今日も和賀心学 (2023-02-06)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人間にとって一番大切なものは欲だと、欲する心だと。但しその欲も諸刃の剣の様なもの。師匠大坪総一郎師は、我情を鎮め、我欲をコントロールすると教えて下さる。我欲を制御し、愈々人の助かりを欲し、天地金乃神様のお役に立ちたいと言う欲が強く膨らまねば。そして神様と同じ欲を持てる様になりたい。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 201頁)
ビデオ: https://youtu.be/__-qXvMJSNk
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-06.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第3節
天地金乃神と申すことは、
天地の間に氏子おっておかげを知らず、
神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、
そのわけ知らず、
方角日柄ばかり見て無礼いたし、
前々の巡り合わせで難を受けおる
この度、生神金光大神を差し向け、
願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、
末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、
上下立つようにいたす
親のふところにありながら親のふところにあることを知らず、
不安焦燥の生活をなして居る状態は、
天地金乃神として、又親として、
みるにみかね給うところから、
生神金光大神を差し向け、
親子共々の繁栄、幸せを願われたものである
その不幸の第一は、人間氏子の見当ちがい思いちがいの生活が
其の原因をなしておると指摘し、メグリの根絶を願われたものである
どこに難儀のもとがあるかを知り、
親のふところにある子供のような安心を頂かねばなりません
昭和44年7月20日、朝の御理解を参照
どこに難儀の本が有るかを知り、
と教えて下さいます、
難儀の本、それはやはり
本を正せば人間の我情我欲と言う事になると思いますね、
私どもの我情我欲がやはり難儀の本になって居る、
しかしながら、今朝教えて頂きます事は、
人間にとって一番大切なもの、
もたまほしきものと言うのでしょうかね、
それは欲だと、教えて頂きます、
人間が人間としてある、と言う事、それは欲があると言う事、
これは生き物、と言う事にもなるのでしょうかね
よく分かりませんが、
確かに、例えばロボットですか、と、人間との大きな違い、
それは意思が有るとか、無いとか言われますけれども、
それはやはり欲に基づくもの、人間には欲が有る、
しかしロボットには自らの欲が有ろうとは思えませんね、
もしロボットに、ロボット自身の欲と言うものを
持たせる事が出来たら、
人間と同じようになってしまうのかもしれませんね、
欲を持つと言う事、これが人間として大事だと言うのですね、
この欲は、ですから諸刃の剣のところが有りますね、
持ち過ぎると、言わば我儘な欲が有り過ぎると、難儀の本になる、
しかしこれが欲が全く無くなると、
それこそ何と言いましょうかね、
その辺にある鉄屑で作ったロボットと同じ様な事になってしまう、
人間ではなくなってしまう、と言う所も有りますね、
欲は持たねばなりません、欲の無い人ほど、
無欲な人と言いますけれども、
本当に無欲な人と言うのは、どう言うのでしょうかね、
人間ではなくなってしまう様な感じも致しますね、
欲が有るからこそ、人間だと、
また欲が有るからこそ、信心も励む事が出来ますね、
先ず第一に、教祖様がそれこそ、私にも大きな欲が有ります、
人を助けたいと言う欲が有りますと、
例えば私どもがその、人を助けたいと言う欲、
神様のお役に立ちたいと言う、その欲、
が、愈々強く大きくなって参りませんと、
例えばその反対の欲と言うのでしょうか、
自分さえよければ良いと、自分の我儘な、
言わば、我欲、身欲身勝手なその欲に凝り固まる、
そちらの方の欲が強くなると、我儘一辺倒になってしまいますね、
人様が迷惑しようが、何をしようが、自分さえよければ良い、
自分の、いわゆる我情我欲を満たす事だけに走ってしまう、
これではいけませんね、
師匠はそこの所を、我情を鎮め、我欲をコントロールする、
と教えて下さいます、
そのコントロールされた欲であって初めて、良いわけですね、
またその欲をコントロールして行かねばならない、
そしてまた私どもが、もたまほしき欲と言うのでしょうか、
こう言う欲は持たなければならない、と言うその欲は、
人の助かる、そのお役に立ちたいと言う、
人を助けたい、人が助かるお役に立ちたい、と言う、
そう言う欲は愈々、大きく膨らんで来なければなりませんね、
それこそ世界の真の平和を願う、と言う欲ですね、
言わば正しい欲と言うのでしょうかね、
ですからある意味、私どもは信心させて頂き、
こう言う欲くは持たない方が良い、
こう言う欲くは愈々持って、大きく膨らまして行かねばならない、
と言った様な事を、やはり
信心の中で教えて頂くのではないでしょうかね、
中でも、人の助かりを願うと言う欲、
神様のお役に立たせて頂きたいと言う欲、
こう言うのはどれ程膨らんで良いか分かりませんね、
限りなく膨らんで欲しいものです、
一方、あれが食べたい、これが欲しい、
ああしたい、こうしたい、と言う、
いわゆる身勝手な欲、
これは出来るだけ取り除いて行きたいものですね、
最も望ましい事、それは神様の欲せられる、その欲と、
私どもが欲する、その欲とが同じになる事ではないでしょうかね、
それは、神様が願われる事を、私どもも願うようになる、
また、私どもが願う事が、それは神様が願って居られる事だと、
私どもの欲と、神様との欲が同じになる、と言うのか、
神様の欲を、私どもも同じように持たせて頂く、
そう言う、これは神の心を心とする、と言う事にも
繋がるのかもしれませんね、
それは、神の欲を、吾が欲とする、
と言い換えられるかもしれませんね、
そう言う神様の欲と、私どもの欲とが同じになる、
そう言うおかげを頂きたいものですね、
それは即ち、神様が願われる事を、
私どももまた同じ事を願う、
と、そう言う事になるわけですからね、
欲が無くなるといけません、
全部の欲が無くなってしまうと、もぬけの殻になってしまいます、
欲はなければならない、欲を持たねばならない、
それは、正しい欲を持つと言う事ですね、
そう言うやっぱり、お育てを頂かねばなりませんね、
その育たないから、子供がおもちゃをねだる、お菓子をねだる、
そう言う程度の欲で止まって居る、
それが愈々、育ち成長すると、
人の助かりを願うようになる、
人の助かりを欲する、
その為のお役に立ちたいと言う欲が募って来る、
やっぱり、私どもの心が育たねばなりませんね、
そして持ってはならない欲、外した方が良い欲、
と、これは持たねばならない欲、もたまほしき欲、
神様から許されての欲、神様と同じ欲を持たせて頂きたい、
為には、やはり育たねばなりませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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