2023年3月17日金曜日

天の心により一層の御神徳が頂ける (2023-03-17)

 今日も和賀心学 (2023-03-17)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


昨日師匠大坪総一郎師の研修テープを頂いていたら面白い事を仰っておられた。それはいわゆる地の心、土の信心でも御神徳は頂けない事は無いが、天の心を発揮する時より一層の御神徳が頂けれると。今朝はそれを信用と信頼の違いの様に頂いた。神様の御信用を頂き更に信頼される私にならなければならない。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 338頁)


ビデオ: https://youtu.be/fBIftrJqNBg

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-17.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第48節




わが子の病気でも、

かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ




言うことを聞かぬ時に、

ままよと思うてほっておくような気になって、信心してやれ




おかげが受けられる




『ままよと思うて放っておくような気になって』

と言うことは、




自分の欲や情を捨てた姿ですから、

神さまに充分の働きが頂ける場を作るようなものです




その上『信心してやれ』とは、

いよいよ信心を進めてゆけと言うことです




四十八節とは、

いつもがおかげのチャンスと言うふうに思います




常平生がこの気持ちにさせて頂くなら、

間違いない御神徳がうけられます




師匠は、この最後に、

間違いない御神徳が受けられます、と括って居られますね、




ある先生は、おかげを頂く道を教えると、

師匠は、師匠は御神徳を頂く道を教える、




と教えて居られます、御神徳を頂く、

さあどうしたら御神徳が頂けれるのか、




御神徳は神様の御信用だと、

神様から信用して頂く事だと、




今朝頂きますのは、

その信用と、もう一つ信頼と言うのが有りますね、




信頼すると言う事ですね、この信頼する、言わば、

神様から信頼される私どもにならなければならないと、




少し違いますね、英語では違います、

ビリーブと、トラストと言う言葉が有りますが、




そう言う違いですね、




昨日は、研修を、師匠の研修を頂いておりましたら、

今まで聞いた事の無い様なお話をして居られました、




それは、御徳を頂く、神様の御神徳を頂くと言うけれども、

確かに土の心、言わば受けて受けて受け貫く生き方、




この土の心でも、頂けない事は無いけれども、

天の心を発揮する所に、より一層の御神徳が頂けれる、




と言う様なお話でした、




言わば、教祖様が神様から、この氏子はもう試しようが無いと、

どう言うお試しをしても、何でも良い方に良い方に取る、




と言う事でしょうかね、




そう言う例えば、神様が下さる成行きを、

受けて受けて受け貫く、




なる程この氏子はよく受けてくれる、

決して悪く取る事は無いと、そこに信用は出来ますね、




しかしそのそこに頂く信用と言うのは、

その積極的と言うのか、




やっぱり信用、あなたの事を信用しましょう、

と言う信用ですね、




信用して何かを任せると言う所には、

今一、力が薄いように思いますね、




ところがこれが、例えばあなたを信頼して、何でも任せますと、

言わば白紙委任状の様なものですね、




あなたのなさる事には、それこそどんな応援でも致します、

と言う、いわゆる神様のお墨付きを貰う、




これはある意味、信用を超えた、

神様の信頼を得た姿ではないかと思うのですね、




ここに至る為には、土の心だけでは、

その至らない、と言うのでしょうかね、




ここに天の心、言わば神様のお役に立ちたい、

神様のお役に立たせて頂きたい、




と言うその一念、情念を燃やす時に、

そして一切が我情我欲からではない、




神様のお役に立つ為の事として、一切がなされる時に、

それこそ神様が信用以上の信頼を寄せて下さる、




それならば、この事はこの氏子に任せようと、

そしてそこに、その氏子が例えば、この人を助けて下さい、




あの人を助けて下さい、と願うならば、

そこに神様が手伝って下さる、




この人を助けて下さい、あの人を助けて下さいと言う心は、

天の心ですからね、




その天の心が発動されるところに、

神様がまた、バックアップして下さる、と言うのでしょうかね、




神様が、そのお力を現される、

と言う事でも有りましょうね、




ただ、受けて受けて受け貫くと言うだけでは、

ある意味、迫力の無い信用とでも言うのでしょうかね、




確かに、信用はされるかもしれません、

なる程この氏子は、何をしてもきちっと受けてくれるなと、




しかし、神様が、よしこの氏子に力を貸そう、

と言うとこまでは至らない様な感じが致しますね、




神様が信用をおいて、それ以上に信頼をおいて、

神様が力を貸して下さろう、と、




そこに至る為には、氏子が、氏子に天の心が身に着き、

天の心を使おうとする、




そこに初めて、神様がそれこそ、お前の為に一肌脱ごう、

と言う事になって来るのではないでしょうかね、




ですからどうでも、ただ受けて受けて受け貫くだけでは、

ある意味、迫力の無い信用を得るだけですね、




そこに、私どもの中に天の心が、

どうでも神様のお役に立たせて頂きたい、




と言うその神様のお役に立ちたい、

世の人々が助かる事の為のお役に立たせて頂きたい、




と言う一心を、一念を燃やす時に、

神様が、それこそ私どもに信頼をおいて、




それならば、と何と言いましょうかね、

躍り出て下さる事になる、と言う事になりますね、




どうでも、土の心で終わるだけではなく、

そこから一層、地の心から、




天の心を発揮出来れる様な私どもに、

お育てを頂かねばなりませんね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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