今日も和賀心学 (2023-02-13)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は天地金乃神様が取次者に願われることを教えて頂いたように思う。それは世間では金の亡者と言うが、信心ではおかげの亡者、更には何が何でも御徳を頂こうと言う徳の亡者。私どもは徳の亡者でありたいものだが、更に人の助かりを願い祈る亡者となれと。金の亡者でなければお金は貯まらないと同様に....。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 75頁)
ビデオ: https://youtu.be/CD1TQ9gqe7I
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-13.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
信心する人の真の神徳を知らぬこと
修行なくて真の神徳を感ずることは出来ぬ
知っただけでなく神徳は頂かねばならぬ
神徳の中にあっても修行なくては神徳は感じられぬ
真の神徳を感じるところに神恩有難しの心が生まれる
その有難しの心で修行にはげむ時、必ず誰でも神徳が頂ける
神徳を受けて初めて真の神徳を知ったということになる
神徳をわかり受けるという事は、
修行にはじまり修行に終わる、と結論
修行に始まり、修行に終わる、
と師匠大坪総一郎師は仰って居られます、
修行に始まり、修行に終わる、
それが信心者としてのあり方と言うのでしょうかね、
何かしら修行と言うときつい様な感じも致しますが、
決してそうではありませんね、
楽しい中に修行をさせて頂く、と言うのでしょうかね、
神様を実感させて頂く、と言う事ではないでしょうかね、
その修行が楽しくなる、と言う所には、
どうあったら楽しくなるだろうか、
それこそ、もちっと修行がしてみたい、
と言った様な心根がどうしたら湧いて来るかと言う所ですね、
今朝は、その取次者に願われる神様の願い、
と言った様なものを教えて頂いたように思うのですが、
神様が取次者に願われるもの、
ですから今日は少し極論になるかもしれません、
よく何々の亡者と申しますね、特に有名と言うのかよく使うのは、
金の亡者と言う事ですね、
あの人は金の亡者だ、と言う様な使い方を致しますね、
言わばお金、お金とお金の事ばっかり考えて居ると言うのか、
お金を得る事に血道を上げている人ですね、
何が何でもお金を得よう、お金にして行こう、
と言う、そのいわゆる金の亡者ですね、
それがそれこそ金の亡者と言うものが、
次は何でしょうかね、おかげの亡者とでも言うのでしょうかね、
おかげおかげで、おかげを求めて行く、
おかげの亡者になると、素晴らしい信心修行も
厭わなくなるのかもしれませんね、
そしてそれがそれこそ今朝の、御神徳を頂く、
と言う事ではありませんけれども、その徳の亡者になれと、
金の亡者から、からと言うか、金の亡者ではない、徳の亡者、
何が何でも御神徳を頂きたい、どうあっても御神徳を頂くぞ、
と、事ある毎に、さあどうあったら御神徳が頂けれるだろうかと、
いわゆる徳の亡者を目指すと言う事ですね、
そして今朝頂きますのは、
その徳の亡者からもう一つ進むと言うのでしょうかね、
これは神様が取次者に求められる事だと思いますけれども、
その人の助かりを求める、人の助かりを願う亡者になれと、
取次者と言うのは、やはり亡者でなければならない、
何の亡者か、人が助かる事を求め続ける、祈り続ける亡者だと、
普通お仕事と言うのが有りますね、
昔は労働時間とか無かったのでしょうけれども、
いわゆる近代になってからは、特に現代なども
労働時間と言うものがやかましく言われますね、
1日何時間だと、それは体の健康の事を
気遣っての事でも有りましょうし、
また様々な内容が有るのでしょうけれども、
そして標準的には 1日 8時間労働だと言われますね、
では取次者も 8時間労働なのかと言うと、
そう言うわけには参りませんね、
8時間だけ働いて、後は自分の好き勝手に時間を使う、
24時間の内の 8時間ですね、3分の 1になりますか、
後は 16時間ですから、8時間だけ御結界に就かせて頂き、
人様の願い事を取り次ぐ、と言うのでしょうかね、
言わば 1日 8時間。その後は自分の自由時間だと、
趣味をするでも良し、何かそれこそ何と言いましょうかね、
自由な時間を使う、言わば 8時間だけは、
人が助かる事の為に使い、
後の残りの時間は自分の為に使う、
と言う事かもしれませんけれども、
現代流の取次者と言うのにすればですね、
しかし真の取次者と言う事になると、
それでは、それくらいの事では、とても人は助からない、
神様がまず働いて下さらない、
それこそ何時から何時まで神様働いて下さい、
と言うわけには参りませんからね、
神様はそれこそ 24時間、四六時中休みなく
働きに働きっぱなしですからね、と、日月の精進と言われます、
お天道様やお月様、さあ今日は日曜日だ、休もう、
と言われる事は有りませんね、
お天道様が休まれたら、
それこそどうなるのか分かりませんね、
こちらではお休みかもしれませんけれども、
その裏側ではまた働いて居られるわけですからね、
お天道様にも休みが無い、
取次者にも本来休みが有ろうはずは有りませんね
どこかの誰かがいつ如何なる時でも、
その困っておる人が居るだろう、
これから、この時間は受け付けません、
と言うわけには参りませんね、
それでは神様が動いて下さらない、
働いて下さらない、
取次者はどうでも、
人が助かる事を求めての亡者でなければならない、
それこそ人が助かる事の為ならば、何でもさせて頂こう、
どう言う修行でも厭わない、と言った様な、
何も神様が難行苦行をさせられるわけではないけれども、
覚悟の上に、そう言う覚悟がなければならない、と言う事なのですね、
神様が見られるのは、その私どもの覚悟のほど、
腹のほどを神様が見られる、こう言う覚悟で居ってくれよと、
言う事なのですね、
どうでもその神様が取次者に願われるもの、
それは人が助かる事の為の、
ある意味プロフェッショナルであるわけですからね、
ある意味、それこそ亡者であれと、
人が助かる事を求める、祈る、願う亡者であれと、
言う事なのですね、それ位の填まりがなければ、
とても神様が働いて下さると言う事は無いと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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