今日も和賀心学 (2023-03-02)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
昨日は、宝くじに当たる内容の映画があっていた。なるほど10億円の宝くじに当たればと多くの人は思うであろう。今朝は、宝くじに当たるおかげより、使うて減らぬ金百両の御神徳を頂けと。宝くじで当たったお金は使えば直ぐに無くなる。御神徳によるお金は使っても使ってもまた次のお金が湧いて来る。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 44頁)
ビデオ: https://youtu.be/6hQ7P5ppR-0
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-02.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
天に任せよ 地にすがれよ
「まかせてすがる」これが信心者の神に向かう本当の姿です
まかせることにも度胸が要ります
すがると言うても、どこをどうするかというと、不安はない
心配はないという心の状態になることをすがり願うのです
本気で修行に取り組むことによって
不思議に心に不安心配がなくなります
こういう状態を本当の意味において
「まかせてすがる」と言うのです
神様に任せて縋る、
私ども色々な問題をやはり日常の生活の中で抱えております、
生きると言う事は、問題の有りどうしだと、
言う事でも有りましょうしね、
この世は、重い荷物を担いで、山坂を登る様なものだと、
そう表現された方も居られる様ですね、
正に人生と言うものは、苦難の道であると言うのか、
そう言う様々な問題の中にある私どもだと、
中でもその人間関係や病気の問題や色々有りましょうけれども、
中でもやはりお金の問題と言うのは、
人間社会、現代の世を生き抜くと言うのか、
生かされて居ると言う意味において、
お金の問題と言うのは、
やはり大切なものだと思いますね、
師匠もある時、お金が無いのは首が無いのと一緒だと、
そう言う世間で言われるけれども、正にそう言うものでもあろうと、
お金に物を言わせる、と言った様な事も言うけれども、
やはり信心させて頂き、おかげを頂くと、
そう言う、お金に物を言わせる、
と言う程しのおかげも、やはり頂きたいものだねと、
これは別に、自らの我情我欲を満たす為とか、
あれが欲しい、これが欲しいと言った様なものを
手に入れる為のお金、
と言う事ではありませんね、
やっぱり例えば、人を助ける、
人助けのお役に立ちたい、と思うても、
無一文であったのでは、助けようも無い事になりますし、
自分自身の生きて行くと言う事においても、難しいですね、
それこそこうやって、御理解をさせて頂き、
そして皆さんに聞いて頂く、
そして少しでも、何かしらのお役にでも立てれば、
と言うそこには必ず、インターネットの接続料を払ったり、
パソコンを買わせて頂いたり、
と言った様なお金がやはり要りますね、
昨日は、それこそインターネットのビデオですか、
それで宝くじに当たると言うお話があっておりました、
で、今朝の心中祈念の時に、
その事を思わせられるのですね、
その言わば宝くじに当たる様な、
奇跡的なおかげと言うのでしょうかね、
日本は今幾ら位か分かりませんが、アメリカの場合は、
めちゃくちゃ桁が大きかったり致しますね、
昨日は 600万ドルでしたか、
ですから幾らになりますかね、
100万ドルが 1億円位でしょうか、
600万と言うと、6億円以上と言う事になりますか、
それも随分、何十年か前の話ですから、
今で言えば宝くじで何十億当たると言う事かもしれませんね、
仮に宝くじで 1億円当たると、私の知り合いにも、
その宝くじを当たる事を目当てに、お金を随分つぎ込まれて、
身を滅ぼすとまでは行きませんけれども、
それに近い様な大変困った方も居られましたけれども、
いわゆる一攫千金、それも苦労をせずに、
お金が棚から牡丹餅的に降りて来る、と言うのでしょうかね、
落ちて来る、これなどはやはり
奇跡的なおかげと言うものでしょうね、
その映画では、それこそ沢山買った、
何百枚も宝くじを買ったお父さんは当たらなくて、
しょう事なしに 1枚買ったその宝くじが当たった、
と言うお話でしたけれども、
問題はその何と言いましょうかね、
宝くじで当たったお金が身に着くとは思えませんね、
寧ろその大金を懐にしたばっかりに、
身を持ち崩してしまう、と言う様な事が有りますね、
そのそちらの方を頂くわけですけれども、
それこそ宝くじに当たった様なおかげでは、
それがたとえ 1億、10億宝くじに当たったとしても、
使ってしまえば、直ぐ無くなってしまう、
勿論、賢い人はそれで投資に回して、
またお金を得ようと言うのかもしれませんけれども、
中々そう言う人は少ないのでしょうね、
さあ宝くじに当たったら、あれを買って、これを買ってと、
1億円の宝くじにあたったら、あれを買い、これを買い、
あそこにあれを食べに行き、旅行に行き、
とお金を使う算段を致しますね、
そして、直ぐにでも無くなってしまうものです、
今朝頂きますのは、そのいわゆる宝くじ的なおかげで、
一時的に大金を懐にしても、
それは私どもが使ってしまえば直ぐ無くなってしまうもの、
それこそ 1億だろうが、10億だろうが、どこぞに寄与してしまえば、
もうそれでそっくり無くなってしまうわけですからね、
そうではない、信心をさせて頂く者の頂くおかげは、
おかげと言うより、御徳だと、
よく師匠が、使うて減らぬ金 100両、
これは御徳だと仰って居られましたね、
そして実際ある御信者さんなどは、
使うて減らぬ金 100万円ですか、
のおかげではない、御徳を頂いて居ると、
ですから 100万円のお金には困りませんと、
どう言う事があっても、いつでも 100万円用立てが出来ます、
と言うわけですね、
そしてその 100万円を使ったら、
それでもう無くなってしまうかと言うと、そうではない、
また次に 100万円が要るようになったら、
またその 100万円が出て来る、
打ち出の小槌ではありませんけれども、
幾らでも必要なだけは出て来ると言うわけですね、
これが御徳だと、しかしそれが例えば、
打ち出の小槌を振って、1億円出て来るかと言うと、
そうではないと、そう言ういわゆる宝くじ的なおかげではない、
一時的なものではない、ただ振れば振るだけ、
例えば 100万円なら 100万円は、尽きる事なく出て来ると、
どっちが良いかと、言うわけですね、
例えば、1億円の宝くじに当たるのが良いか、
それこそ 10万円なら 10万円、
1万円でも良いですけれども、
使うて減らぬ 1万円の御徳を頂くのが良いか、
と言う事なのですね、
その人その人に応じて価値観が違うのでしょうけれども、
私が思うには、やっぱり 1億円の宝くじに当たるよりか、
使うて減らぬ金 1万円、あるいは使うて減らぬ金 10万円でも、
100万円でも、その幾ら使っても、
また次から次にこんこんと湧いて来る、
頂けれる様な、そう言う御徳による所のおかげ、
御徳による所のお金のおかげ、と言うのでしょうかね、
そう言う「金の徳」を頂きたいものだと思いますね、
為にはどうあったら良いのか、
それこそ、そのお金を自分の身欲、身勝手の為に使う様な事に、
神様が用立て下さるとは思えませんね、
やはり世の為、人の為、人が助かる事の為に使わせて頂こう、
と、その事にしか使わない、と神様が見極められた時に初めて、
使うて減らぬ金 100両、と言う様な御神徳も、
授けて下さるのではないでしょうかね、
宝くじに当たる様なおかげより、
使うて減らぬ金 100両の御神徳を頂きたいと言う事ですね、
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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