2023年2月26日日曜日

貫くこと、貫いて初めて成就する (2023-02-26)

 今日も和賀心学 (2023-02-26)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝教えて頂くことは、貫くと言うこと。師匠大坪総一郎師が病床にあられて、これまで一切神愛と唱えて来たが、間違いではなかろうかとふと心によぎられた時、間髪を入れず、猪に乗った大黒様の図柄の日本手拭いがお供えになったと。師匠は、一切神愛を貫けとの神様からのお知らせと頂かれた。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 175頁)


ビデオ: https://youtu.be/U8zGLPLXalM

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-26.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




わが身がわが自由にならぬものぞ




我が身が自由になりませんが、

心は稽古次第で自由自在に使うことが出来るようになります




喜びに喜んで過ごせる稽古が信心です




ルールを守り約束に従う行き方、

信心も教えにもとづく生き方は




いかにも窮屈のように見えますが、

身につくと有難く楽しい生活が出来るようになります




自由以上の自由を頂くことのために




自由以上の自由とは、

一体どう言う事だろうかと思いますね、




自由に、そしてまたそれ以上に自由が有るのかと、

一寸考えさせられる様な表現ですけれども、




自由に勝手気ままに、

と言うのが有りますね、




その勝手気ままの自由さとは、

少し違う自由と言うのでしょうかね、




あれは、孔子でしたか、孟子でしたか、忘れましたけれども、

何歳かにして、その我が思う所に従えども、矩を踰えずとか、




言うのが有ったと思いますけれども、

いわゆる何を思うても、何をしても、




その何と言いましょうかね、

ルールの中と言うのか、その教えの中だと言うわけですね、




その中でいわゆる自由自在に、教えの中で泳ぎ回る、

と言うのでしょうかね、それが出来て居ると言うのか、




もうそこから先には行かないと言うわけですね、これなどが、

一つの自由以上の自由と言う事ではないかと思いますね、




私どもがどんな事を考えても、何をしても、

どう言う欲っぽい事をしたとしても、




その欲が、神様から許される、その範囲と言うのでしょうか、

それを越えないと言うわけですね、




何と言いましょうかね、ある意味外側から見れば、

窮屈な世界だな、と思えるのかもしれませんけれども、




内側の世界、中に生きて居るものからすれば、

自由勝手に振る舞って居るわけですけれども、




それでも、やはりその教えから出る事は無いと、

何と言いましょうかね、




そう言う心が出来上がった状態とでも言うのでしょうかね、

そうなると、もう楽ですね、




そこに至るまでが難しい、と言えば、

難しいのかもしれませんね、




その我が思う所に従えども、矩を踰えず、

と言った様なその境地に至る為には、




やはり今朝はその、貫かなければならないと、

一つの教えなら教え、それを貫く事が大切だと、




言う事を、ここ数日の成行きから

教えて頂いて居るように思います、




実は、ずっと取り組んで参りましたその、

師匠の御理解とか、出版物を全文検索しようと言う、




それが中々紆余曲折を経て、

上手く行きませんでしたが、




昨日やっと言わば我が家の中で、

手元の所では検索が出来るようになったように思います、




つまり我が家の中では自由に検索が出来ると、

これが、世界の人から検索出来るようにと言う事になると、




ウェブ版を、が上手く行かないといきませんけれども、

それがまだ上手く行きません、




けれども、1台のパソコンの中でなら、

上手く検索出来るようになったように思います、




やはり、貫かねばならないと言う事ですね、

ああこれが出来ないから諦めようとか、




これが上手く行かないから、もうこれでダメだ、

とそこで諦めたのでは、そこ止まりだと、




何とか打開する道はないものだろうかと、

やはり、こうする事が本当だ、こうする事が神様のお役に立つ事だ、




とそこに定まったならば、これはもう貫かねばならない、

その途中では、やっぱり山も有り、谷も有る、峠も有る、




様々な所が待ち受けて居るけれども、

それでも、貫かねばならない、と言う事なのですね、




師匠もよく仰って居られましたね、




その教えを行ずると、出来たり、出来なかったり、

と言う様な事ではならないと、




信心の稽古、それはどこまでも貫かなければならないと、

貫いて初めて、それが身に着くものだと、




その身に着いた暁には、それこそ自由以上の自由が許される、

と言う様な世界に住まわせて頂けれるのだと思いますね、




そこに至る前には、先ずはとにかく貫く事だと、

その師匠がそれこそ、




これまで一切神愛を唱えて来たけれども、

これは間違いではなかったろうか、




と思われた時に、神様から、貫く事だと、

言う意味のお知らせを頂いて居られますね、




やはり私どもは、貫くと言う事が、やっぱり大切ですね、

それは、信心辛抱と言う事にも繋がるのかもしれません、




とにかく、

貫くと言う事が、やはり大切ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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