今日も和賀心学 (2022-02-15)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人が助かると言う事が第一です。それは勿論人の助かりが天地金乃神様の助かりに繋がると言う意味に於いてもです。ではどうしたら助かる事が出来るか、それは和らぎ賀ぶ和賀心を目指して走り出す事です、走り続ける事です。そこに必ず真の助かりの世界へ導き入れられると言う事です。和賀心を目指す事です。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 114頁)
ビデオ: https://youtu.be/6Bth9Iu9fzY
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合掌
中原博信
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御神訓
大酒大食するは絶食のもとになるぞ
信心がなくても誰でも合点のいく御教えだが
実行することは容易くて難しい
教祖の御教えとして改まって頂く時
容易う教えを血肉にすることの出来る教えである
大酒大食するは絶食のもとになるぞと
食べ過ぎ 飲み過ぎと言う事ですね
食べ過ぎたり 飲み過ぎたりするとお腹を壊すぞと
体を壊すぞと 言う事であろうと思います
これはただ食事の事だけには限らないと思いますね
いわゆる食べ過ぎる 飲み過ぎる
それは食べたい 飲みたいと言う欲を満たそうとする
言葉を替えれば その欲ですねぇ
あれが欲しい これが欲しい
それが神様から許されている間は良い
それこそ命の為に食事を頂く
命の為に欲と言うものが必要なものが有りますね
食欲にしろ 睡眠欲にしろ 性欲にしろ
人間がその維持して行くと言うのでしょうか
生存して行く その為に必要な欲と言うものが有ります
しかしそれが過ぎると災いとなりますね
食事も有難く美味しく 生命の為に頂く
そこの間は良いのでしょうけれども
それが食べ過ぎたり 飲み過ぎたり
過ぎると自らの身を滅ぼす事にもなる
あるいは周りの人達にも迷惑を与える事になる
その食べ過ぎる 飲み過ぎる いわゆる欲を持ち過ぎる
師匠が 我情我欲のコントロール
と教えて下さいますけれども
やはり我情我欲を それこそ人が生きる為 生存する為に
ある意味程良い所でコントロールして行かねばならない
それを過ぎると災いの元になる
と言う事ですね
これは何も食事の事だけではない
一切の欲と言うものについて当てはめられると言う事ですね
今朝頂きますのは
一番大切な事 それは人が助かると言う事だと
プライオリティナンバーワンと言われますけれども
それは人が助かると言う事だと
勿論それが 人が助かると言う事が 神様の助かりへも繋がるもの
としての人が助かると言う事でも有りましょう
人が助かる 一切のものはその人が助かると言う事の為に
言わば信心をさせて頂くと言う事でも有りますね
その食べ過ぎない 飲み過ぎない
あれが欲しい これが欲しいと言う欲をコントロールして行く
最低限の欲でコントロールすると言うのでしょうかね
それは人が助かると言う事にも繋がりますね
その 人が助かる為に どうあれば良いのか
これは教祖様がそれこそ おかげは和賀心にあり と教えて下さった
やはり私ども困った事が有ったり
ああありたい こうありたい
あれが欲しい これが欲しいと
いわゆるおかげが欲しいと思います
そしたら教祖様が 天地金乃神様が
おかげは和賀心にあるぞ と教えて下さった
それならば和賀心になれば 病気も治るのであろう
願い事も叶うのであろう 難儀から逃れられるのであろうと思います
そしてその 和らぎ賀ぶ和賀心になろう
と精進致します
これは目の前にぶら下げられた人参を目指して走り出す馬
の様なものでしょうかね
しかしその人参をぶら下げる そして馬が走り出す
走り出す事が目的な訳ですから
人参を目指して走り出す
その事に意義が有る訳ですね
言わば私どもが 人間が 和らぎ賀ぶ和賀心を目指して精進努力をする
と言うそこに意義が有る訳です
そしてその和らぎ賀ぶ和賀心を目指して走り出す 走る
そこに人間の真の助かりが有ると言うのですね
師匠がよく 和賀心になり得ずとも 和賀心を求める所に
神様がおかげを授けて下さる そう言う働きも有るのだと
何も和賀心にならなければおかげを頂けない
と言う事ではない と教えて下さいましたね
それもなる程と合点行きますね
神様の願いは 私どもが和賀心を目指して走る 走り出す
そこに狙いが
願いが有る訳ですから
私どもが 和らぎ賀ぶ和賀心を目指して
走り続ける所に 走り出す所に
それならばと 神様が
必要なおかげは必要に応じて下さると言う事になりますね
私どもがその和らぎ賀ぶ和賀心を目指して走り出す 走り続ける
それが私どもの人間の助かりに繋がると言う事なのですね
またそこを目指して走らない限りは
本当の幸せと言うものには中々入り得ないと言う事でも有りますね
ただ我情我欲が満たされるから そこに助かりが有る
と言う事では有りませんからねぇ
勿論一時的な助かりは有るのかもしれませんけれども
真実の助かりはそこには有りません
真実の助かりは やはり和らぎ賀ぶ和賀心を目指して精進努力をする
走り出す 走り続ける
そこに真実の助かりが待ち受けている
と言う事でしょうかね
和賀心になり得て初めて助かりが得られる
と言う事では勿論有りませんね
その和賀心を目指して走り出す 走り続ける
そこに助かりの世界へと自ずから導き入れられると言う事になりますね
ですからどうでも私どもが助かる その為には
和らぎ賀ぶ和賀心を目指して走る 走り続けると言う事が一番大切だと
言う事になりますね
そしてそこに神様が 必ず助かりの世界へと導き入れて下さる
その為には 和賀心になる為には
色々な精進努力と言うものが要りましょう
そしてまたその一つとしてでも
天の心 地の心 日月の心を身に着けると言う事もまた
和賀心を目指すと言う事の中の一つでも有りましょうね
どうでもやはり目指す所は和賀心
それは人間の助かりの世界と言う事でも有りますね
それを具体的に現したものが
和らぎ賀ぶ和賀心の世界と言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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