのでしょうか

それをやはり伝えればならないと思います




ですからその近い内に 正確な これは活字にしてしまうと

その師匠のニュアンスが伝わりません




ですからやっぱり師匠が話された そのままの

生のお声で伝える事でなければ




それこそ活字にしてしまうと 師匠の語り口調の

その間の取り方であったり あるいはそのお声の抑揚であったり




小さく言われる所 大きく言われる所

そう言うものが活字では伝わりません




どうしても活字では

真実のものを伝える事が出来ませんね




ですからこれは その師匠がお話下さった部分を改めて

その部分を何かの形で伝えさせて頂きたい と願って居ります




例えば教会と言うもの 或いは私ども師匠の弟子と言うもの

それは人が助かる事の為 その為のお役に立つ為に有るのだと




そしてどうあったら その人が助かる事になるのか

それは師匠をが教えて下さった事を 違える事なく正確に伝えて行く




勿論 自分自身が行じると言う事も

勿論ですけれども




と同時に師匠の教えて下さった事を正確に また

より多くの人に伝えて行くと言う使命もまた有ろうかと思いますね




それはどこまでも

人が 難儀な氏子が助かる事の為と言う事ですね




ここがずれてしまいますと全てがずれてしまいます

心せねばならない所だと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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