今日も和賀心学 (2023-02-12)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
天地金乃神様の願いとは、人間氏子の真実の助かりです。その真の助かりを頂くには心の成長が不可欠です。師匠大坪総一郎師は土の心で8合目まで、後の2合は天の心でと教えて下さいます。愈々の心の成長には天の心即ち人様の助かりを願い祈る心が育たねばなりません。人が助かる為の修行の覚悟も要ります。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 261頁)
ビデオ: https://youtu.be/5Kw9vFDxxm0
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-12.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第23節
氏子が神と仲ようする信心ぞ
神を恐れるようにすると信心にならぬ
神に近寄るようにせよ
難儀は神さまと私共との仲立ちです
そこから神さまとの交流がはじまります
難儀が神愛と悟れる頃には、
いよいよ神さまとの仲に切っても切れぬ仲が生まれます
神の働きそのままに受けてうけて受けぬく時、
神の働きそのままのおかげの世界が生みなされて来ます
神に近寄るようにせよ、
と御理解下されてあります、
神に近寄るようにせよ、
これは 2つの意味が有るように思います、
一つは、いわゆる物理的に神様に近寄ると言う事ですね、
その誰々の側に近寄ると言いますね、
いわゆるそう言う意味での近寄るです、
ともう一つは、その心が、私どもの心が神様に近寄る、
言わば神の心を心とする、と師匠が教えて下さいます、
その神様の御心に近付くと言うのですね、
神の心に成るような信心をせよ、
と言う事にも頂けますね、
神様の心に愈々近付いて行く、
それは神に還って行くとか、神に成長する、
私どもが正しく成長して神に成る、
と言う事にも繋がって来るのだと思いますね、
信心をさせて頂く、それはやっぱり私どもが助かる
と言う事の為に信心をさせて頂く、
勿論、その願い事が叶うと言う事も
助かるその一つではありましょうし、
一番の、人が助かると言う事は、
教祖様も、この方の神は病気治しや災難除けの神ではない、
心直しの神だ、と仰せられるように、
その心を直して行く、
一番の私どもの人間の助かり、それは願い事が叶う事よりも、
心が育つ事、心が育って初めて助かりが得られる事になりますね、
言わば心が育つ、それは心が育って神に近寄る、
神の心に近付いて行く、
その時に初めて、本当の助かりが得られる、
と言う事になるのではないでしょうかね、
その神の心の一つとして、やはりそれは、
人様の助かりを祈る、願う心が愈々強くなる事だと思いますね、
神様が人間氏子に願われる事は、
それこそ神の子供である人間が、正しく成長して、
同じように神に成る事だと、神の心を持つ事だと、
神の心を心とする氏子に成長する事だと、
ではその神様の願いの第一は、人間氏子が幸福になる事、
助かる事だと教えて下さいます、
神願成就とは、人が助かる事だと、ですから私どもが、
人が助かる事を、人様が助かられる事を祈る、願う、
そう言う私どもに、心が育って行かねばならない、
と言う事だと思いますね、
自分の事を願う、勿論そこから入るのでしょうけれども、
自分の事を願うよりも、まず人様が助かる事を願う、
そう言う私どもに育って行かねばならないと、
よく我が子と、よそ様の子が転んだ、
さあどちらを先に起こすか、我が子よりも
よそ様の子供を先に起こす様な、そう言う私どもになれ、
そう言う心持ちになれ、と教えて下さいますね、
人が助かる事を祈る私どもになれと、言う事ですね、
そう言う人の助かりを願う、祈る、
そう言う心が私どもの中に育って来なければなりませんね、
師匠大坪総一郎師も、土の心で 8合目まで、後の 2合は天の心で、
そして言わば頂上に登ると教えて下さいますが、
後の 2合の天の心を身に着ける、言わば人様に喜んで頂く、
人様が助かる事を願っての信心と言う事ですね、
ですからどうでも私どもの、人の助かりを祈る、願うと言う心が
育って来なければなりませんね、
様々な修行をしたけれども、一つもおかげにならなかった、
と師匠は仰って居られます、そこで思いついたのが、
いわゆる成行きを受けると言う事だと、
その事を修行としようと、
ある意味、修行と言って、断食をしたり、
火の行、水の行と言うものが有りますけれども、
神様が一番願われる修行、それはやはり、
成行きを受けて行くと言う修行ではないでしょうかね、
ですから昨日も申しますように、
人が助かる事を祈る、願う私どもの心が育つと言う事、
そしてそこに、それならば、と一修行させて頂こう、
人が助かる事の為の修行をさせて頂こう、と言う心が育つと言う事、
そしてでは何を修行とするか、
それこそ今自分の身に起こって来る、成行きを受ける、
その事を修行とさせて頂こう、
とそこには我情我欲が有ったのでは受けられませんから、
我情我欲を外すと言う事にもなりますね、
それは、何の為に我情我欲を外すのか、人が助かられる事の為に、
自分の我情我欲を外して行くと言う事に繋がって来ますね、
その一切が、人が助かる事の為の修行、としてなされて行く、
これが天地に通う修行、
神様が、人間氏子に願われる事ではないでしょうかね、
人の助かりを祈る、願う心が薄いから、争いも起こる、
それこそ犯罪もそうでしょうね、
もしそこに、人の助かりを願う心が愈々強まって来れば、
戦争や犯罪など起こりようは有りませんからね、
どうでも人間氏子の中に、自分ではない、人の助かりを願う心、
人の助かりを祈る心、その為には、修行でもさせて頂こう、
と言う様な心が愈々育って来る事、
そう言うお育てを頂かねばなりませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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