2023年3月19日日曜日

師匠大坪総一郎師は常に本当からより真実を追求して居られた (2023-03-19)

 今日も和賀心学 (2023-03-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師は口癖のように、信心は限りがないねぇと仰って居られた。また、本当からより真実を求めて居られた。その時点時点での絶対信を持ち、更にこちらがより真実だと悟られたら、潔く昨日までの本当は間違いであったと捨て去り、より真実の道に進まれた。限りない追求に限りないおかげ。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 273頁)


ビデオ: https://youtu.be/DGJpx2snqPM

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-19.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第27節




昔から、あの人は正直者じゃ、

神仏のような人じゃという者でも、




だんだん不幸なことが重なって、

世間では、どういうものであろうというようなことがあろうが




なにほど、人に悪いことをせぬ正直者でも、

人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別ものぞ




宗教学者でも精神家といわれる道徳者であっても、

おかげは受けられぬ




「別物」と言われるおかげとは

「楽」の下に「有難し」というおかげ




即ち、心身共に極楽に住めること




貧争病のないおかげを受け、

真善美の世界に住める信心者だけの味わいにひたることが出来る




茗荷栄える蕗繁昌

(妙賀栄える富貴繁昌)




妙賀、妙なる賀び、

そこには、富貴繁昌が付き物だと言うのですね、




ではどこから妙賀が得られるのか、

それはやはり、おかげを受けた時の喜び、




自分の願い事が叶ったり、その思い通りになった時の喜び、

勿論それも有るでしょうけれども、それだけではないと思いますね、




師匠が言われる喜びとは、信心の喜び、

と言う事ではないでしょうかね、




勿論、おかげを受けたから、願い事が叶ったから有難い、

喜ばしい、と言う喜び、




そこから更にもう一歩進んで、

信心による喜びと言う事ですね、




その信心による喜びとは、どこから頂けれるのか、

これはやはり、神様の御心に触れた時の喜び、




また神様の喜びが私どもに照り返って来る喜び、

とでも言うのでしょうかね、




それは例えば、痛いけれども有難い、

と言った様な、おかげは頂かないけれども、




自分の願い事は叶わないけれども、

そこに安心、喜びを感じて行ける、




それは、何故か、

やはり神様の御心を感じさせて頂くからではないでしょうかね、




師匠の口癖と言うのでしょうか、




いつも師匠大坪総一郎師は、

信心には限りが無いねぇ、とよく仰って居られました、




そしてまた、限りないおかげを頂く、

と言う事も仰って居られましたね、




何故限りないおかげを頂かねばならないか、

それは、限りなく人々が助かって行かねばならないからですね、




1人が助かれば、10人が助かればそれで十分だと、

言うわけではありませんね、




神様が授けて下さろうとするおかげは、

もうこれまでだと、言う事ではない、




それこそ限りないおかげが頂けれる、

限りない人の助かりに繋がって行く、




為には、そこに限りない精進、

その限りない精進に、限りないおかげが頂けれる、




とも仰って居られましたね、

その言わば何と言いましょうかね、




限りない信心、その精進、追求、

やはり限りない信心の追求が要る、と言う事ですね、




その事に気付かせて頂きましたのは、

実は先日から申しております検索ですね、




全文検索が一応出来たのですけれども、

一応出来たのだけれども、




それでもやっぱり、使ってみると、文字化けが致しますね、

文字化けも、これはこれでもう良いかと思っていたのですけれども、




回避方法が無いわけではありませんからね、

もう一手間かけると、見えるのですけれども、




でも、これではある意味、

利用する人の数も限られる、




人の助かりと言う意味においても、

数が限られると言う事になりますね、




ですから普通に、ぱっと見て、ぱっと表示されるようには、

出来ないものだろうかと、文字化けをなくす方法ですね、




有るには有るのです、

それは私がそれこそもう一手間かければ良いのですけれどもね、




と言う事が分かっておりますから、分かっておりながら、

それをしないと言う事は、怠慢だと言う事になりますね、




ですから昨日からまた改めて、文字化けを、それこそ、

誰でもが文字化けなしに表示される様な、本文を読める様な、




そう言うのを作らせて頂こうと思い、

させて頂いておりますが、




その中には色々問題が出て来ます、中々上手く行きません、

しかし何となく方向が見えて来た所ですけれども、




まだまだ上手く行っておりませんけれども、

まだも少し時間がかかりますけれどもね、




それで改めて、ここまでで良いとか、

それこそ、おかげをここまで頂いたから、これで良いと、




言う事ではない、より真実のおかげ、

本当から、より真実、と言う事を、師匠はよく仰って居られました、




ですから師匠が辿どられた道、それは本当、ここは今は本当だと、

しかしまたその次には、より真実の事が有る、




と、言わば限りなく、より真実を求めて来られた、

と言う事になりますね、




そしてそこに限りない追求、そこに初めて限りないおかげ、

また限りない人の助かり、




と言う事にも繋がって行くのではないでしょうかね、




私どもの中に、ここまで、これだけおかげを頂いたから、

やれやれ、とそのやれやれが出れば、後へ戻る、




とも教えて下さいますね、

それこそ転んでも後ろには転ばない、転んでも前に転ぶ、




どこまでも限りない追求、信心の追求をさせて頂く、

限りない信心の精進、そこには限りないおかげが頂けれる、




とにかく前に進む事以外有りませんね、

とにかく限りない信心の追求をさせて頂く、




その追求心、求道心とでも言うのでしょうかね、

を持ち続けさせて頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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