今日も和賀心学 (2022-02-24)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、成行きを大切にと教えて下さるが、実は師匠は成行きを大切にされたのではないと今朝は頂いた。どう言う事かと言うと、師匠が大切にされたのは成行きではなく神様だと。師匠が最も大切にされたのは天地金乃神様であり、その御心の表れとしての成行きに大切に処して行かれたのだと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 350頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第52節
信心する者は驚いてはならぬ これから後
どのような大きな事ができてきても 少しも驚くことはならぬぞ
真っ暗闇だから不安になる
信心の光がさす時安心が頂ける
神の偉大な働きを実感する時
そこに信心の喜びが湧いてくる その喜びが不可能を可能にする
信心の喜びが湧いて来ると
その信心の喜びとは どう言うものを言うのでしょうかねぇ
例えばそれこそ願い通りになる
信心して願い通りになる 思わぬおかげを頂く
或いは願い以上 思い以上のおかげとなる
そう言う様なやっぱり何と言いましょうかねぇ
それこそ今まで思ってもいなかった事が実現すると言うのか
また願い通りに事が運ぶ と言う事よりか
何か新しい事が分かる
と言うのでしょうかね
新しい発見をする それは勿論色々な事が
科学の上での発見なども有りましょうけれども
信心の上で新しい発見をさせてもらう
そう言うそこに信心の喜びと言うのが有るのではないでしょうかね
おかげを頂く喜びとは別のものですね おかげを頂く喜び
自分の願い事が叶う喜び とはもう一つ少し違った信心の喜び
信心の上で何か新しいものを発見したり
分からされると言う喜びですね
それは師匠は 信心の驚きと喜びと教えて下さいますが
驚いてはならぬと言われても やはり驚く様な事が有りますねぇ
それは有難い喜び 嬉しい喜び
失礼 嬉しい驚き 有難い驚きですね
今朝頂きますのは 一寸変わった事を頂きました
これが一寸した信心の驚きでは有ります 私にとってはですね
それは師匠大坪総一郎師は
成行きを大切にと教えて下さいますけれども
師匠は 成行きを大切にされたのではない
と頂きました
一寸驚きですねぇ
師匠は成行きを大切にされたのではないと言うのですね
では何を大切にされたのか
それは成行きではなく 神様を大切にされたのだと
私どもはどうしても師匠から
成行きを大切にしなさい 尊びなさいと教えて頂きます
そしてまた 成行きを大切にすれば
思わぬおかげを頂いたり致します
そこでなる程 成行きを大切にすれば 何と言いましょうかねぇ
都合の良いものだと言うのか 良い方に事が行くと言うのか
なる程成行き大切にすれば利益が有るなと
言う様な感じを頂きますね
それで成行きを大切にしようと致します
師匠は その成行きを大切にされたのではないと言うのです
師匠は 神様を大切にされたのだと
その神様を大切にする これが先ず第一だと
そしてその神様の御働き
或いは神様の御心の表れである所の成行き として大切にされた
神様を大切にするその一環として
成行きを大切にされたと言うだけの話だと
例えば ある恩を受けた人
その人の子供さんが来られたと
そしたらその恩ある人の子供さんと言う事で
その子供さんを大切に扱いますね
ぞんざいには扱いませんね
その様な感じだと
そのもし見ず知らずの赤の他人の それこそ誰の子供やら分からない
子供ならば それ程大切にはしませんねぇ 普通に扱う事でしょう
しかしそれが 恩ある人の子供であるとすれば
それこそ下にも置かないと言うのか
普通の人よりかより一層大切に扱いますね
そう言うものだと
だからその子供が 子供に対して大切にしたのではない
それが 恩ある人の子供だから大切にするのだ
それが恩ある人を大切にする事に繋がると言うのでしょうかねぇ
そう言う感覚だと言う事ですね
ですから成行きを大切にすると言うても
決して成行きを尊敬して 成行きを大切にするのではない
その神様の働き その神様を大切にするのだと
そこの大本がはっきりしてないと
成行きを大切にすると言う事の内容が分からないまま
成行きを大切にしてしまうと言う事になりますね
決して成行きを大切にするのではない
大切にするのは神様だと 神様を大切にするのだと
だからこそ中には
成行きの選球眼と言われる事も有る
何もかも成行きを受けて行けば良いと言う時も有れば
受けてはいけない時も有る
それは 神様を大切にすると言う所から見ると
それこそ頂くべき成行き 頂いてはいけない成行きと言う事も
自ずから分かって来る事になりますね
成行きだけを見ると分かりません
大切にするべきものは
神様だと
師匠が仰って居られますね
神様を大切にすると言って神棚を大切にする 神棚を拝む
そればかりではない 成行きを大切にするなら
その神様の御働きであるとして大切にする
神様を大切にすると言うて 神棚ばかりを大切にしたのでは
半分しか大切にした事にはならない
神様の御働きである成行きを大切にする
そこで初めて 勿論神棚も大切にしなければならない
働きである成行きも大切にしなければならない
それで十全に神様を大切にした事になると
師匠が大切にされたのは どこまでも神様だと言う事ですね
そしてその分身と言うのか 御心の表れと言うのか
であるところの成行きも大切にされたと言う事になりますね
どうでもその師匠が大切にされた 大本である神様を大切にする
と言う精神を学ばねばなりません 身に着けて行かねばなりませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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