2023年3月18日土曜日

一つ一つを神様にお伺いする心を持ちその稽古をすること (2023-03-18)

 今日も和賀心学 (2023-03-18)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


神と仲ようする信心とか、神に近寄るようにせよとか、我が心が神に向かうのを信心と言う等言われるが、具体的にはどうすれば良いのか。今朝は、一つ一つを神様にお伺いする心を持ちその稽古をする事だと。例えば、右に行きましょうか、左に行きましょうか等々、都度都度に神様に伺う稽古をする事だと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 75頁)


ビデオ: https://youtu.be/pVWDe7mlwfw

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-18.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




信心する人の真の神徳を知らぬこと




ほんとうの魚好きは魚の頭を求めるという

身だけを求める人は、ほんとうの魚好きとは言えない




信心もおかげだけを有難がっておる人は未熟の証拠である

ふつうの人では頂きかねるような問題でも、




それを御神意として受けとめていく

御神意がわかり真の神徳にふれていくこともできる




御神意として受け止めて行くと、

御神意ですね、神様の御心と言うものですね、




さあ御神意は何だろうか、と申しますね、

信心の稽古と言われます、




では信心の稽古とは、どうしたら良いのだろうかと、

日参、聴教、信行、心行、家業の行と言う 5つの行と言われます、




その 5つの行をする、教会にお参りをする、御教えを頂く、

神様に心を向ける、神様に手を合わせる、




色々な信心の稽古のやり方が

有るのでしょうけれども、




今朝はその中でも、その信心の稽古の一つ、

と言うものを教えて頂いたように思います、




それは例えば、神と仲ようする信心ぞ、とか、

我が心が神に向かうのを信心、




と教えて頂きます、

その我が心が神に向かう、と言う事ですね、




これも頂きようが、浅くも深くも頂けれる、

御教えでしょうけれども、




今朝は、もうほんの入口の所とでも言うのでしょうかね、

我が心が神に向かう、神と仲ようする、




神と仲ようすると言うのは、

どう言う事だろうかと、




この今朝頂きますのは、その御神意を伺う心を持つ事だと、

言う事なのですね、




そしてその、それこそ日常生活の中で、私どもはついつい自分で考え、

自分であれこれ良いようにしております、




さあどっちに行こうかと迷う、




こっちの方が楽のようだから、こっちに行こう、

と楽な方を選ぶ、




こっちの方が安いからと言って、そっちを選ぶ、

こっちの方が儲かりそうだと言って、そちらを選ぶ、




色々な私どもの、何と言いましょうかね、

我情我欲と言うのでしょうか、




そう言うものに照らし合わせて、右に行こう、左に行こう、

何をしよう、斯にをしようと、選んで居るわけですね、




そう言う時に、神様にお伺いをする、

と言う信心姿勢を持つ事だと、




神様にお伺いをして、

それからさせて頂く、あるいは決めさせて頂く、




そこに直ぐ神様が、右だ、左だと教えて下さるとは、

思えませんけれども、




それが信心が、段々稽古が出来て行くようになると、

これが御神意だろうか、神様が右と仰って居られるのだな、




左と仰って居られるのだな、と言う様なものを、それこそ

成行きの中にでも、感じさせて頂く事が出来るようになる、




その為には、先ずはお伺いをする、

と言う信心姿勢を作る事だと、その稽古をする事だと、




ですから何か事有るごとに、これはどうさせて頂きましょうか、

右に行かせて頂きましょうか、左に行かせて頂きましょうか、




それこそ畑で何か植えるとすれば、

さあ何を植えさせて頂きましょうか、




お店の人であるならば、

どう言うものを仕入れさせて頂きましょうか、




と言った様な、一事が万事に、神様にお伺いを立てる、

そう言う神様にお伺いを立てる、




それが神と仲ようする事であり、

我が心が神に向かう事にもなるのだと、




なる程、直信先覚の偉い先生方は、神様からのお指図を頂いて、

行動されたと、いわゆる神様のお指図を頂かれた、




ところが、中々神様からお指図を頂くと言う事は、

難しい、




神様からお指図が有るのが難しいならば、

こちらから神様にお尋ねをして行く、




神様、どうさせて頂きましょうか、

右に行くのが本当でしょうか、左に行きましょうか、




これからどうさせて頂きましょうか、と先ずは、

私どもの中に、神様に伺う心を持つ事だと、




そしてその伺う練習を、稽古をさせて頂く事、

それが神に向かう事であり、神と仲ようする事でもあると、




言わばそこにそれが、

御神意を伺うと言う事になりますね、




そこから御神意が分かったら、

中々御神意通りに出来ない事も有ります、




神様は右だと仰る、でも私は左の方が良い様な気がする、

あるいは今、仰る通りにするより、こっちでした方が儲かる、




と言った様な、我情我欲が出て来て、

神様の御神意通りには出来ない、




と言う様な事も、中には出て来ましょうけれども、

それはまた次の段階の話であって、




とにかく先ずは、御神意を伺う、神様どうしたら良いでしょうか、

右に行きましょうか、左に行きましょうか、




何をさせて頂きましょうか、

それこそ今度の畑は何を植えましょうか、




何を仕入れましょうか、

何に事業を取り組ませて頂いたら良いでしょうか、




どこのどう言う開発事業をさせて頂いたら良いでしょうか、

様々に有りますね、様々に私どもは悩みます、




そしてどうしたら良いだろうかと思います、

それを全部、神様にぶつけると言うわけですね、




一つ一つを神様にお伺いを立てながら、進めさせて頂く、

先ずは、その神様にお伺いを立てる、




と言う信心の稽古と言うのでしょうかね、

その信心姿勢をさせて頂く、




そしてそれが段々神様の御心を感じ取れるようになる、

また神様が直接、こうだ、ああだと教えて下さるようになれば、




占めたものですね、尋ねるものは、

尋ねないものは知らない、ですか、




神様がこちらが聞きもしないのに、

ああだこうだと教えて下さるとは思えませんね、




先ずはこちらが、どうしましょうか、

ああでしょうか、こうでしょうかとお尋ねをする、




そしてそこに神様が、受け、返答をして下さる、

と言うようになるのではないでしょうかね、




ですから先ずは、神様にお伺いをする、

その稽古をさせて頂く




と言う事が、信心の稽古の手始め、

と言う事でもありますね、




一つ一つの事を神様にお伺いをする、

そこから進めさせて頂く、その稽古だと言う事ですね、




どうぞよろしくお願いいたします、




ありがとうございます



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