今日も和賀心学 (2023-02-04)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、私どもの身の上に起こって来る一切の成行きは天地金乃神様の御働きだと喝破された。ではどう言う働きなのか、それは人間氏子の真の助かりを願って、真実の幸福を授ける為の御働き。その真の助かりとは、所謂私願成就ではない、自らの心の成長に有難さを感じる心が育つことにある。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 195頁)
ビデオ: https://youtu.be/vw7njiQ4wxE
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-04.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第1節
今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ
病気や難儀のつづく時、今こそ天地の開ける音を聞くときであるが、
信心にならぬから眼がさめぬ
眼をさますということは大真理の喝破である
本当の本当をわかることである
教えたから、習うたからわかるものではない
一心の真心、不乱の信心が必要である
一、湯川安太郎先生は、
神さまが御主人、氏子は番頭
一、安武松太郎先生は、
一切が神さまの御物
一、私は、
一切が神さまの御事柄と悟った
それぞれ天地の開ける音を聞いて眼をさましたのである、
そこから限りないおかげの道が開ける
師匠が、一切私の身の上に起きて来る事柄、言わば成行きですね、
それは御事柄だと、神様の御働きだと、悟られたと言うのですね、
ではその神様の御事柄だと、神様の御働きだと、
それがどう言う働きであるのか、と言う事が大切ですね、
私どもの身の上に起きて来る事柄、成行き、
それが神様の御働きである、
ただ、神様の御働きだと分かると言うだけでは、
それがもしかしたら、私どもを不幸に追いやる働きかもしれない、
私どもをそれこそいじめようとされる働きかもしれない、
と言う事になったら、とても有難くはなれませんね、
そんな神様の御働きは要らない、
と言う事になるわけですよね、
ところがそうではない、神様が私どもの身の上に起こして下さる
その御事柄としてのその御働き、
それは一切が、私ども人間の幸せを願って起こして下さる働きだと、
そう言う御事柄であるわけですね、
ですから神様は人間氏子が幸せになる事を、人間氏子が助かる事を、
その事のみを願って居られる神様だと、
そして起こして下さる御事柄だと、
そこの所がはっきりしておりませんと、
なる程一切は神様の御働きなのか、
しかしその働きが、人間をいじめようとか、懲らしめようとか、
そう言う働きだと思い込んだのでは、
全然有難くも何とも有りませんね、そう言う神様の御働きから、
一刻も早く逃げ出したい、と言う事になってしまいます、
その神様が何の為に御働き下さるか、
それはどこまでも人間氏子の幸せを願って、
人間氏子が助かる事を願って、の御働きだと、
一切の御働きが人間の幸せを願っての、助かりを願っての働きだと、
言う事が、まず心に入っていなければならない、
入らなければなりませんね、
そしてその事が、神様が私どもの幸せを、
本当の幸せを願っての御働きだと、言う事が分かったとして、
私どもの心構えと言うのがやはり要りますね、どうしたら、
本当に助かる事が出来るのか、どうしたら幸せになれるのか、
ただ棚から牡丹餅的に、神様が下さる物を頂いて行きさえすれば良い、
と言う事ではありませんね、
私どもの中にもやはり発心が要ります、
そこには、助かりたいと言う発心が要ります、
神様が、人間氏子に真の助かりを与えようとして、
一切の御働きを下さる、
それならば、その御働きを受けよう、
言わば助かりたい、幸せになりたい、真実の幸せを頂きたい、
真の助かりを頂きたい、と言う私どもの発心と言うのか、
発願と言うのか、そう言う願いがやはり要りますね、
それで、では一体真の助かりとは何だろうかと、
今朝頂きますのは、その人間の真の助かり、幸せと言うのは、
それは、心が育つこと、
その心が育つ事に有難い、と感じる心が育つ事だと、
言わば、子供の頃はお菓子やケーキとか、チョコレートとかが
有難い対象ですね、またはおもちゃ等かもしれませんね、
そのダイヤモンドやお金よりか、
お菓子や、おもちゃや、そう言う物の方が目が行きますね、
例えば、這い這いする子供に、その 1万円札とケーキを並べたら、
おそらくケーキの方に手を出すでしょうね、
その価値が分からないと言うのか、
心が育ってないからですね、
それが少し大きくなると、物の価値と言うものが分かり出すと、
それこそ 1万円札と、例えば 100円のチョコレートを並べられたら、
勿論 1万円のお金の方に手を出すようになりますね、
そしてまた段々大きくなると、
その 1万円のお札がある、そしてそこにそれこそ、
1キロなら 1キロの金塊がある、さあどちらに手を出すか、
今はよく知りませんけれども、
おそらく金塊の方が値打ちが有るのではないでしょうかね、
ですからその金塊の方に手を出す事でしょう、
より価値の有るもの、と思われるものに手を出そうとする、
ところが私どもが、本当に価値有るものが分からない、
その本当の価値有るものと言うのは、私どもの心が育つと言う事、
今まではこう言う事は受け切らなかったけれども、
信心の稽古をさせて頂いて、この事が受けられるようになった、
少しは心が大きくなった、有難い事だ、
あるいは、今までは自分だけの事しか考えていなかったが、
少しは世界の平和を祈る事が出来る様な心が育って来た、
人様の幸せを祈る事が出来るようになって来た、
何と有難い事だ、
と、その例えば、会社が赤字だった、それが黒字になった、
有難い、と言うその有難さよりも、
そのたとえ赤字の会社でも、これが神様の御働きだ、
と頂けれるようになった、
神様の御働きを御働きとして、頂ける心が育った、
あるいは、その従業員の不行状を、それとても頂けれるようになった、
心が、少しは大きくなった
その、会社が赤字から黒字になった事の喜びよりも、
自らの心が大きくなった、人様の事が祈れるようになった、
心が育った事の方が有難い、
と、言わば私どもの価値有るもの、
と言うその価値有るものの対象が育って来なければならない、
その育った時に、初めて、
私どもの中に真の助かりを見い出す事が出来る、
それこそ一切が、私たちの幸せを願って、即ち、
私どもの心が育つ事を願っての神様の御働きだ、と悟れた時に、
それこそ愈々本当の有難さ、本当の幸せ、
と言うものが頂けれるようになるのではないでしょうかね、
本当に値打ち有るものを、値打ち有るものとして頂けれるように、
本当に有難いと言うものは、何なのか、
本当に有難いものを、有難いと頂けれる様な心が育つ事、
その心が育つ事が有難い、と感じれる様な心が育たねばなりませんね、
そこに初めて、人間の真の助かり、
そしてまた真の幸福が有る、と言う事なのですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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