2023年3月31日金曜日

語って欲しいのですよ、和賀心への道を (2023-03-31)

 今日も和賀心学 (2023-03-31)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝はお夢で、誰かが誰かに、「語って欲しいのですよ、和賀心への道を」と言っておられる所を頂いた。師匠大坪総一郎師は御晩年に、「今、白い服を着た人がね、私に 『残す言葉を書け』と言われるから」と、「私が残す言葉は、和賀心しかない。自分自身に求め続けてきた。今、 ただ今も和賀心。和の一文字だけ。これからも、あちらに行ってからも、 和賀心を頂き続けたいと思う」と。そして「全世界の平和のことを祈ることが第一だよ」と。 


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 69頁)


ビデオ: https://youtu.be/bcGPD1dJ-fI

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-31.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




信心してみかげのなき時は

これぞ不思議なることぞ




助けにゃおかぬと念願を掛けておいでになる神さま、

助かりたいと願う氏子、




両者が相対して霊験の現われぬはずがないと信念し、

改まることに、研くことにつとめ、一心に願い、




両者の仲にみかげの邪魔になっておるものはないかと、

自らの心の上に反省追求を怠らず、すがってゆけば、




そこからみかげがうけられる




助けにゃおかぬ、

と念願して居られる神様と、




おかげを授けようとして居る神様、

して居られると言うのでしょうかね、




その神様の本音と言うのでしょうかね、

神様が私どもに願われるもの、それは何だろうかと




今朝は、お夢の中で、あぁこれが神様の御心だろうか、

と思う様なお夢を頂きました、




それは、ある方に、ある方が、

こう言う様な事を言って居られるお夢でした、




それは、語って欲しいのですよ、和賀心への道を、

と、誰かに言って居られる様な場面でした、




語って欲しいのですよと、何を語るのか、

和賀心への道を、と言う事なのですね、




ああこれが神様の御心だろうか、

と私は思いましたね、




言わば、和賀心への道を語って欲しいと、

その和賀心を目指す、と言う事ですね、




師匠のおかげの泉の第 1号に有りますね、

頂きます、と言う心あらば障ることなし、ですか、




やはりまずその和賀心を目指す、

その第一は、頂きますと言う心だな、と思いますね、




そしてまた神様が、私どもに願われるもの、

それは天地書附にも有ります、




おかげは和賀心にあり、と、これが、

おかげを授けたいから、和賀心になりなさい、




とも頂けますけれども、

そのもう一つ読み込む、と言うのでしょうかね、




おかげを、おかげと言う人参をぶら下げて、

本当は、和賀心を目指して欲しいのだと、




和らぎ賀ぶ和賀心を目指しなさいと、

和賀心になりなさいと、おかげが有るよと、




言うわけですね、おかげと言う人参をぶら下げて、

和らぎ賀ぶ和賀心になる事を目指させようと言うわけですね、




それと、今朝お夢の中で頂きます、

語って欲しいのですよと、その和賀心への道を、




と言うのが相呼応する様な感じが致します、




即ち神様が、私ども人間氏子に求められるもの、

それは和らぎ賀ぶ和賀心を求めての信心だと、言う事ですね、




師匠も、教祖様の沢山の御教えがある、

それら全ては、一切がそれこそ、




和賀心を目指す、和賀心になる事の為の御教えだと、

仰られた事が有りますね、




私どもが、いや神様が、人間氏子に授けたいもの、

人間氏子に求めて欲しいもの、




それはいつ如何なる、どう言う中にあっても、

和らいでおれ、賀んでおれる、




その和らぎ賀ぶ和賀心を持ち続けて欲しい、

元々そこに精進して欲しい、努力して欲しい、




と言う事ではないでしょうかね、




どうでも私どもがやはり、

和賀心を身に着けると言うのでしょうか、




和賀心を目指しての

精進努力と言うのでしょうかね、




何としても、和賀心を頂きたい、

と、そこに焦点をおいての信心、




いや信心のみならず、この一生においてもそうですね、

そう言えば、師匠が御晩年に、




確か、あれは最後のお言葉ではないでしょうかね、

この世、あの世を通して、和賀心を求める、




と言った様な内容の事を残して居られますね、

なんでしたかね、一寸度忘れしましたが、




何とかは和賀心にあるを、でしたかね、

一寸度忘れしました、すいません、




そのこの世、あの世を通して、和賀心を求め続ける、

と言う意味のお言葉だったと思います、




そしてまた今朝頂きます、

神様が、私どもに求めて居られるもの、




それは、和賀心を持って欲しい、

和賀心を目指しての信心をして欲しい、




いや、和賀心を目指しての一生であって欲しい、

と言う事ではないでしょうかね、




どうでも、それこそ和賀心への道を語れる様な、

私どもにならせて頂きたいと願いますね、




その師匠の先ず第 1号、おかげの泉第 1号に有ります、

頂きますと言う心、これがまず第一だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2023年3月30日木曜日

人が助かる為の働きを現させて下さい (2023-03-30)

 今日も和賀心学 (2023-03-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


教祖様の場合は、天地金乃神様の方から教祖様に人助けの御用を頼まれた。一方私どもの場合は神様からの頼みが有る訳ではない。が、私どもの中に、神様のお役に立たせて下さい、人が助かる為のお役に立たせて下さいと言う心が育ち、こちらの方から、人が助かる為の働きを現させて下さいとの願いが要る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 359頁)


ビデオ: https://youtu.be/7UmiDZ7-O7I

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-30.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第55節




賃を取ってする仕事は、若い時には頼んでもくれるが、

年をとっては頼んでくれぬ




信心は、年が寄るほど位がつくものじゃ

信心をすれば一年一年ありがとうなってくる




おかげおかげの信心では

有難い心は育たない




本心の玉を研くことが信心だと悟って信心すれば、

自然と有難くもなれ、信心の位もついてくる




本心の玉を磨くこと、

言わば心が育つ事だと思いますね、




心を、自らの心が育つ事を信心の目指しとして、

信心に取り組む、そのどう言う心が育てば良いのか、




やはり神様のお役に立たせて頂きたい、

ではどう言う役に立ちたいのか、




それは、人が助かる事の為のお役に立たせて頂きたい、

と言う心が育って来る事だと思いますね、




自らが助かり、そして人様も助かって頂きたい、と願う、

またそれが神様の助かりにも繋がる事だと、




神様が助かられる事を願い、人様が助かられる事を願う、

そう言う心が、愈々育って来なければならない、




それがまた、天の心と言う事でもあるのでしょう、




今朝は面白いお夢を頂きました、

ある方が海外旅行から帰って来られるのですが、




それを迎えに車で行かせて頂いたのですね、

それで荷物が沢山有るわけです、




その荷物を車に詰め込んで、

さあその人の家の前まで来たのですけれども、




その方の家の前の道路が、交通規制がされて居ると、

それで通れないと言うわけです、




その家の前まで来て、家の前で荷物を降ろそうとすれば、

その道路を通る許可と言うのでしょうかね、




そう言うものを貰わなければならないと、

誰も彼もがその家の前の道路を通れないと言うわけです、




そしてどこに許可を貰いに行ったら良いのかと、言う様な事で、

色々引っ越し専門の人達が居られますね、




そう言う方達は、そこを通れるわけですから、

そう言う方達の所に頼みに行ったりとか、




色々、あの手この手を探して居るお夢でした、




その荷物は持って来たけれども、その家の前にある道を通って、

そこに、家の前に荷物を運ぶ事が出来ない、




何か特別な許可が要る、と言うわけですね、

さあどう言う事だろうかと、




心中祈念の時に思わせて頂いたのですけれども、




そして、これはこう言う事ではないだろうかと、

思わせられたのですね、と言うのは、




教祖様の場合には、神様の方から、天地金乃神様の方が、

教祖様に人助けを頼まれた、




難儀な氏子を取次ぎ、助けてやってくれと、

神様が、教祖様にお頼みされたわけですね、




ところが、私どもの場合には、神様から頼まれないのですね、

頼まれたと言うのは有りませんね、




また私どもに、神様が、人を助けてくれと、言われる様な事も、

ある人は有るのでしょうけれども、私はないですね、




その信心が足りない、

と言えば足りないわけですから、




そう言う私どもでも、神様のお役に立たせて頂きたい、

と言う心が段々育って来て、




それこそ、人様が助かるお役にでも立ちたい、

と言う心が育って来る、




しかしそう言う、神様のお役に立ちたい、

人が助かるお役に立ちたい、と言う心が育っただけでは、




神様が、人助けの御働きを現して下さる事にはならない、

そこにはやはり、神様の許可が要る、と言うのでしょうかね、




神様から許されて、お役に立たせて頂く、

と言う事になるのでしょうね、




ですから先ずは私どもが、

神様、お役に立たせて下さい、




先ずその前に、そう言うお役に立ちたいと言う心が、

育つ事が先ですけれども、




その心が育ったら、次には、

どうぞ神様、お役に立たせて下さい、




お役に立つと言っても、私がすると言っても、

私が出来るわけではありませんから、




結局、神様のおかげを頂いて、お役に立たせて頂く、

と言う事になるわけですから、




先ずはその、お役に立ちたいと言う願いが育ち、

その、神様、お役に立たせて下さい、と神様に願う心が育って来る、




そしてそれこそ、人が助かる御用にでも立たせて下さい、

と神様にお願いをする、神様のお許しが要ると言うわけですね、




その、人が助かる事のお役に立つため、の

神様のお許しを頂かねばならない、




そしてまたそこに、人が助かる事の為の働きを、

神様に現して頂かなければならない、




その為の願い、を先ずしなければならない、

と言う事だなと、思わせられた次第です、




ですから、教祖様の場合は、

やっぱり別格でしょうね、




教祖様の信心が素晴らしかったから、

神様が、神様の方がお頼みになられた、




しかし私どもの場合には、まだそこまで至りませんから、

私どもの方が、神様に、人を助けるお役に立たせて下さい、




どうぞ、人が助かる働きを現させて下さい、

現して下さい、と言う願いが、




そのお許しを先ず頂かねばならない、

お許しを請う願いが要ると言う事ですね、




そしてそこに初めて、よし、この氏子なら、

と神様が思し召しなさったならば、




その、人が助かる働きを現して下さる事に

なるのではないでしょうかね、




人の助かりを願う心が育ち、

そのお役に立ちたいと言う心が更に育ち、




そしてそのお役に立たせて下さい、

その働きを現させて下さい、




神様、現して下さい、

と言う願いが愈々育って来なければならない、




そして勿論、神様からお許しを頂かねばならない、

と言う事でありますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2023年3月29日水曜日

天地金乃神様と人間氏子との間柄がより良い神人関係になること (2023-03-29)

 今日も和賀心学 (2023-03-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


私どもがこの世に生を受けたと言うことの目的の一つは、自らの魂を磨き清めする、即ち心を育てること、天地日月の心を育てることにある。そしてもう一つは天地金乃神様とのより良い神人関係を築くことにある。即ち御神徳、神様と私どもとの間柄、信じ、信じられる信頼関係が築かれ愈々強くなることである。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 340頁)


ビデオ: https://youtu.be/dtZ0yxw6zt8

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/03-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-03-29.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第49節




信心は相縁機縁




難儀が機縁を作り

「おかげ」が相縁を生む




「袖すり合うも他生の縁」と言うなかに、

親と呼ばれ子と呼ぶほどの深い縁はなけれども、




その深い縁を袖にする

親不孝、子不孝のものがある




折角、親神様との縁を頂きながら、親子の縁を結びもせず、

神をはなれるほど、神を悲しませることはない




教祖は『信心は親に孝行するも同じことぞや』

と教え給う




難儀が機縁を作り、

おかげが相縁を生むと、




私どもがこの世でなさねばならぬ事、

何の為にこの世に生を受けたのか、




それは勿論私どもの心を育てる、磨く、

と言う事が一つの目的であるわけですけれども、




と同時にまた、今朝頂きますのは、

神様と人間氏子との関わり合い、と言うのでしょうか、




神人関係と言うのでしょうか、

そのより良い神人関係を築く為、に言わばこの世が有ると、




この世に居る間に、神様とのより良い関係を

築き上げて行く事が大切だと言う事ですね、




そう言う事を、何か心中祈念の時に思わせて頂いておりましたら、

正にこの御理解を頂きました、




神様が、正にそうだと、

仰って居られる様な感じが致しますね、




神様と人間氏子との間の相縁機縁、

その関係と言うのですかね、




人間関係と言いますね、

その神人関係、より良い神人関係を作り上げて行くのだと、




これは師匠は、神様と人間とが、

合い拝み合う、楽しみ合う世界、合楽世界とも表現されますね、




その人間と神様との間が、

拝み合う、そしてまた合い楽しみ合う、




合い拝み合い、合い楽しみ合う世界、

そう言う世界を顕現して行くのだと、




とかく人間は何事も自分の力でやり、自分の頭で考えて、

自分の行動によって何かを生みなして居ると、思います、




神様をそっちのけにしてしまう事が多いですね、

そして難儀が有り、もう自分の力ではにっちもさっちも行かない、




となった時に、神様に手を合わせる、

そしてまた、そう言う時に初めて、




神様の存在と言うものを

実感するようになるのではないでしょうかね、




ですから、難儀が起こって来て、難儀な時に初めて、

神様に出会うと言うのか、




神様にお願いをする、

神様に触れ合おうとする、




もし何もかもが、人間の思う通りに、

自分で運ぶ事が、運ばれて行くならば、




神様を必要としない、

と言うのでしょうかね、




人間の慢心と言った様なものが、

人間の自分の力、知恵、力で、何事も成し遂げる事が出来る、




と言う様な事になって行くのではないでしょうかね、

神様の要らない世界になってしまう、と言うのでしょうか、




神様不在で、問題が無い、

と言う事になるのでしょうね、




そうではない、

神様のおかげで、今日の私がある、




それこそ箸の上げ下ろしに至るまで、

実際は、神様のおかげでさせて頂いて居る、




お生かしのおかげを頂いて居る、

神様のおかげを頂かなければ、何一つ出来ない、




事を、運ばせる事が出来ない私どもである、と言う事が分からない、

それを分からせる為の、一つの難儀でもあるのかもしれませんね、




その難儀を通して、愈々神様に縋らなければ、

神様のお力を頂かなければ、出来ない私どもだと言うのを、




分からされると言うのでしょうかね、

そしてそこから初めて、神様と仲良うする事を覚える、




と言うのでしょうか、

神様と仲良くなろうとするわけですね、




そして愈々神様と私どもとの間柄が、

信じ、信じられる間柄となって行く、




それこそ、切っても切れない仲に、

私どもがなって行く、




その為の、日々様々な事柄が起こって来る、

その事柄を通して、神様と私どもとの間が、




実際は切っても切れぬ間柄なのですけれども、

人間の側の認識として、それが無い、




そこが問題なわけですね、

人間の側に、その神様を外せない、




と言う認識が出来て来る、

神様をよくよく実感する、認識する、




そして神様との間柄が如何に大切であるかと言う事を

実感させて頂く、




その事の為の日々と、出来事と、

言えるのかもしれませんね、




より良い神様との間柄を築く事の為の

日々の成行きである、




また私どもが、この世に生を受けたと言う事が、

私どもの心を磨く事であると同時に、




また、より良い神様との間柄を築いて行く事の為にあると、

そしてまた愈々は、神の子である人間、私どもが、




愈々神に還って行くと言うのでしょうかね、

生神への精進、と言う事にもなるのではないでしょうかね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます