今日も和賀心学 (2023-03-06)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
昨日おかげさまで師匠大坪総一郎師の御理解、出版物等のテキスト化された物を全文検索する仕組みをウェブページに埋め込ませて頂く事が出来た。有難い事である。但しPDFやdocファイルが約千程除外されてはいる。また、検索結果は読めるが、本文を読もうとすると文字化けする、一工夫要ると言うこと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 192頁)
ビデオ: https://youtu.be/8C3yxaHzryY
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-06.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
真心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えよ
片島せんというお徳の高い先生が居られました
或る時、大きな手洗石がお供えになりました
神様にお届けをなさり「この大きな手洗の水が
一日でなくなりますような沢山の氏子をお引き寄せ下さい」
と願われました
神さまより何の受け応えもありませんでした
尚、お願いをなさると神さまより
「なぜ真心を求めて来る氏子をと願わぬか」
とおさとしがありました
神様が求め給うのは真の信心であることがわかります
残るのはお徳であり真の信心であります
同時に、毎日、子供に孫に伝わる信心を願わねばなりません
どうぞ神さまのお役に立つ氏子にお取り立て下さい、
と繰り返し願うのです
真心を求めて来る氏子、
と願えと言う事ですね、真心、
おかげさまで昨日、
全文検索の仕組みと言うのでしょうか、
その全文検索が出来るその仕組みを、
ウェブサイトに埋め込ませて頂く事が出来ました、
これで、どこからでもファイルを探し出す事が出来ると、
思うのですけれども、
色々制約が有るには有りますけれども、
取り敢えず世界中のどこからでも、
これは日本語ですけれども、取り敢えず師匠の御理解、
または出版物、あるいは幾つかの Eメール、とそう言う、
これは教祖様の御理解も中に入っておりますが、
そう言う一切合切のものから、
検索語で探し出す事が出来る、
2万以上のファイルが有る様でした、
ただ、ワードのファイルとか、PDFのファイルが
今のところ出来ませんので、千ファイル位は除外されておりますが、
パソコン版の場合は出来るのですけれども、ウェブサイトでの版は、
一寸その 1000ファイル分位が、今の所除外されておりますが、
純粋にテキストファイルだけですので、いずれテキスト化して、
検索のインデックスの中に加えようとは思うのですが、
ただ、検索をした場合、こう言うのが有ります、
と言う一覧表が出て来るのですけれども、
そこまでは誰でも見れるのですが、
そこから先が、ある意味一工夫しなければ読めないと、
そう言う仕組みになっております、
別に、私がそうしようとしたわけではないのですけれども、
そのシステム上そうなってしまっていると、
言わば、この文を読んでみようと、そこをクリックすると、
表示するのが、文字化けで表示されるのですね、
今の段階でのブラウザの制約と言うのでしょうかね、
そう言う風になっておりますから、
原物をそのまま読もうとすると、文字化けが致します、
これはこれで丁度良いかなと思っております、
と申しますのも、中にはまだいわゆる公開されていない文章も、
検索対象の中に含まれておりますから、
いわゆるサーバーのパソコンの中に有る、
内部の文章を検索するのですね、
一般の人の目に触れる文章を検索するのではなく、
隠れて居る部分も検索して、それを答えを表示すると言うわけです、
一寸何と言いましょうかね、
トリッキーな所が有りますね、
ですから、あまり読まれては困る様なものも、
中には有るには有ると、
ですから、そのままクリックしても読めない、
と言うので、丁度良いかなと、
今朝は、心中祈念の時に思わせられています、
おそらく、神様が下さるおかげと言うのも、
こう言うものだろうなと、思わせて頂いたのでした、
言わば、今朝のミニ御理解にも有ります、
何故、真心を求めて来る氏子をと願わぬかと、
言わばその、もう一つ求めて行かなければ、
与えられないのですね、
ある意味カタログはこうやってある、
しかしカタログはカタログで、一寸した紹介だけなわけです、
ですから、本物、原物を求めようとすれば、そこにそれなりの
ある程度の精進、努力、工夫が要ると言うわけですね、
神様が下さるおかげも、右から左に願ったら、
願い通りにおかげが頂く、と言うのでは興が無いと言うのか、
そう言う事にはなっていないと、
願うからには、そこに願って、一工夫させて頂いて初めて、
そのおかげに到達する事が出来ると、
勿論、願うと言う事がまず要りますね、
それこそ、信心はせぬでも、おかげはやってあると、
願わない氏子にでも、おかげはやってある、
と言う、願う、願わずに関わらず、
おかげを授けて下さるおかげも有るけれども、
願わなければ頂けないおかげも有る、
そして願って、更に一工夫しなければ、そのおかげに到達しない、
と言うおかげも有ると言う事ですね、
言わば露出して居るわけではないのですね、
おかげがそこに露出して居るわけではない、
そのおかげを欲するならば、
まず願いを立てる、そしてそこから更に一工夫させて頂く、
そして初めて、欲する願いに到達する事が出来る、
と言う、そう言う部分が残されて居る、と言う事なのですね、
誰でもが簡単にアクセス出来るようにあるけれども、
実はそうではない、一工夫して初めて、
アクセス出来るおかげが有ると言う事ですね、
大抵のおかげは
そう言うものかもしれませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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