2023年3月29日水曜日

天地金乃神様と人間氏子との間柄がより良い神人関係になること (2023-03-29)

 今日も和賀心学 (2023-03-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


私どもがこの世に生を受けたと言うことの目的の一つは、自らの魂を磨き清めする、即ち心を育てること、天地日月の心を育てることにある。そしてもう一つは天地金乃神様とのより良い神人関係を築くことにある。即ち御神徳、神様と私どもとの間柄、信じ、信じられる信頼関係が築かれ愈々強くなることである。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 340頁)


ビデオ: https://youtu.be/dtZ0yxw6zt8

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-29.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第49節




信心は相縁機縁




難儀が機縁を作り

「おかげ」が相縁を生む




「袖すり合うも他生の縁」と言うなかに、

親と呼ばれ子と呼ぶほどの深い縁はなけれども、




その深い縁を袖にする

親不孝、子不孝のものがある




折角、親神様との縁を頂きながら、親子の縁を結びもせず、

神をはなれるほど、神を悲しませることはない




教祖は『信心は親に孝行するも同じことぞや』

と教え給う




難儀が機縁を作り、

おかげが相縁を生むと、




私どもがこの世でなさねばならぬ事、

何の為にこの世に生を受けたのか、




それは勿論私どもの心を育てる、磨く、

と言う事が一つの目的であるわけですけれども、




と同時にまた、今朝頂きますのは、

神様と人間氏子との関わり合い、と言うのでしょうか、




神人関係と言うのでしょうか、

そのより良い神人関係を築く為、に言わばこの世が有ると、




この世に居る間に、神様とのより良い関係を

築き上げて行く事が大切だと言う事ですね、




そう言う事を、何か心中祈念の時に思わせて頂いておりましたら、

正にこの御理解を頂きました、




神様が、正にそうだと、

仰って居られる様な感じが致しますね、




神様と人間氏子との間の相縁機縁、

その関係と言うのですかね、




人間関係と言いますね、

その神人関係、より良い神人関係を作り上げて行くのだと、




これは師匠は、神様と人間とが、

合い拝み合う、楽しみ合う世界、合楽世界とも表現されますね、




その人間と神様との間が、

拝み合う、そしてまた合い楽しみ合う、




合い拝み合い、合い楽しみ合う世界、

そう言う世界を顕現して行くのだと、




とかく人間は何事も自分の力でやり、自分の頭で考えて、

自分の行動によって何かを生みなして居ると、思います、




神様をそっちのけにしてしまう事が多いですね、

そして難儀が有り、もう自分の力ではにっちもさっちも行かない、




となった時に、神様に手を合わせる、

そしてまた、そう言う時に初めて、




神様の存在と言うものを

実感するようになるのではないでしょうかね、




ですから、難儀が起こって来て、難儀な時に初めて、

神様に出会うと言うのか、




神様にお願いをする、

神様に触れ合おうとする、




もし何もかもが、人間の思う通りに、

自分で運ぶ事が、運ばれて行くならば、




神様を必要としない、

と言うのでしょうかね、




人間の慢心と言った様なものが、

人間の自分の力、知恵、力で、何事も成し遂げる事が出来る、




と言う様な事になって行くのではないでしょうかね、

神様の要らない世界になってしまう、と言うのでしょうか、




神様不在で、問題が無い、

と言う事になるのでしょうね、




そうではない、

神様のおかげで、今日の私がある、




それこそ箸の上げ下ろしに至るまで、

実際は、神様のおかげでさせて頂いて居る、




お生かしのおかげを頂いて居る、

神様のおかげを頂かなければ、何一つ出来ない、




事を、運ばせる事が出来ない私どもである、と言う事が分からない、

それを分からせる為の、一つの難儀でもあるのかもしれませんね、




その難儀を通して、愈々神様に縋らなければ、

神様のお力を頂かなければ、出来ない私どもだと言うのを、




分からされると言うのでしょうかね、

そしてそこから初めて、神様と仲良うする事を覚える、




と言うのでしょうか、

神様と仲良くなろうとするわけですね、




そして愈々神様と私どもとの間柄が、

信じ、信じられる間柄となって行く、




それこそ、切っても切れない仲に、

私どもがなって行く、




その為の、日々様々な事柄が起こって来る、

その事柄を通して、神様と私どもとの間が、




実際は切っても切れぬ間柄なのですけれども、

人間の側の認識として、それが無い、




そこが問題なわけですね、

人間の側に、その神様を外せない、




と言う認識が出来て来る、

神様をよくよく実感する、認識する、




そして神様との間柄が如何に大切であるかと言う事を

実感させて頂く、




その事の為の日々と、出来事と、

言えるのかもしれませんね、




より良い神様との間柄を築く事の為の

日々の成行きである、




また私どもが、この世に生を受けたと言う事が、

私どもの心を磨く事であると同時に、




また、より良い神様との間柄を築いて行く事の為にあると、

そしてまた愈々は、神の子である人間、私どもが、




愈々神に還って行くと言うのでしょうかね、

生神への精進、と言う事にもなるのではないでしょうかね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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