今日も和賀心学 (2023-03-16)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
このお道の眼目は2つ。自らの心を育てる事と天地金乃神様のおかげを頂いて行く事。教祖様はこの方の神は心直しの神だと仰っておられる。おかげは和賀心にあり、と即ち和賀心と言う心を育てつつ、そこにおかげを頂いて行くのである。師匠大坪総一郎師は、大きな豊かな心に、大きな豊かなおかげとも。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 258頁)
ビデオ: https://youtu.be/-FJ3durtajM
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-16.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第22節
天地金乃神といえば、
天地一目に見ておるぞ
神は平等におかげを授けるが、
受け物が悪ければおかげが漏るぞ
神の徳を十分に受けようと思えば、
ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ
ままよとは死んでもままよのことぞ
常日頃いっぱしの信心が出来ておらんと、
いざという時「ままよ」という心ができぬ
信ずる心が安心、「ままよ」の心から信が生まれる
神は信ずる者を信ずる
御神徳は神さまのご信用じゃから
(久留米教会初代石橋先生のおことば)
神は信ずる者を信ずる、と、
これも 2つ取れますね、
神は信ずる者、を信ずると、
その信ずる者と、神様を信ずる者、と頂けますね、
神様を信ずる者を信ずると、
もう一つは、神様が信ずる者を、信ずると、
言う風うにも頂けますね、
その 2つが相まって行かねばならないのだと思います、
神様を信じ貫く者を信じる、と神様が仰るわけですね、
そしてまた、神様が信じる、神様が信じられる者、
をまた神様は信じ貫く、
と言う事でも有りましょうね、
ですから神様と私どもとの間柄が
信じ、信じられる間柄にならねばならない、
そうなった時に初めて、
私どもも神様を信じ貫く事が出来る、
そしてまた神様が私どもの事を信じ貫いて下さる事にもなる、
と言う事ですね、
ではどうなったら、そう言う神様と私どもとの間が、
間柄が、信じ、信じ貫くと言うのでしょうかね、
信じ、信じられる間柄になるのだろうかと思いますね、
そこにはやっぱり、私どもが信心をさせて頂くと言う、
信心の目指しと言うのでしょうかね、
そこが正しい所に、信心の焦点を置いての
稽古でなければならないと思いますね、
ややもすると、おかげ目当ての信心になりがちですけれども、
教祖様はこの方の、何と言いましょうか、
神と言うのでしょうか、は病気治しや、災難除けの神ではないと、
心直しの神だ、と仰って居られますね、
ですから私どもが、自らの心を直す、心を育てる、
と言う事に一つ焦点を定めねばなりませんね、
しかしその心さえ磨いておればそれで良いかと、言うと、
そう言うわけには行きませんね、
やはり生身の人間ですから、神様のおかげを頂かなければ、
ここ一寸動けない私だ、と言う事を、
その心が育てば育つほど、分かって行く、
悟らされると言うのでしょうかね、
ですから、神様のおかげを頂かなければ、
何一つ出来ない、吾無力であると、
言う事が悟らされたらば、
それこそ神様のおかげを頂かなければなりませんね、
私どもの心を育てる、そしてまた神様のおかげを頂いて行こう、
と言うこの 2つの事が相まって行く、
2つの稽古をさせて頂くものだと思いますね、
師匠はよく仰って居られましたけれども、
その世間であれは何ですか、
ボロは着てても、心は錦ですか、
と言う様な事を言うけれども、
この御道の信心は決してその、
ボロは着てても、心は錦、と言う様な事ではないと、
もし心が錦になるならば、神様がそれこそ着る物も錦を着せよう、
着させてあげたい、と言うのが、神の心だと、
ですから、心は大きくなりました、けれどもボロを着ております、
と言う様な事は無いよと、
もし本当に心が大きく豊かになったならば、
頂くおかげも大きく豊かになるものだよと、
師匠はよく仰って居られましたね、
その私どもの心を育てる、その心が育つ、
その具合に応じて、やはり頂くおかげもまた育って来る、
と言う事になるのではないでしょうかね、
ただ、精神修養的に、
それこそ清貧に甘んじるではありませんけれども、
貧乏で良いのだ、おかげは頂かなくとも良いのだ、
ただ、心を育てて生きさえすればそれで良いのだ、
と言う様な信心ではありませんね、
心を育てて行く、と同時にまた、神様のおかげを頂いて行く、
そのおかげを頂いて行かなければ、
立ち行かない私どもであるのですからね、
その心を育てると言う事と、おかげを頂いて行くと言う事が、
相まっての信心の稽古と言う事になりますね、
そしてそれが、成行きを大切に尊ぶ中に、
その両方が相まって行くと言う、
それが師匠大坪総一郎師の御流儀だと言う事ですね、
おかげさえ頂けば良い、心さえ育てば良い、と言うのではない、
その心が育ち、そしてまたそれに伴っておかげもまた育って行く、
そう言う信心の稽古が、
この御道だと言う事です、
そしてそれが、成行きを大切に尊ぶ中に、
神様が導いて下さると言う事になりますね、
もし、おかげが頂き足りんように思うて居るならば、
それは結局まだまだ私どもの心が育っていないのだと、
言う事にもなりますね、
この御道では、心が育つ事、
そしてそこにおかげが頂けれると言う事、
その 2つが相まって行くと言う事ですね、
尤も中には、心が育つ前に、
神様がそれこそレンコンを食うて下さって、
何と言いましょうかね、デモンストレーションの様にして、
おかけを下さる事も有りますけれども、
本当のおかげと言うものは、
心が育つ、その事によって頂くおかげだと言う事ですね、
それが本当のおかげであり、
本当の助かりに繋がると言う事ですね、
心が育つ、と同時にまた、おかげも育つ、
そう言うおかげを頂いて行かねばなりませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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