今日も和賀心学 (2023-02-09)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝天地金乃神様がお夢の中でご指摘下さる事は、例えば製品を売るのにその性能が劣るから包装を豪華に見栄えを良くし誤魔化して売ろうとしている様なものだと。宗教離れ、教会離れが進んでいると聞く。人が離れるのはそこに助かりが無い、お参りするメリットが無いからだと。人が助かる所でなければと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 219頁)
ビデオ: https://youtu.be/XePxIvwa1Mc
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-09.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第9節
天地金乃神は宗旨嫌いをせぬ
信心は心を狭う持ってはならぬ
心を広う持っておれ、世界を広う考えておれ
世界はわが心にあるぞ
心が豊かである時は何を聞いても見ても心にさわりません
信心による有難しの心は、広い豊かな美しの心です
小さいことに心を汚し、心配になり、心が穏やかでない時は、
この有難しの心が欠如のしるしです
気のぬけたサイダーのようなものです
『宗旨嫌をせぬ』金光教なのに、
内の信者をとったのとられたのと内々で騒ぐなどは、
お道の信奉者として最低です
ナンセンスです
宗旨嫌いをせぬ、と有ります、
どの宗教でも良いと言う事でしょうね、
ところが最近は、宗教離れとか、
教会離れと言うのでしょうか、
そう言う事をよく耳に致します、
見たり聞いたりするわけですけれども、
そのある宗教の信者さんが減っていると言う事に止まらず、
どの宗教においても、その宗教人口と言うのでしょうかね、
信者さんが少なくなっている、
教会へのお参りが少なくなっている、と言う事だそうですね、
実は今朝、お夢の中である事を神様が指摘して下さいました、
私の心の中に有る、何と言うのでしょうかね、
間違った心ではありますね、そのさもしい心と言うのか、
小賢しい心と言うのか、そう言うものでしたけれども、
長くなりますので、かいつまんで申せば、
例え話ですが、
ここに何か商品が有るとします、
製品ですね、何か作ったもの、
そしてその作ったものが、実はよその製品に比べて、
製品質が落ちるわけですね、性能が少し悪いわけです、
けれども、これを何とか高く売りたいと、
さあその為にはどうするかと、
製品自体の性能で勝負したのでは
買い叩かれて、高くは売れないだろうと、
そこで一計を案じて、何と言いましょうかね、
パッケージを良くする、あるいはデザインを良くする、
そして、ブランド商品とか言われますね、
何かのブランドを借りて来ると言うのでしょうかね、
そう言ういわゆるその製品の持つ本来の性能ではない、
別の所の、見てくれであったり、
と言ういわゆる良いパッケージをしたり、
如何にもお客さんが手を出しそうな、
何かそう言う包装に変えると言うわけですね、
豪華な箱にしたりとか、
そう言う様な事で、購買意欲をそそろうと言うわけですね、
そして品物を売ろうと、
あわよくば売れればそれで良い、と言うわけですね、
そう言うふうな私を、何か神様が指摘されたと言う事なのですね、
これはどう言う事だろうかと思いますけれども、
言わば神様が、製品の性能本来の姿で勝負しなければならないよと、
そのパッケージを良くして、それで売ろうとか、
そう言う事ではいけない、
と言う事をご指摘下さったのだと思いますね、
で、それは何かと言うと、
結局、教会であったり、その宗教と言うものは本来有るべき姿、
本来何の為に有るのか、と言う事を思うてみると、
それは、人が助かると言う事だと、
宗教離れが起こったり、教会離れが起こる、
それは結局、その宗教で助からない、その教会で助からない、
いわゆる教会にお参りするメリットが無い、
その宗教をするメリットが無いわけですね、
結局、助かりが無いからだと、
その宗教をしても、その教会にお参りしても助かりが無いから、
足が遠のく、人が寄って来ない、と言う事だと言う事なのですね、
だからとにかく、その色々な手段を講じると言うのでしょうか、
例えば製品で言えば、パッケージを見栄えの良いものにするとか、
人が買いそうなものにするとか、そう言う事ではないぞと、
本来の性能を高める事だと、
言わば教会で言えば、人が助かると言う事だと、人が助かる、
その助かりを得られる所であるならば、人は寄って来ると、
その製品の本来の性能が良いならば、
パッケージがどんなにどうであろうと、
必要なものは、人々が購入すると、
要するに人が助からないから、人が寄って来ない、
と言う事なのですね、
どうでも、人が助かると言う所に焦点を置いての、
その助かりを与えられる様な、
助かりが得られる様な教会の有り方でありたいと、
改めて神様がご指摘下さったように思いますね、
人が助かる宗教、人が助かる教会、どこまでもこれが原点であり、
それを売りにしなければならない、
もしそれが、人が寄って来ないならば、
それは自分の所で人が助からないのだと、
言う事をはっきり分からせて頂き、
助かるにはどうあったら良いのか、
と言うのでしょうかね、
本来のその性能を取り戻す精進努力が要ると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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