今日も和賀心学 (2023-03-27)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人が助かると言うことは、やはり形の上のおかげと心の上のおかげの両方を頂いて行かねばならない。この世に生かされている私ども、心さえ育てば何も食べなくてよい、飲まなくてよいと言う事は無い。必要な食物を食べさせて頂きながら、心を育てて行くおかげを日々の生活の中に頂いて行かねばならない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 373頁)
ビデオ: https://youtu.be/kWgp0Ix6HlI
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-27.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第60節
おかげは受け徳、受け勝ち
おかげはわが心にあるもの
お徳は神さまが下さるもの
四神さまのみ教えにも
『おかげは神から出ると思うな、氏子の心の中から出るものじゃ』
とありますが、
お徳はそういうわけにはゆかぬもの
久留米教会の初代は
お徳は神さまのご信用と説かれてあります
神さまに信じられる信心をせねばなりません
本当のおかげは徳をうけたものには勝てません
本当のおかげは徳を受けた者には勝てません、
と仰って居られます、
そのおかげも、いわゆるお願いをして、
そこから頂くおかげと、
御徳を頂いた後に、その御徳を元にして頂くおかげ、
と言うのが有ると言う事ですね、
私ども人間、人が助かると言う事は、
それこそ、この世に生を受けて居る、
この世で生きさせて頂いて居るわけですから、
魂となったら、食べ物を食べるのか、食べないのかは、
よく分かりませんけれども、
どうなんでしょうかね、
魂の世界に入って、食べ物、飲み物を食べる、飲む事が
どうなっているのか、よく分かりませんけれども、
この世に居る、この世に生きて居る、生かされて居ると言う事は、
食べるものを食べ、飲むものを飲み、生活をする、
肉体を維持して行かねばなりませんから、
そう言う意味において、やはり形の上でおかげを頂く、
食べるもの、飲むもののおかげを頂く、
と言う事は大切だと思います、
霞だけで生きて行けるわけでは
ありませんからね、
心が大きくなりさえすれば、
何も食べなくてよいのだと、
心が限りなく、美しくなれば、
何も飲まずに生きて行けるのだと、言う事ではありませんから、
やはり食べるもの、飲むもの、
そう言う形の上において、おかげを頂いて行く、
必要なものを必要に応じて頂いて行くと言う、
そう言う形の上のおかげを頂く、と同時にまた、
そのただ、形の上のおかげを頂く事だけに終始したのでは、
これまたいけませんね、
やはりこの世に生を受けたのが、
心を磨く為に、魂を清める為にこの世に生を受けたのだと、
言う事がハッキリすると、その自らの心を育てる事の為の精進を
やはりさせて頂かねばなりません、
してみると、この世で生きさせて頂く、
その為の、形の上のおかげ、と同時にまた、
心の上にも、お育てを頂くと言うおかげを、形の上と、
心の上と両方のおかげを頂いて行かねばならない事になりますね、
その形の上と、心の上と、その両方のおかげを頂いて行く道が、
この御道だと言う事にもなりますね、
そしてその心の上にお育てを頂く、
そこに焦点が定まった時に、
神様が安心して下さり、
御信用も下さるようになるのではないでしょうかね、
その先ずは、成行きを受け貫くと言う、
自らの心を育てる為に、受けると言う、
そしてそれが愈々育ち、今度は神様のお役に立ちたい、
立たせて頂こう、と言う心が芽生えて来る、
いわゆる土の心に始まって、そして今度は天の心が、
身に着いて来る、と言う事になるのでしょうかね、
その天の心の発露によって初めて、
神様が本当の意味においての安心をして下さる、
と言う様な事を、
師匠が仰って居られたと思いますね、
言わば、天の心、神様のお役に立ちたい、
人の助かりを願う心にまで、心が育って来ると言う事でしょうね、
とにかく、私どもが助かると言う事は、
その、この世において助かると言う事は、
形の上におけるおかげを頂きつつ、
心の上にもおかげを頂いて行く、
その両方が相まって行かねばなりませんね
その両方が相まって行く、それが、成行きを大切に尊ぶ、
と言う事の中に、神様がお導き下さる、
その両方を足ろわせて下さる、
両方のおかげを下さると、
言う事になりますね、
どうでも形の上のおかげを頂きつつ、心のお育てを頂きつつ、
日々生活をさせて頂く、
そこに神様の御働きを感じて、
信心の喜びと驚きを頂きながらの日々を送らせて頂く、
その積み重ねですね、その積み重ねによって、
神様の御信用も頂けれるのではないでしょうかね、
ただ 1回出来たからと言って、信用出来るわけではありませんね、
朝起きを誓う、朝、何時に、3時半に起きさせて頂きます、
とそれが 1日だけ出来たからと言って、
また次の日は失敗するかもしれないわけですから、
それが日月の精進となった時に、
それこそ、この氏子はもう狂いが無いな、間違いない、
と言うようになるのではないでしょうかね、
それが、やはり日月の精進が出来て初めて、
神様からの御信用も頂けれると言う事でしょうね、
天の心を、地の心を、
そしてそれが日月の心をもって精進される時に、
初めて、神様から御信用して頂けれる事になる、
そしてそれが更に、人が助かる事の為のお役にも、
今度は、授ける側に回る事も出来るようになる、
と言う事ではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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