2023年3月8日水曜日

信心には限りない欲望、貪欲さが要る (2023-03-08)

 今日も和賀心学 (2023-03-08)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心もおかげを頂いて、やれやれの心が出るといけない、信心は常に前進、求道の心、より真実を追求する心がなければならない。自分の為だけならこれ位のおかげで満足して良いのかもしれないが、より多くの人々の助かりの為にはより多くのおかげを頂かねばならない。信心には限りない欲望、貪欲さが要る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 256頁)


ビデオ: https://youtu.be/Mr16Da4jEFU

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-08.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第21節




信心せよ

信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ




神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし

カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず




火がともらねば夜は闇なり

信心なければ世界が闇なり




人の世から神の世へ

闇の世から光の世に




わが道の信心は心が『神に向うのを信心と云うのじゃ』

わが心が一歩一歩神に近づく修行です




悪がぬけ我がぬけて行く其の喜び楽しみから

次第に苦しみがぬけてくる




そういう人達の集りこそ、

神の世であり光の世である




光の輪をつくろう、さらにそれを拡げてゆこう

世直しのおかげを頂こう




一歩一歩神に近付く、

と師匠が教えて居られます、




その一歩一歩神に近付く精進、

それこそ、その限りない精進と言うのでしょうかね、




道を求める、

追求する心が要ると言う事ですね、




ここ数日の成行きから教えて頂きます事は、

やはり私どもが信心をさせて頂く、おかげを頂く、




あるいは御徳を頂こうとする、

そしてそこに、やれやれが出てしまう、




これくらいおかげを頂いたから、もうこれで良かろう、

と言った様な、やれやれが出て来る、




これがいけないと、

どこまでも限りなく、やはり追求する心、




求道する心、求道心と言うのでしょうかね、

追求心と言うのでしょうかね、




そう言うものがなければならないと、

やれやれが出てしまえば、もうそこ止まりだと、




それこそ頂上を極めて、頂上を極めただけではいけない、

向こうへ降りて安心だと言われる、




その何と言いましょうかね、

どこまでも極める、追求する、その心がなければならないと、




師匠の御理解や出版物等の検索を、

作業を進めておりますけれども、




約 9割方は出来るようになったと言いましょうかね、

2万なら、2万有るファイルの中の、




あと残り 1000ファイルがどうしても難しい、




それは、PDFのファイルであったり、

ワードやエクセルのファイルが 1000ファイル位有るのですね、




それを、これはもう出来ないから止めておこうと、

諦めてしまえば、それはそれまでで、粗方 9割方は出来る、




それで良しとすれば、

それで良しとする、そこ止まりなのですけれども、




それではいけない、可能な限り、90パーセント出来るなら、

95パーセント、そして更に 99パーセント、




それは 100パーセントと言う事は中々難しいけれども、

その 100パーセントを求めて精進させて頂く、




そう言う姿勢が要ると言う事ですね、




信心をさせて頂くからには、それこそ師匠が、

限りない精進に、限りないおかげ、と教えて下さいます、




もうおかげが、これくらい頂けば、もうここで良かろう、

と、腰を下ろしてしまえば、そこ止まりだと言う事ですね、




寧ろ却って後ずさり、

後戻りする様な事にもなりかねない、




限りないおかげを頂きたい、と言う、

そう言うやっぱり貪欲さが要りますね、




そしてその限りないおかげを頂こう、と言う為には、

限りない精進が要ると言うわけですね、




それも限りないおかげを、

何故限りないおかげが要るのか、




私一人が食べる為なら、

それこそお米と言えば一日、何合か分かりませんが、




1合か 2合か、せいぜい家族で 5合位も有れば、

一日済むのでしょう、




だから、もし自分たちだけのおかげで、

助かりで良いと言うのであれば、そこ止まりかもしれません、




しかし 1人でも 2人でも 3人でも多くの人達が助かる事の為には、

5合のお米では足りない 1升、あるいは 10升、




もっと沢山 1俵、もっと沢山のお米が要るわけです、

それは、より多くの人々が助かってもらいたい、と願うからですね、




そういう言わば欲が要ると言う事ですね、

追求する、それは何の為に追求するのか、




一人でも多くの人、10人より 100人、100人より 1000人、

多くの人が助かって貰う為に、




その為には、もっとより以上のおかげを頂かねばならない、

それこそ限りない人々が助かって頂く為には、




限りないおかげを頂き続けねばならない、

その為には、限りない精進が要ると言う事ですね、




もう、自分だけが結構毛だらけな生活が出来るようになったから、

これで良いと、そこで止まってはいけない、




隣の人、あるいはその隣の隣の人、

人がおかげを頂く為には、もっとおかげを頂かなければならない、




その為には、と言う精進、信心の追求、

それこそ限りない追求、




それは限りない人々の助かりの為に、

限りない信心の追求がなされねばならない、




そう言う心を、そう言う心が私どもの中に育って行かねばならない、

と言う事なのですね、




もう、これだけ、これくらいおかげを頂けば、これで良いと、

そこに安住してはいけないと、より真実のと言うのでしょうかね、




もっとおかげが頂きたい、もっと人が助かる事の為に、

と言う、何と言いましょうかね、




限りない追求、限りない求道心、限りない精進、

が、そこに神様が求めて居られると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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