2023年3月1日水曜日

人間の性として三日坊主的なものが有る (2023-03-01)

 今日も和賀心学 (2023-03-01)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


30年前の研修で、成行きを命とします、もう一回り大きく成る精進をします等々惚れ惚れとする発表ばかりであった。30年後の今日では反故になってしまっっている。あの当時それは決して嘘ではなかった。しかし人間の性として三日坊主的なものが有る。自らを自戒しその身から打ち込んでの信心にならねば。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 329頁)


ビデオ: https://youtu.be/ZteU87qWL4M

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-01.mp3


合掌

中原博信

-------------------------------------------------------


御理解 第45節




世に、三宝様踏むな、三宝様踏むと目がつぶれるというが、

三宝様は実るほどかがむ




人間は、身代ができたり、先生と言われるようになると、

頭をさげることを忘れる




神信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ




とかく、出るくぎは打たれる

よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい




天は高いから頭を打つことはあるまいと思おうけれど、

大声で叱ったり手を振りあげたりすることはないが、油断をすな




慢心が出ると、おかげを取りはずすぞ




信心は本心の玉を研くものと知れ

有難い心も育って来る




真心もみえてくる

驕る心もかげをひそめる




おかげはいやでもついてくる




真心も見えて来ると、

真の心、真の信心と申されたり、真心と申されますね、




その真心、真の心と言うものが中々出ないものですね、

出ないと言うのか、何と言うのでしょうかね、




よく言行不一致とか、また三日坊主とか言われたり、

口に真を語りつつ、心に真の無き事、と言われる事が有りますね、




これが人間のある意味、本質と言うのか、

そう言う性を持って居る私だと言う事を、




まず自分自身を、認識しなければならない、

と言う事ではないでしょうかね、




昨日、もう30年前になりますか、

の研修を頂いておりましたら、




新しい年の抱負の様な事を、各修行生の先生たちが

発表して居られましたが、




どれも惚れ惚れする様な発表でしたね、

ある先生はそれこそ、成行きを命とします、




またある先生は、今年はそれこそ

もう一回り大きくなる精進をさせて頂きます、とか、




ある先生は、それこそ私は師匠のお役に立つ為に、

この修行に入らせて頂いたのだと、分からせて頂きましたと、




そしてまた、ですからその、師匠のぜひお役に立つ様な

信心修行をさして頂きます、




と、どれも惚れ惚れする様な発表でしたね、

それで、30年後の今日、どうなって居るかと、思うてみますと、




そのいずれもが、反故になってしまって居る、

と言うのが現実ですね、




そのその時に発表された通りに、

例えば、成行きを私の命です、として尊びます、




と言った様な、本当に命として尊ばれたのだろうかと、

一寸、疑問点が有りますね、




本当に心を一回りも、二回りも

ずっと大きくして行かれたのだろうかと、




まだまだ小さい心ですね、

とても心が大きくなって居るとは思えない、




師匠のお役に立ちたい、いや立つ為に私がある、

お役に、本当に立って居られるだろうか、




いや立って居られない様な感じが致しますね、

多少は立って居られるかもしれませんけれども、




十二分とは言えないですね、

ならば、その先生方がその当時、それこそ嘘を言われたのか、




いや、決して嘘ではありませんね、その時点、その時点においては、

正にそれこそ真の心であられた、




実際、その時点においては、そう思われた、

成行きを命として尊びます、




もう一回り大きくなります、師匠のお役に立ちます、

これは決して嘘ではなかった、本心からそう思われた、




そして本心からの言葉であるのですね、

その時点においては、確かにそうだった、




嘘ではない本音だ、

ところが三日坊主と言いましょうか、




3日もすると、忘れてしまうと言うのか、

そう言うものだと言う事ですね、




確かに、その時点では、それこそよく映画などでも有りますね、

アイラブユーと言う、そして結婚をする、




その時点では確かにアイラブユーであり、愛して居るのです、

そしてそれが、もう次の日には別の人に目を移してしまったり、




浮気をしたり、と言う事になるのでしょうけれども、

最初から、浮気をするつもりで、結婚をする様な人は居ませんね、




中には有るのかもしれませんが、殆ど無いと思いますね、

それがいつの間にか、その心が離れてしまう事にもなりかねない、




しかしその時点、時点においては嘘ではない、

確かにアイラブユーなのですね、




どこからそう言う、口に真を語りつつ、心に真の無き事、

と言う様な事になって来るのか、




これは人間にはそう言う所が有るものだと、

もう観念するしかないのかもしれませんね、




ですから、そう言うものだと、自分自身に言い聞かせる、

と言うのでしょうかね、




ですからそれこそ、自分自身の中でも、

昨日はそれこそ、成行きを命とします、と言ったけれども、




今日果たして、成行きを命とします、

と言うその心が、それを持ち続けて居るか、




嘘になってはいないか、

反故になってはいないか、




昨日はそれこそ、もう一回り大きくなります、

とそう決心したけれども、その決心が今も続いて居るか、




自分自身をよくよく反省してみて、

その思いが、そこに打ち込んで居るか、




と言う事を、よくよく自分自身を見つめてみなければならない、

とかく、私どもは直ぐ道を逸れてしまう、




昨日決心した事が、今日はその決心がぶれてしまって居る、

と言う様なのが人間だと言う事ですね、




ですから、よくよく打ち込んで行く、

よくよく自分の心がずれていないか、




を見つめ直して、

進んで行かねばならないと言う事ですね




どうでも、その身から打ち込んでの、

自分の心をいつも見つめ直しての、




真心からのそれであるか、それが貫かれて居るか、

を自らに、自らを問うて行かねばならない、




そうでなければ、ついつい道が違った方向に行ってしまうような、

そう言う人間だと言う事ですね、




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿