2023年2月15日水曜日

信心は山登りに例えられる、自分の足で一歩一歩踏み締めながら登って行かねば (2023-02-15)

 今日も和賀心学 (2023-02-15)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心は山登りに例えられる。山の麓から頂上まで上がるのに、なる程ヘリコプターで運んで貰うと言う方法も有るが、それでは自らの力とも修行ともならない。自分の足で一歩一歩踏み締めながら登って行って初めて力ともなり、神様が修行として認めても下さる。本を読んで分かったと言うのはヘリコプターで運んで貰うようなもの。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 304頁)


ビデオ: https://youtu.be/pAVJ8g646-U

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-15.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第37節




生きておる間は修行中じゃ、ちょうど、

学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ




「この世はあの世の為にあるのだから」

の一言につきます




難儀の元は神と氏子の間にはられた光明電線のようなものである

有難く修行として受けてゆけば、光ともなり徳ともなるのです




有難く、修行と受けて行けば、と、

師匠は仰って居られますね、




有難く修行として受けて行けば、光ともなり、徳ともなると、

その難儀をですね、




言わば、その成行きを、

と言う事だと思いますね、




修行として受ける、

そしてまたそれを、神様が修行として認めて下さる、




実は昨日は、あるフトした成行きから、

ある事を思い立ったのですが、




それはその、ある教会関係の出版物とか、

何と言いましょうかね、御理解を文字化されたもの、




それは勿論、

金光教の教典なども入っておりますけれども、




それとか、住所録に至るまで

色々な有りとあらゆるいわゆる文章関係ですね、




これを一纏めにして、

検索出来るように出来ないだろうかと、




しかもそれが、自分のコンピューターの中ですると言うのは、

それほど難しい事ではありませんけれども、




それをウェブサイトかどこかに置いて、

誰でもどこからでも、それこそパソコンでする、




自分のとこのパソコンで、自分の所のデータを検索すると言うのは、

それなりに出来ますから、




それを例えばスマホであったり、タブレットであったり、

そう言うものからも検索出来るようにならないものだろうかと、




思い立たせて頂いたのですね、

勿論、御理解の検索も有ります、




それで、私の手元に有るものを検索にかけるとして、

集めてみました、




そうしましたら、

約、大きさ、容量としては 1ギガ近く、




またファイルの数的には、

2万 7000を超える位のファイルの数が有りました、




ところがこれが、自分のパソコンの中でする分には、

何も加工する必要は無いのですけれども、




ウェブサイト、

いわゆるレンタルサーバー、




しかもアメリカのレンタルサーバーに置くと言う事になると、

ファイル名が問題ですね、




最近はよく分かりませんが、昔は日本語のファイル名などは、

エラーが起こってうまく行きませんでした、




ですから全部ローマ字に変えておりましたね、

ですから全部のファイル名をローマ字に変えてしまう、




これが一番安全なやり方なのですね、




ところが、やっぱり 2万 7000以上有るファイルの名前を

全部ローマ字に変えようと言うのは、中々一寸億劫になりますね、




今朝の心中祈念の時に、

そう言う様な事を思わせて頂いておりましたら、




信心もやはり同じだと、




例えば信心は山登りに例えられる、

それこそ富士山登山に例えられる、




もしこれが今なら、そのう何と言いましょうかね、




ヘリコプターですか、ヘリコプターで、乗せてもらって、

麓から直ぐに頂上まで運んでもらえるかもしれない、




しかしそれでは、修行にもならない、力にもならない、

と言うのですね、




やっぱり富士登山、頂上を目指すと言う事であれば、

自分の足で一歩一歩、上り詰めると言うのでしょうか、




自分の足で一歩、一歩、やっぱり登って行かなければならない、

と言う事なのですね、




ですからそれは、ステップ バイ ステップと言うのでしょうかね、

自分の足で一歩一歩登って行く、それが信心の修行になるのだと、




そう言う様な事を感じさせて頂いておりましたら、

今朝のこのミニ御理解ですね、




言わば難儀の本は、神様との光明電線だと、

その難儀を有難く、修行として受けて行く、




そうすれば、光ともなり、徳ともなると、

言わばこの、修行として受けて行く、と言う事ですね、




山登りなら、山登り、一遍にそれこそヘリコプターで

運んで貰ったからと言って、それが修行になるとは思えませんね、




やはり自らの足で一歩、一歩、階段なら階段を一段一段登って行く、

これがやはり自分の力にもなり、修行ともなると、




神様もまた、その一歩一歩頂上に向かって歩いて行く、

山を登って行く、それを神様が修行として、神様が認めて下さる、




私どもが、修行しております、

と言っても、




それを神様が、修行として認めて下さらなければ、

値打ちが有りませんからね、




なる程してみると、今日これから、やっぱりその

2万 7000以上のファイルをアルファベット、




ローマ字に変えさせて頂こうと、

その作業を今日からでもさせて頂こうと、腹が決まった所でした、




ですからこれは、この作業自体を

神様が、修行として認めて下さるのかな、




とそれこそ、これが出来たら、

皆さんのお役にも立つだろうと思うのですね、




ですから、人が助かる事の為のお役に立たせて頂こう、

と言うその為の修行として、一つ一つの作業、




面倒臭い作業ですけれども、

一つ一つの作業を、それこそ一歩一歩、




何と言いましょうかね、コツコツと

一歩一歩、歩いて行くと言うのでしょうかね、




そう言う事をやはりさせて頂かねばならないと、

そしてその事を神様が、修行として認めて下さる、




と言うそんな感じが致しますね、




とにかく楽をして、一足飛びに山登りが出来るわけではない、

一歩一歩踏み締めながら登って行く、




それが神様が、修行として認めて下さり、

またそれが修行となるのであり、




私どももまたその一歩一歩、踏み広げると言うのか、

踏み登ると言うのか、




その一歩一歩の足跡とでも言うのでしょうかね、

その事を、人が助かる為の修行としてさせて頂こう、




と言う、その何と言いましょうかね、

心意気と言うのでしょうかね、填まりと言うのでしょうかね、




そう言うものを、また神様が、修行として受け取って下さる、

そこには、光ともなり、徳ともなる道が有る、と言う事ですね、




何でも一足飛びには参りません、一歩一歩のコツコツと、

それこそ石の上にも 3年と言う様な、何と言いますかね、




とにかく、一歩一歩踏み締めて、

登って行く以外ないと言う事ですね、




そのコツコツの努力が肝要だと、

言う事を教えて頂いたように思いますね、




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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