2023年2月7日火曜日

人が助かる為の修行としての朝起きであり、成行きを受ける (2023-02-07)

 今日も和賀心学 (2023-02-07)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の信心の転換点は、自らの願いが成就する為にあらゆる修行をしたけれどもその私願が一つも成就しなかったと。そこで、これは私にも天地金乃神様の願いがかけられておるに違いないと私願を捨て、神願成就の為に成行きを受ける事を修行とされた。その覚悟あっての成行きを尊ぶと言う事。もう一つは、人が助かる為の修行としての朝起きであり、成行きを尊ぶ。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 359頁)


ビデオ: https://youtu.be/iM7ilz82ssA

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-07.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第55節




賃を取ってする仕事は、若い時には頼んでもくれるが、

年をとっては頼んでくれぬ




信心は、年が寄るほど位がつくものじゃ

信心をすれば一年一年ありがとうなってくる




おかげおかげの信心では

有難い心は育たない




本心の玉を研くことが信心だと悟って信心すれば、

自然と有難くもなれ、信心の位もついてくる




おかげを求めての信心、

言わば自らの願いが成就すると言うおかげですね、




そう言う私の願いが叶う、と言う事を求めての信心が

何年続いても有難い心は育たない、と言う事ですね、




師匠大坪総一郎師の信心の一大転換は、

そこにあったと思いますね、




師匠は、とにかく自分の願いが成就する事の為に、と思い、

いわゆる直信先覚がなさったと言うそのあらゆる修行をしたと、




しかし一つも自分の願いは叶わなかった、

あらゆる修行をしたけれども、




願いが叶う事をそれこそ願って、あらゆる修行をしたけれども、

師匠の願いは一つも叶わなかったと、




そこから師匠は、これはきっと

私にも何か神様の願いがかかっておるに違いないと、




自分の願いが叶わない、それは神様の願いと違うからだと、

思われたのでしょうね、




悟られたと言うのか、感じ取られたと言うのか、

そこで、これは私にも神様の願いがかけられておるに違いない、




と感じられたわけですね、




そしてその神様の願いが成就する為ならば、

もう自分の願いは捨てようと、




右にして下さい、左にして下さいと言う願いは止めようと、

もう神様の願いが成就する事の為、その事の為だけに、




言わばこれから身の上に起きて来る事柄をその為の修行として

受けさせて頂きます、とそう決心され、そうお取次ぎを願われた、




そこからが、師匠の信心の、

真の信心の始まりと言うのでしょうかね、




一大転換をされた所ですね、

ですから師匠にとっては、




成行きを頂く、受けると言う事は、それは即ち

神様の願いが成就する為の修行の一環だったわけですね、




ですからもう右にして下さいとか、

左にして下さいとか言う心は、もう有られなかった、




その上での成行きを受けます、

と言う修行だったわけですね、




ところが私どもはどうかと言うと、

成行きを大切にしなさいと、




師匠は、その成行きを大切にする中から、

そこに込められた神様の愛と言うものを、




神愛と言うものを感じ取って行かれたわけですけれども、

感じ取って行かれたからこそ、




もういらぬ雑行は、雑行ですかは要らないと、

その成行きを大切にして行きさえすれば、幸せになると




喝破されたわけですけれども、

ですから、そこを教えて下さいますから、




私どもは、これは私どもの中に覚悟が無い、言わば、

右にして下さい、左にして下さいと言う事は、もう止めました、




と言うその覚悟が無い、

私にかけられた神様の願いが成就する為に、成行きを受ける、




その事を修行とさせて頂く、と言うその覚悟が無いままに、

覚悟が出来ていないわけですね、




師匠の場合には、そう言う覚悟が出来ておられた、

ところが、後々の者には、そう言う覚悟が無い、




そう言う覚悟無くして、成行きを尊ぼうとする、

成行きを大切にしようとする、




ですから成行きを尊べない所が出て来るわけです、

構えが無い、覚悟は無いわけですからね、




そう言う時に、師匠はその成行きの頂き方を、

やっぱり私どもには、その覚悟が有りませんから、




右にして下さい、左にして下さい、

と言う願いが先に出て来るわけですね、




その右にして下さいと願って、左になる、

左にして下さいと願って、右になる、




そう言う時にどう頂いて行くか、

それをこれは言わば、右にして下さいと願っても、左になる、




これは私の願いは叶っていない、

けれども、これは神様の願いが叶っている、




言わば、私の願いが成就してないけれども、

これは今、神様の願いが成就している事なのだ、




として受けて行く、

そう言う受け心を作ると言う事ですね、




しかしその前提にはやはり、神様の願いが成就する事を願う、

と言う所までは行っていないと、受けるのが難しいですね、




先ず、師匠が覚悟されたその覚悟、同じ覚悟を持たないと、

成行きを大切にする事は出来ませんね、中々難しい、




そして今日、更にもう一つ教えて頂きます事は、

それこそ自分の思い通りにならない時、




その時は、これは今神様の願いが成就している時だ、

と思って、その成行きを頂いて行く、と言う事が一つ、




と、もう一つは、例えば朝の 3時半、

朝を命としてと、それこそ取次者として朝起きる、




これは師匠は命とされたと、

しかし中々私ども、朝起きる事が難しい、




今朝もそうでしたけれども、中々時間になっても、

床から、エイヤと出るのが難しい、




そう言う時に、どう言う心持ちになるか、それは、

よしこれを、人が助かる為の修行として起きさせて頂こう、




と思う所に、元気な心もやはり出て来るものですね、

ですから朝起きなら朝起き、これが出来ない、




そこにその出来ない事をさせて頂く、それは、

その事を人が助かる為の修行として、その事に取り組む、




と言う心構えと言うのか、

それも一つの覚悟の一つかもしれませんね、




そう言う取り組み方が有りますね、




これもその前には、人の助かりを願う、と言う心が、

私どもの中に、やはり育っておらねばならないのかもしれませんね、




師匠と同じ様な覚悟がまだ出来ていない私どもにとってみれば、

やはり右にして下さい、左にして下さいと願う事が多い、




それが叶わない時に、

今それこそこれは、私の願いは叶わないけれども、




神様の願いが成就して行っておる事だ、として受けて行く、

あるいは今、朝起き一つが取り組めない、




その取り組む心根、心構えとして、

よし、この事を人が助かる為の修行として取り組ませて頂こう、




朝起きをさせて頂こう、

この成行きを受け切る事が出来ない、




よし、この成行きを受ける事を、

人が助かる事の為の修行として受けさせて頂こう、




と、元気を出して受け貫いて行く、

そう言う取り組みがやはり要りますね、




何かしら工夫をさせて頂いてでも、成行きを頂いて行く、

その暁に、なる程成行きを頂いて良かった、




成行きは、神様の神愛の現れだ、と言う事が感じ取れたら、

そこから後は、楽なのでしょうけれどもね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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