今日も和賀心学 (2023-03-30)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
教祖様の場合は、天地金乃神様の方から教祖様に人助けの御用を頼まれた。一方私どもの場合は神様からの頼みが有る訳ではない。が、私どもの中に、神様のお役に立たせて下さい、人が助かる為のお役に立たせて下さいと言う心が育ち、こちらの方から、人が助かる為の働きを現させて下さいとの願いが要る。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 359頁)
ビデオ: https://youtu.be/7UmiDZ7-O7I
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-30.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第55節
賃を取ってする仕事は、若い時には頼んでもくれるが、
年をとっては頼んでくれぬ
信心は、年が寄るほど位がつくものじゃ
信心をすれば一年一年ありがとうなってくる
おかげおかげの信心では
有難い心は育たない
本心の玉を研くことが信心だと悟って信心すれば、
自然と有難くもなれ、信心の位もついてくる
本心の玉を磨くこと、
言わば心が育つ事だと思いますね、
心を、自らの心が育つ事を信心の目指しとして、
信心に取り組む、そのどう言う心が育てば良いのか、
やはり神様のお役に立たせて頂きたい、
ではどう言う役に立ちたいのか、
それは、人が助かる事の為のお役に立たせて頂きたい、
と言う心が育って来る事だと思いますね、
自らが助かり、そして人様も助かって頂きたい、と願う、
またそれが神様の助かりにも繋がる事だと、
神様が助かられる事を願い、人様が助かられる事を願う、
そう言う心が、愈々育って来なければならない、
それがまた、天の心と言う事でもあるのでしょう、
今朝は面白いお夢を頂きました、
ある方が海外旅行から帰って来られるのですが、
それを迎えに車で行かせて頂いたのですね、
それで荷物が沢山有るわけです、
その荷物を車に詰め込んで、
さあその人の家の前まで来たのですけれども、
その方の家の前の道路が、交通規制がされて居ると、
それで通れないと言うわけです、
その家の前まで来て、家の前で荷物を降ろそうとすれば、
その道路を通る許可と言うのでしょうかね、
そう言うものを貰わなければならないと、
誰も彼もがその家の前の道路を通れないと言うわけです、
そしてどこに許可を貰いに行ったら良いのかと、言う様な事で、
色々引っ越し専門の人達が居られますね、
そう言う方達は、そこを通れるわけですから、
そう言う方達の所に頼みに行ったりとか、
色々、あの手この手を探して居るお夢でした、
その荷物は持って来たけれども、その家の前にある道を通って、
そこに、家の前に荷物を運ぶ事が出来ない、
何か特別な許可が要る、と言うわけですね、
さあどう言う事だろうかと、
心中祈念の時に思わせて頂いたのですけれども、
そして、これはこう言う事ではないだろうかと、
思わせられたのですね、と言うのは、
教祖様の場合には、神様の方から、天地金乃神様の方が、
教祖様に人助けを頼まれた、
難儀な氏子を取次ぎ、助けてやってくれと、
神様が、教祖様にお頼みされたわけですね、
ところが、私どもの場合には、神様から頼まれないのですね、
頼まれたと言うのは有りませんね、
また私どもに、神様が、人を助けてくれと、言われる様な事も、
ある人は有るのでしょうけれども、私はないですね、
その信心が足りない、
と言えば足りないわけですから、
そう言う私どもでも、神様のお役に立たせて頂きたい、
と言う心が段々育って来て、
それこそ、人様が助かるお役にでも立ちたい、
と言う心が育って来る、
しかしそう言う、神様のお役に立ちたい、
人が助かるお役に立ちたい、と言う心が育っただけでは、
神様が、人助けの御働きを現して下さる事にはならない、
そこにはやはり、神様の許可が要る、と言うのでしょうかね、
神様から許されて、お役に立たせて頂く、
と言う事になるのでしょうね、
ですから先ずは私どもが、
神様、お役に立たせて下さい、
先ずその前に、そう言うお役に立ちたいと言う心が、
育つ事が先ですけれども、
その心が育ったら、次には、
どうぞ神様、お役に立たせて下さい、
お役に立つと言っても、私がすると言っても、
私が出来るわけではありませんから、
結局、神様のおかげを頂いて、お役に立たせて頂く、
と言う事になるわけですから、
先ずはその、お役に立ちたいと言う願いが育ち、
その、神様、お役に立たせて下さい、と神様に願う心が育って来る、
そしてそれこそ、人が助かる御用にでも立たせて下さい、
と神様にお願いをする、神様のお許しが要ると言うわけですね、
その、人が助かる事のお役に立つため、の
神様のお許しを頂かねばならない、
そしてまたそこに、人が助かる事の為の働きを、
神様に現して頂かなければならない、
その為の願い、を先ずしなければならない、
と言う事だなと、思わせられた次第です、
ですから、教祖様の場合は、
やっぱり別格でしょうね、
教祖様の信心が素晴らしかったから、
神様が、神様の方がお頼みになられた、
しかし私どもの場合には、まだそこまで至りませんから、
私どもの方が、神様に、人を助けるお役に立たせて下さい、
どうぞ、人が助かる働きを現させて下さい、
現して下さい、と言う願いが、
そのお許しを先ず頂かねばならない、
お許しを請う願いが要ると言う事ですね、
そしてそこに初めて、よし、この氏子なら、
と神様が思し召しなさったならば、
その、人が助かる働きを現して下さる事に
なるのではないでしょうかね、
人の助かりを願う心が育ち、
そのお役に立ちたいと言う心が更に育ち、
そしてそのお役に立たせて下さい、
その働きを現させて下さい、
神様、現して下さい、
と言う願いが愈々育って来なければならない、
そして勿論、神様からお許しを頂かねばならない、
と言う事でありますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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