今日も和賀心学 (2023-02-18)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
昨日までは、言われた通りにすると言う事であったが、今朝のお夢で頂く事は、言われる通りに師匠に付いて行くだけではダメだと。師匠の姿を見失ってしまったら途方に暮れなければならなくなる。師匠の行き先、目的地を確かに認識した上で後に付いて行くのでなければならないと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 338頁)
ビデオ: https://youtu.be/cDtSxYRWCOE
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-18.mp3
合掌
中原博信
-------------------------------------------------------
御理解 第48節
わが子の病気でも、
かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ
言うことを聞かぬ時に、
ままよと思うてほっておくような気になって、信心してやれ
おかげが受けられる
『ままよと思うて放っておくような気になって』
と言うことは、自分の欲や情を捨てた姿ですから、
神さまに充分の働きが頂ける場を作るようなものです
その上『信心してやれ』とは、
いよいよ信心を進めてゆけと言うことです
四十八節とは、いつもがおかげのチャンスと言うふうに思います
常平生がこの気持ちにさせて頂くなら、
間違いない御神徳がうけられます
ままよと思うてと、
ままよ、死んでもままよと、
師匠が仰る、この欲や情を捨てた姿、
と言う事になりますね、
しかしその欲や情を捨ててしまえば良いかと言うと、
そうとばかりは言えない様ですね、
昨日まではその、言われた通りにする、
と言う事でしたね、
この言われた通りにする、と言うのは、
やはりこれも欲や情を捨てた姿であろうと思いますね、
欲や、情が有れば、
言われた通りに中々出来ない、
ところが、その言われた通りにすると言う所で
止まっていたのでは、これまたいけない、
そのまだもう一つ先が有るよ、と言う様な事を、
今朝はお夢の中で教えて頂きました、
その先ですね、お夢の中で、
師匠がもう車椅子の生活に入っておられるのですけれども、
これからどこか、お出かけになると言うのですね、
飛行機でお出かけになると、
それで修行生の先生方、
お世話の先生方が数人お供をされるわけですけれども、
私もそのお供の一人に加えて頂いているのです、
ところが、さあ今から出かけます、と言う時になって、
その時になって初めて、
私がバタバタと準備をしている様な様子でした、
もう出かけられる事は分かっているのだから、
その出かけられる前に、前もって準備をして、
お待ち申し上げるくらいの心持ちがなければならないわけですね、
そう言う事を、シマッタ、もっと早く準備をしておけばよかった、
と思ってる様な所でした、
それで、車に皆んなが乗って、私も慌てて乗せさせて頂き、
飛行場に向かうわけですね、で、飛行場に着きました、
でまだ少し時間が有ると言うので、待合い所で、
皆んなで待たせて頂いているのですけれども、
そこで色々な事があって、手を洗いに行こうとするわけですね、
で、皆んなもやはり手を洗いに行かれている様子でした、
私もその手洗いに手を洗いに行って、
一寸石鹸を付けてゴシゴシ洗ったりとか、
そこの紙タオルですかね、
そのタオルがあんまり良いもんですから
一つ一寸切れっ端を頂いて行こうかと、
欲ですね、妙な欲を出したりして、
その皆んなより一寸遅れて手洗いを出たわけですね、
そうすると、もう皆んなの姿が見えないわけです、
もう先に行かれたわけです、
ところが、そこで困ったわけですね、
その飛行場と言うのが何階建てにもなっていて、
その発着所ですか、出発便ですか、
出発便のロビーと言うのが、2階にも 3階にも分かれてるわけです、
さあどこに行ったら良いんだろうかと、途方に暮れている、
と言う感じの所で夢が終わったのですけれどもね、
さあどうしようかと、
そのう携帯を探すけれども、それも持ってない、
もうどうしようも無いと、どうしようかと、
自分だけ取り残されて、これはもうどうしようも無いなと、
いわゆる途方に暮れている所でしたね、
それでこれからは目が覚めて、改めてその事を思わせて頂き、
さあどう言う事なのだろうかと、
これは目が覚めてから反省している事なのですけれども、
あぁあの時に行き先をちゃんと確かめておけばよかったな、
どの飛行機の便で行かれるのか、何時出発なのか、
いわゆるそう言う事を全く確認もせずに、
ただ後から付いて行っただけなのですね、
ですから、どこの行き先も知らない、飛行機の会社も、便も、
出発の時刻も何にも知らないわけです、
ただ、後から付いて行っただけ、と言う事でしたね、
神様がそれではいけないぞと、
師匠の後にただ付いて行きさえすれば良い、
と言う事ではいけないよと、
何かが有ると、それこそトイレに行ってる間に、
皆んなが先に行ってしまって、
もうトイレから出て来たら誰も居ない、どこに行ったか分からない、
もうそれで途方に暮れてしまうわけです、
ところが行き先が分かっていれば、
乗る飛行機の便が分かっていれば、
出発の時間が分かっていれば、そこの案内にでも聞いて、
そこにまた行けば良いわけですからね、
携帯も持ち合わせていないと言う事でしたから、
連絡のしようも無いのですね、
これはただ後から付いて行けば良い、
と言う事ばかりではないと、言う事ですね、
確かに、まず言われた通りに後から付いて行く、
と言う事が大切ですけれども、そこ止まりてはいけない、
その次は、師匠が確かにどこに向かっておられるのか、
どこに行こうとしておられるのか、
その事がちゃんと私どもも自覚された上で、
その自覚された上でお供をする、
と言う心積もりと言うのでしょうかね、
心がけがなければいけない、と言うわけですね、
ただ、師匠が言われる通りの事をしておれば良いと言うのではない、
師匠がどこに向かおうとしておられるのか、
その目的地をハッキリと、私どもも認識させて頂き、
その目的地をハッキリと認識した上で、
師匠が向かわれる所に後につかせて頂く、
と言う事でなければならないと、言う事なのですね、
ですから師匠が向かわれる所、
それを先ずは分からねばならない、
分かっていなければならないと、
言う事なのですね、
で、師匠がどこへ向かっておられるのか、
これは今日の段階では、まだ分かる様な、分からない様な、
まだお伝え出来る様な段階ではありませんけれどもね、
私の心の中では、ここだと確信は有りますけれども、
それを果たして申し上げて良いのやらどうか、
分かりませんから、控えさせて頂きますけれども、
とにかく師匠が向かわれる所、
その目的地はしっかり把握した上においての、後から付いて行く、
と言う事でなければ、何かが有ると、
途方に暮れる様な事にもなるぞと、言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします、
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿