今日も和賀心学 (2023-02-14)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝教えて頂くことは、教会の御ヒレイ即ち人が助かると言うことは教会長の知識の豊富さに比例すると言うことではないと言うこと。沢山の教えを知っているから沢山の人が助かると言う事ではない。心の進展具合、成長に応じて御ヒレイも進展する。心ひとつで人が助かり御ヒレイをつくるとも言えよう。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 174頁)
ビデオ: https://youtu.be/CXxNbU-AvFc
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-14.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
わが身がわが自由にならぬものぞ
「生命あるかぎり御用させて頂きたい」
の願いが通れば身の自由は許される
自由を許されてあるときに「させて頂く」事の喜びを、
人の世の為に尽くすこそが神への御礼と心得よ
四代教主様御歌
なすと云へ なし得る条件 恩恵の
なくばなし得ず 何ひとつとして
人の世に、人の世の為に尽くす事が神様への御礼だと、
師匠は仰って居られますね、
この時の師匠の心の状態と言うのが、
そう言う心でおありになられたんだと思いますね、
今朝の心中祈念の時に思わせられました事、
分からせて頂きました事が、
改めてと言うのか、新たにと言うのか、
私にとってはある意味、衝撃的な事ですけれども、
世間から言えば、なんだそんな事かと、
思われるかもしれませんけれども、
私にとっては、なる程そうかと、
合点が言った次第ですが、
と、その内容は、昨日はそれこそ驚きました事が、
師匠が、その研修を頂いておりましたら、
今日からは天の心だと、
言う重大発言と私には聞こえましたが、
これまで土の心の稽古をして来た、
それで 8合目までは登って来たと、
その土の心を身に着いたものとして、
と言うのでしょうかね、
そして後の 2合、言わば頂上を目指すその後の 2合は、
天の心をもってでなければ登れないと、
ですから、ここまで土の心で来たとして、
これからは、今日からは天の心、天の信心に入る、
と言う様な事を仰って居られました、
言わばそれは、昭和54年6月25日の研修の時ですけれども、
その今日からは天の心、天の信心に入ると、
その頂上を目指し、後の 2合を登りきる為にと言うわけですね、
その愈々、天の心に入る、
天の信心に突入すると言うのですかね、
これまでの土の信心を身に着けたものとして、
と言う事ですけれども、
完全に身に着いたわけではないけれども、
身に着いた事として、次の信心に入ると、それは天の信心だと、
その事を思わせられますと、愈々師匠の心の中に、
それまでの土の信心から、天の信心へと、
移り変わって行かれたわけですね、
それをそう言う事が幾つか有りますね、
確か、その前後、いやその前でしょうかね、言わば
これからは願いの信心だと、願いの信心を打ち出されますね、
またある時は、今日からは表行全廃だ、
と表行全廃を打ち出されますね、
そして師匠の心が、その事をしきりに説かれる、
教会全体がその方向へ向かって行く、と言うわけですね、
そう言う中に、教会が発展して行ったわけです、
ともう一つ、その研修の時によく纏めの発表が有ったり致します、
御理解の発表ですね、
そして見事に纏めて居られる方達が居られます、
で、いわゆる師匠からは、合楽の頭脳だ、
と評された方達が何人か居られますね、
その当時は分かりませんね、
しかしそれからもう何十年か経ってみて初めて分かります事は、
さあその当時、合楽の頭脳と言われた方達がその後どうなったか、
確かに布教に出て居られます、
それで、それこそ鮮やかな御ヒレイを頂いて居られるか、
と言うと、存外そうとは言えない所が有りますね、
それで今日改めて、
心中祈念の時に分からせられました事は、
師匠の場合は、その師匠の心の移り変わり、
心の進展に沿うて、御ヒレイが発展して来たと言う事ですね、
師匠、言わば教会長の心の進展に応じて、
教会の御ヒレイも進展すると言う事なのですね、
明らかに例えば、教会長のその信心による、
信心のそれに対する知識の量によって、
言わばその頭脳によって教会の御ヒレイが左右される、
と言う事ではない、と言う事ですね、
教えを沢山知っているから教会が発展するとか、
言う事ではない、と言う事です、
その信心に対する知識の量と言うのでしょうかね、
信心に対する理屈と言うのか、いわゆる頭脳と言うのでしょうかね、
それは、教会の御ヒレイにはあまり関わりが無いと言う事ですね、
では何が関わるのか、それは教会長の心だと言う事ですね、
教会長の心の進み具合、心の育ち具合、心の進展の具合、
これが教会の御ヒレイを左右すると、御ヒレイの発展に繋がると、
言う事ですね、それこそ師匠はいみじくも、
心一つですべてをつくる、と教えて下さいます、
知識一つで全てを作るとか、頭の良さで全てを作る、
とは仰って居られない事が改めて分からされますね、
どんなに御教えの知識を積み込んだから、詰め込んだからと言って、
御ヒレイには繋がらないと言う事ですね、
学が身を食う、と言われる事も有りますから、
却って、邪魔になる事が有るのかもしれません、
教会の御ヒレイ、即ちそれは、人が助かると言う事だと思いますが、
それは即ち、その先生の心だと言う事ですね、
心が育つ事によって、師匠の心が育たれる事によって、
教会も発展して来た、
師匠の頭が良かったから、師匠が知識が豊富だったから、
教会が発展したのではない、
師匠の心がその都度都度に進展して行かれた、育って行かれた、
それによって、従って、御ヒレイも発展して来たと、
言う事を改めてはっきりと、
今朝は分からせて頂いた様な気が致しますね、
教会の発展、即ち人が助かると言う事は、その教会長の心の発展、
心の育ちようによって、そこに左右されると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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