今日も和賀心学 (2023-02-22)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心とは何か、何の為に信心するのかと問われる時がある。色々な答えが有る。願い事が叶う様に、病気災難除け、困り事におかげを頂く為、御神徳を頂く為、神様の御信用を頂く為、自らの心を育てる為、有難くなる為、和らぎ賀ぶ和賀心を頂く為等等、そこに自らの心を守る為ともう一つ加えてはどうだろう。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 446頁)
ビデオ: https://youtu.be/FZkewPJBPUI
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-22.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第84節
おごりがましいことをすな
ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ
細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ
道に草を生やすようなことをすな
「理」「情」に徹してみて得る潤いと光彩とを、
そして躍動を与え、
恰も駱駝のごとき気の利かざる存在かに見え、
実は限りなき感銘を人々に与えながら地道に、
『細い道でも次第に履み拡げて通るのは繁昌じゃ
道に草を生やすような事をすな』
を実行させる不思議な力を感ぜずにおられない
昨日から、信心とは、
と言う事の新しい定義と言うのでしょうかね、
そう言うものを頂いて居るように思いますね、
信心とは何かと、
最初はそれこそ、信心とはおかげを頂くものだと、
言う様な、おかげ信心と言うのが有りますね、
自分の思い通りになる様なおかげを頂く、願いが叶う、
難儀から、何と言いましょうかね、
助けて貰う、神様のおかげを頂くと言う信心ですね、
そこから更に、師匠が教えて下さる、
御徳を頂く為の信心、合楽では御徳を頂く道を教えると、
御徳、御神徳、神様の御信用ですね、
信心とは、おかげを頂く為のものだ、と言う所から、
信心とは、御神徳、神様の御信用を頂く為のものだ、
と言う所に段々変わって参りますね、
そして更に、昨日あたりから頂きますように、
信心とは何の為にするのか、それこそおかげを頂く為であったり、
御徳を、御信用を頂く為であったり、
そして更に、自らの心を育てる、
と言う事になりますね、
育てる所に焦点が定まらない限りは、
御神徳を頂くと言う事にもならないと思いますけれども、
そしてまたその信心とは、自らの心を守る為にするものだ、
と言うものが一つ加えられて良いように思うのですね、
そのどれもが、その信心の程度と言うのでしょうかね、
度合いに応じて、それぞれに言えるものだと思います、
そしてまた私ども、心が傷つく、
意外と傷つき易いものですね、
誰かから一寸一言言われただけで、
心がクウッとなったり致します、
そしてまた、何か出来事がある、明日の事が不安になります、
また将来に関しての不安と言うのでしょうかね、
心配が出て来たり、不安が私どもの心の中によぎります、
中々心は強い様で脆いものですね、
その私どもの不安、心配、あるいは焦燥と言った様な、
心を乱すもの、心を傷つけるもの、
そう言うものから、私どもの心を守ってくれるもの、またこれは、
自らが守ろうとする必要がやはり有るように思いますね、
師匠大坪総一郎師は、
心は稽古次第で自由自在に使えるようになるものだと
しかしその心一つが
中々ままならないと言う事も確かですね、
その自らの心を自由自在に使いこなす方法と言うのでしょうかね
術と言うのか、稽古と言うのか、それを師匠は、くノ一修行だと
教えて下さいますね、それは女忍者が自分の姿形を変幻自在に
変える様なもので、自らの心を変幻自在に変えて行く、
言わば助かりの方に変えて行く、有難い、有難いと言う方に、
自らの心を変えて行く、そう言う修行だと、
自らの心を有難い方に有難い方に変えて行く修行だと、
も言えるかもしれませんね、
そしてその、なる程有難いと言う心、
これは確かに、守られた心と言えるかもしれませんね、
心が守られていないから、いや守る事が出来ないから、
自らの心を、自らが守る事が出来ないから、
不安が起こり、心配が起こり、それこそイライラモヤモヤ、
人を責めたり、悲しい心も起こって来る、
もし私どもが、心を自由自在に使う事が出来て、
有難い方に有難い方に、何があっても有難い方に、
何があっても、
喜びで取れる事が出来たら、
それこそ傷つく事の無い心を頂いたと言う事に
なるのではないでしょうかね、
そう言うものが
和らぎ賀ぶ和賀心と総称されるのかもしれませんね、
心が守られている自体、失礼、心が守られて居る世界、
それが言わば和らぎ賀ぶ和賀心、と言うその玉でしょうかね、
に傷が無い世界、心が守られると、
和らぎ賀ぶ和賀心が頂けれる、とも言えるかもしれませんね、
自らの心を守る事が出来ないから、傷がつく、
そして和賀心が崩れてしまう、と言う事にもなりますね、
その和賀心を頂こうとする努力、と同時にまた、
和賀心になって居るとして、その和賀心を崩さない為の努力、
言わば自らの心を守ると言う精進努力が、
やはりまた要るのではないでしょうかね、
そしてその、心を守ると言う事、
さあどうやって自分の心を守るか、
その術を教えてくれる、
それが師匠が教えて下さる合楽理念である、
師匠の御教えの全ては、私どもの自らの心を守る事の為に有る、
とも言えるように思いますね、
私どもが信心の取り組みとして、おかげを頂く為に取り組む、
御神徳を、御信用を頂く為に取り組む、
和賀心を目指す事の為に取り組む、
心を育てる事の為に取り組む、
そしてもう一つ、
私どもの自らの心を守る事の為に、信心に取り組む、
と言う事を一つ加えさせて頂いたらどうだろうかと思いますね、
信心により、自らの心を守る、正に護心術と言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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