今日も和賀心学 (2023-03-05)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心して愈々分からされる事は、吾無力であると言うこと。神様のおかげを頂かねばここ一寸動けぬ私、箸の上げ下ろしすら出来ない私であると言うこと。天地金乃神様の御加護の中にある私ども、神様の言い付け、即ち御教えを守り行じることが神様も喜んで下さることになり、愈々有難い世界に導いて下さる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 134頁)
ビデオ: https://youtu.be/Dpvd3MK9GiE
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-05.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
慢心が大けがのもとなり
信心はえらくなるためでもなければ、
かしこうなるためのものでもない
信心は有難うならせてもらう稽古である
おかげを受けるために信心すると、
おかげを受けて慢心になる
信心、真心、神心を求めての信心には、
慢心の出ようがない
が、慢心が出るほどのおかげも受けてみたいものです
信心は有難うならせて貰う稽古である、
と師匠は仰って居られますね、
有難うならせて貰う稽古である、
その有難いと言う事にも、色々な有難さが有りますね、
私どもが有難いと感じるもの、
その有難いと感じる内容と言うのでしょうかね、
それが段々に育って行かねばならない、
と言う事でもありますけれどもね、
例えば最初の方は、自分の欲しいものが手に入る、
それこそ小さい頃なら、お菓子ならお菓子がもらえる、
チョコレートなら、チョコレートが貰えるのが有難い、
と感じる、
その時には、お金を貰っても有難いとは思いませんね、
ただの紙切れであったり、ただの何と言いましょうか、
鉄屑と言うのか、何か丸いものであったりと言う、
それが段々、お金の値打ちと言うものが分かり出すと、
お菓子を貰うより、お金を貰った方が有難い、
となって参りますね、
そして今度はまた、お金よりも、例えば、
そのお札、なくなればそれまでです、紙切れです、
政府が変われば、また無くなる、
国が変われば、紙切れで値打ちが無い、
どこに行っても値打ちが有る、
今は金かもしれませんね、
その紙切れのお金を持つより、純金を持つ方が安心だと、
その紙切れのお金をうず高く積まれるよりも、
それがもし今通用するのであれば、
それで良いのでしょうけれども、
過去に通用したお金、紙幣を積まれても
値打ちが有りませんね、
やはり金だと、
紙幣を積まれるより、金を積まれた方が有難い、
と言った様な、その有難いと言うものの内容が、
私どもの育ち具合に応じて変わって来るものですね、
最初は、自分の思い通りになる事が有難い、
それが段々、神様の願いが成就する事が有難い、
私の願いは叶わなくとも、
神様の願いが叶う事の方がより一層有難い、
そして物より、お金より、自らの心が育つ事の方がもっと有難い、
神様の御心を分からせて頂く事がもっと有難い、
と言ったように、その有難いと言う事の内容が、
やはり育って来ねばなりませんけれどもね、
信心させて頂けば、育つものです、
育たねばなりません、
そして信心させて頂き、愈々分からせて頂く事は、
やはり吾無力だと言う事ですね、
神様のおかげを頂かなければ、
ここ一歩動けぬ私、
箸の上げ下ろし一つにしても、
神様のおかげを頂かなければ出来ない、
と言う意味においての、神様のおかげを頂いて行く、
と言う事になりますね、
そしてその神様のおかげを頂いて居る事が有難い、
と言う事になるのですけれども、
それで神様のおかげを頂こうと、
頂きたいと思います、
しかしこれが、神様のおかげを頂きたい、と願いつつ、
神様の言い付けに従わない生き方をしていたら、
どうでしょうかね、
ただ、親からああしなさい、こうしなさい、
ああしてくれ、こうしてくれと言われても、
それを一つも親の言う事を聞こうとしない、
なる程親ですから、子供が言う事を聞かなくても、
守るのは守ってくれます、
もうあんたがこれをしないから、
もうあんたの事は守らん、とは親は言いませんね、
子供がどんなに親の言う事を聞かなくても、
それでも子供を守ろうとする、
それが親心ではないでしょうかね、
ですから神様も、私どもが、
言わば神様の言い付けであるその御教えを守らないからと言って、
邪険ににされると言う事は有りませんけれども、
なる程言い付けを守ってくれる、教えを守ってくれたら、
それは親として有難い、喜ばしい事に違い有りませんね、
なる程言い付けを守らない子供でも、
きちっと言い付けを守って来る子供にでも、
同じようにおかげは、おかげを授けようとはされますけれども、
やはり言い付けを守ってくれる子供の方に、
その何と言いましょうか、喜んで下さる、
神様の方が、嫌々下さるおかげと、
喜んで下さるおかげが、やっぱり有りますからね、
言い付けを守ってくれる子には、
やっぱり神様も喜んでおかげを授けて下さる、
神様が喜んで下さるその喜びが、
私どもに照り返って来て、私どももより一層有難くなる、
ただ、自分の思い通りになったから有難い、
神様が嫌々おかげを下さって、
自分の思い通りになったから有難い、と言う有難さではなく、
私も喜び、神様も喜んで下さる、と言う、
それこそ、合楽世界と言うのでしょうかね、
合い拝み合い、楽しみ合う世界においての有難さ、
と言う事になりますね、
そう言うおかげを頂く為には、やっぱり神様の言い付けを守る、
と言う事が大切だと言う事になりますね、
私どもが本当の意味において、
より有難い世界に住まわせて頂く為には、
神様の言い付けである御教えを、
確かに守らせて頂く、行じさせて頂く、
そこから頂くところの、神様も喜んで下さる、
喜んで授けて下さるおかげを頂いて行くと言う事になりますね、
神様の言い付けである神様の御教えを守らせて頂く、
行じさせて頂く、
そこに神様も喜んで下さり、より一層有難いおかげを、
神様が授けて下さる事になる、と言う事になりますね、
この世に生を受けたから、
また天地金乃神様の許で信心をさせて頂くからには、
やっぱり神様の御教えをしっかり守らせて頂き、
神様に喜んで頂けれる、そこからのおかげを頂いて行きたい、
そこに、私どももまた
共に喜び合える世界が生まれて来ると思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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