2023年3月7日火曜日

先ずは徳の亡者を目指すこと (2023-03-07)

 今日も和賀心学 (2023-03-07)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


対人関係における難儀は往々にしてお互いの価値観の違いによる所に有るように思う。そして更に相手の「人」しか見えていないからだろう。相手の「人」は神様に操られていると言うこと。私の心を育てる為に天地金乃神が後ろで糸を引いておられる事に気付かねばならない。先ずは徳の亡者を目指すこと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 183頁)


ビデオ: https://youtu.be/CLa9839g3es

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-07.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




悪いことを言うて待つなよ 先を楽しめ




どんな場合でも、ここからの信心という心を頂いてゆけば、

お先真暗という事はありません




これから先どういう事になるだろうか

と思う心が悪いことを言うことになります




よくないことが起こって来る元があります




どんな場合でもお陰の素、お徳をいただくチャンスと頂く時、

むしろ先が楽しくなります




御徳を頂くチャンス、これで御徳が頂けれる、

と言う腹決めと言うのでしょうかね、




そう言うものが、

まず先になければならない、




その師匠は、徳の亡者と言う事を仰って居られましたが、

金の亡者と言うのが有りますね、




やはり私どもが、徳の亡者、

何としても御徳を頂きたい、




と言う徳の亡者になっていないならば、

中々問題を問題で終わらせてしまう事になりますね、




私どもは人生、生きて居る間には、様々な問題が起こって来る、

その問題を問題としてしまう、




特に例えば、南海の孤島であったり、その一人で住んで居る、

と言う時には、別に人間関係の問題などは無いのかもしれません、




単なると言うのか、一番大切な自然との対決、

と言う事になるのかもしれませんが、




人間社会の中で生きて居りますと、

人間関係と言うのが問題になります、




相手の事が気にかかります、

で、人間同士の価値観の違いと言うものも有ります、




例えて言えば、お金を持って居る、

そのお金を自由に使う人も居れば、




ケチケチとお金を使わない、貯め込む、

と言う人も居られます、




そのお金を貯め込む事が好きな人から見れば、

お金を湯水の様に使う人は、




どうした事だろうか、あんなに使って、

と言う事になりましょうし、




またお金を貯める事が苦手な人、

使う事が好きな人からしてみれば、




何とあんなケチケチにお金を貯め込んで、

もっと気前よくと言うのでしょうか、




じゃんじゃんお金を使って楽しめば良いのに、

と言う様な事になるのかもしれませんね、




その人の、自分の価値観と言うのか、

生き方と言うのが有りますから、その尺度で人を見てしまいます、




そしてそこに問題が起こります、問題が起こるのは、

結局、自分の尺度で人を測って居るからですね、




その自分の尺度に人様が合わないと、そこに何と言いましょうかね、

あの人ばっかりは、と言う様な事になるわけですね、




先ず、ものの見方、考え方が、人それぞれ違うと言う事を、

まず認識しなければなりませんし、




私が良いと思う事が、

必ずしも相手の方が良いと思って居るとは限らない、




お金の使い方なども、そうですね、




また根本の問題はどこに有るかと言うと、

その、人を見ている所だと思いますね、




あの人の考え方は、私の考え方と違う、

あの人の生き方は、私の生き方と違う、価値観が違う、




そこに問題が起こる、その人を見ているからですね、

夫婦の間でも、それこそ片っ方は始末倹約の、




例えば奥さんが居るとする、

あるいはご主人が居るとする、




そしてもう片っ方には、

割とお金をお自由に使い込むと言うのでしょうかね、




そう言う人が居る、

夫婦間でもやっぱりそう言うものが有りますね、




一人は貯めようとする、一人は使おうとする、

そこに、お互い問題を感じる事になるのでしょうけれども、




それはどこまでも、相手を見ているからですね、

ところが、徳を頂きたいと、




いわゆるお金がどうのこうのと言う、

金の亡者になって居るのかもしれませんね、




金の亡者になって居る間は、問題が起こりますね、

相手の人と意見が合わない事がよく有ります、




そこで難儀が有ります、人間関係の問題が生じます、

しかしこれが、御徳を頂きたい、




さあこの事によって一徳頂くぞ、

と言う言わば徳の亡者になれば、




その性格の違いと言うものが、

その事によって御徳を頂く素になる事が分かります、




性格の不一致で、離婚をすると言う事が有りますが、

その、金の亡者だから、性格の不一致が離婚の元になる、




ところが、徳の亡者になれば、性格の不一致が、それによって

徳を頂けれると言う事になるわけですから寧ろ財産になりますね、




よくぞこの私と違う性格の人と連れ添う事になった、

言わば、頂けないわけですね、




その頂けない所を頂いて行こうとする所に、

徳が頂けれる、と言う事になりますね、




ですから私どもが、金の亡者ではなく、

徳の亡者にならない限りは、問題は無くなりませんね、




徳の亡者になると、これは例えば、夫なら夫が、

家内なら家内がこうしている、ああしている、




と、見えていたものが、いや、そうではなかった、

この人の後ろには、神様が糸を引いて居られるのだ、




言わば夫は、家内は、神様から操られて居るのだ、

何の為に、それは私に徳を授ける為に、




私の心を育てる為に、この人は神様から操られて居るのだ、

言わば神様の操り人形なのだ




と、言う事になると、問題は解決しますね、




ところが、その人が人間だと、

いわゆるその人が、こうしている、ああしている、




と、その相手の人を見てる段階では、

問題は解決しませんね、御徳は頂けません、




その事が、その相手の人が、神様から操られている、

その後ろには、神様が糸を引いて居られる、




と、そこが見えたら、

そこが見えない限りは、中々頂けませんね、




やっぱり、相手の人を見ているからです、




その相手の人を操っている神様を、

神様が見えて来なければ、御徳は頂けませんね、




先ずは、徳の亡者になる事ですね、

その徳の亡者にならない限りは、




その人を、相手の人を操っている神様の姿が見えないからです、

見ようとしないからです、




どうしても、目の前に居る人どまりになってしまう、

後ろで神様が糸を引いておられる、




と言う事が分からねばなりませんね、

その為には、何が何でも御徳を頂きたい、




それは、人が助かる為に徳が頂きたい、

と言う御徳ですね、




その徳の亡者にならない限りは、

中々問題は解決しませんね、




そしてしかもそれが、相手の人が、

その裏では神様が操って居られるのだ、




と言う事が見えて来ない限り、

問題は解決しませんね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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