2023年2月23日木曜日

神様の思いに沿いたいと言う一念をもって成行きを大切に尊ぶ (2023-02-23)

 今日も和賀心学 (2023-02-23)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心は見易いものじゃが氏子から難しゅうすると。師匠大坪総一郎師は簡単です、明瞭です、しかもおかげが確かですと教えて下さる。師匠の許ではその一切が成行きを大切に尊ぶと言う事の中に含まれている。親様の即ち神様の思いに沿いたいと言う一念をもって成行きを大切に尊ぶ時、正しい道に導いて下さる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 202頁)


ビデオ: https://youtu.be/6H7vsgUQyKQ

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-23.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第3節




天地金乃神と申すことは、

天地の間に氏子おっておかげを知らず、




神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、

そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、




前々の巡り合わせで難を受けおる

この度、生神金光大神を差し向け、




願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、

末々まで繁盛いたすこと、




氏子ありての神、神ありての氏子、

上下立つようにいたす




『末々迄繁昌致す事』とありますおかげは、

神と氏子の助かりにならねばなりません




天地との調和そして交流、

そこからはじめて生みなされるおかげの世界が開かれます




即ち、神人共栄の世界です

究極、神の願いとされるところは、ここにあるのです




神の願いが氏子の上に成り、氏子の願いが神願成就に至る時、

神人交流の歓喜の世界は開かれます




神人共栄の世界、

と師匠は仰って居られますね、




神様と人間氏子とが合い楽しみ合い、拝み合う世界、

合楽世界だと、その私ども人間氏子が助かり、




また神様も助かって下さる、

共に助かり合うと言うのでしょうかね、




そう言う世界実現の為に、

では何をすれば良いのか、




勿論、それは信心による他ないと言う事ですけれども、

その信心とは一体どうすれば良いのか、




その、何と言いますかね、問い詰めると言うのか、

究極の所さあどうしたら良いのか、




と言っても、中々端的に分からない所が有りますね、

しかしその信心をすると言う事が、




私どもが幸せになる、

あるいは神様も幸せになって下さる




その手立て、それが師匠大坪総一郎師の許で、

信心の稽古をさせて頂いておりますと、




簡単です、明瞭です、しかも、おかげが確かです、

と言う事になるのですね、




ではどう言う、何をさせて頂いたら良いのか、




今朝頂きますのは、とにかく私どもがする事、

それは成行きを大切に尊ぶ事だと、




その成行きを大切に尊ぶ事さえして行けば、

その中に全てが含まれて居る、と言う事なのですね、




神様が導いて下さる、心を育てて下さる、

その成行きを尊ぶ中に、一切のものが入って居るのですね、




言わば、成行きを大切に尊ぶと言う事が、

私どもをその幸せの世界へ導いてくれる、




そこに行く為の心構えと言うのでしょうかね、




この心構えだけは、持っていなければならない、

と言うものが有るとすれば、それはいわゆる親孝行の心だと、




その中でも、親の思いに沿いたい、

そしてそれが愈々肉親の親の思いに沿うと言う事であり、




また師匠、親先生の思いに沿うと言う事であり、

更にそれが、神様の思いに沿いたい、と言う、




神様の思いに沿いたいと言う、

その願いと言うのでしょうかね、




その下で、成行きを大切に尊ぶ、

そのもしこの、神様の思いに沿いたい、




と言うこの心が無いならば、我情我欲で成行きを尊んだとしても、

それは本当の所に入って行けるかどうかは分かりませんね、




ただただ、神様の思いに沿いたい、

親様の思いに沿いたい、と言うその一念をもって、




成行きを大切に尊ぶ所に、神様が私どもを正しい方向へと、

正しい所へと導いて下さる、と言う事なのですね、




私どもの心がそれこそ、よこしまな心と言うのでしょうかね、

よこしまな心で成行きを尊んでも、




それはあまり、ある程度のとこまでは、

行けるのかもしれませんけれども、そこから先が中々進まない、




その、我情我欲を捨てると言いますけれども、

なる程成行きを大切にする中に、




我情を鎮め、我欲をコントロールする事が

段々出来て来るのでしょう、




しかしそこ止まりでは、またいけませんからね、

神様の思いに沿いたい、




神様の思いに沿おう、と言う根底のもとに、

成行きを大切に尊んで居ると、そこには欲が生まれて来ます、




それこそ神様のお役に立ちたい、と言う欲であり、

人を助けたい、と言う欲が生まれて来るものですね、




その欲が生まれて来る所まで、行かない人が

結構居られる様ですね、




我情はある程度取れた、我欲もある程度取れた、

そこ止まりなわけですね、そこから先に、




それ以上に、愈々欲が膨らんで来なければならない、

それこそ、お役に立ちたいと言う欲であり、




人を助けたいと言う欲が愈々膨らんで

来なければならないのだけれども、それが中々膨らまない、




何故か、それはやっぱり神様の御心に沿いたいと言う思いが、

欠如して居るからかもしれませんね、




さあここで、どうある事が神様の御心に沿う事なのか、

勿論欲を外すべき所も有りましょう、




しかしそれ以上に、欲を持たねばならない所もまた出て来ますね、

それは、神様の御心に沿いたいと言う思いが根底にある限り、




それこそ捨てねばならぬ欲く、

また大きく膨らませねばならぬ欲、




その辺の見極めと言うのでしょうかね、

その辺を神様が上手に導いて下さると思いますね、




自分でどうこうしようとしても、

中々うまく行くものではありません、




やっぱり、神様のおかげを頂かなければ、

ここ一寸動けぬ私どもです、




ただ、しかし神様の思いに沿いたい、と言うこの思いだけは

持ち続けねばならない、愈々募って来なければなりませんね、




その神様の思いに沿い奉りたい、と言う思いで、

成行きを大切に尊ぶ、と言う事が大切だと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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