2023年2月11日土曜日

人が助かる為の修行として成行き受けると天の心、地の心が共に育つ (2023-02-11)

 今日も和賀心学 (2023-02-11)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の御教えの母体は成行きを大切に尊ぶ生き方を身に着ける事にある。そのまず第一は成行きを土の心で受けると言う事であるが、言われるから嫌々でも受ける、自分の利になるから受ける、神様の願いが成就する即ち神様に喜んでもらう為に受ける、人が助かる為の修行として受けると色々ある。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 356頁)


ビデオ: https://youtu.be/ohbjd6C0JOg

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-11.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第54節




徳のないうちは心配する

神徳を受ければ心配はない




まず御神徳を受けたい、ある人は

「金光教の信心は一切をおかげにしていく道だ」と説かれた




合楽では「一切をお徳にしていく道」を教える

先ずは『一切神愛論』のマスターから




師匠大坪総一郎師が教えて下さる御教え、

それは合楽理念と呼ばれます、




その合楽理念と呼ばれるもの、その根本と言うのでしょうかね、

それはやはりこの一切神愛論と言う事になるわけですけれども、




その合楽理念の母体となるもの、

言わば御教えへの根幹をなすものと言うのでしょうかね、




それは、成行きを大切に、尊ぶ、とその事を行じる、

と言う事ですけれども、




その成行きを大切に尊んで行く中に、

それこそ一切が神愛だと言う事も段々に分からされる、




体得して行く事が出来るようになる、




この、成行きを尊ぶ生き方を学びて永遠の命とぞせん、

とも教えて頂きますように、




先ずはとにかくその、成行きを尊ぶと言う生き方を、

繰り返し、繰り返し稽古をして行く中に、




言わば、一切神愛論が、合楽理念が、即ちその天地日月の心を

身に着けると言う事が、段々に出来て来ると言うわけですけれども、




その成行きを尊ぶ、と一口に言いますが、

その尊び方にも色々有ります




勿論、その起きて来る成行きを受ける、

と言う生き方も有ります、




中には、受けてはいけない、と言う成行きも中には有ります、

その見極めも段々に出来て来るのでしょうけれども、




先ずはとにかく、受けると言う事、

先ず、その基本はやはり成行きを受ける、と言う事が基本になります、




けれどもその、成行きを受ける、と言う受け方も、

細かく言えば、その心根の違いによってあると思います、




今朝頂きますのは、それこそ、

どう言う心根で成行きを受けるか、




またどう言う心根になれば、

成行きが受けられるか、




それは、その事を人が助かる為の修行として、

この成行きを受けさせて頂きます、受けて行きます、




と言う受け方ですね、




幾つか有りますけれども、先ずはそれこそ、

言われたからする、と言う世界が有りますね、




言われたから、喜んでする人も居れば、嫌々でもする人が居る、

とにかく言われるから、言い付けだから、教えだから、




そう教えられるから、嫌々でも受けて行く、

と言う世界が有りますね、




そしてまたその、なる程成行きを受けたらおかげが頂けれるな、

と言う体験が出来ると、自分の為に成行きを受ける、




と言う世界が有りますね、それこそ思わぬおかげを受けるから、

おかげの為に、言わば成行きを受ける、




と言う、自分の為に成行きを受ける、

と言う世界ですね、




そしてまたそれが進んで行くと、

神様の願いが成就する為に受ける、と言う世界も有りますね、




それは即ち、神様の願いが成就する為に受ける、

と言う事ですからそれは、




神様に喜んで頂く、神様を喜ばせる為に成行きを受ける、

と言う世界かもしれませんね、




この成行きを受けたら、神様が喜んで下さるから、

成行きを受けて行こう、と言う世界ですね、




と、そしてその次に、それこそこの成行きを頂く事を修行としよう、

どう言う修行か、それは人が助かる事の為の修行だと、




人が助かる為の修行として、この成行きを受けて行こう、

と言う言わば、その成行きが、自分の為ではない、




人様が助かられる事の為に、この成行きを受けて行こう、

と言う心の世界ですね、




今朝は、今のところ私の中では、

その受け方が一番良いと言うのでしょうかね、




私もこれからはそう言う、成行きの受け方の稽古をさせて頂こうと、

今朝は思わせて頂いて居るのですけれども、




その事を、この事を人が助かる為の修行として受けて行こうと、

この受け方は、そこには天の心と、地の心が同時に育つ、




と今日は教えて頂いたように思います、




人が助かる事の為にと言う心は、天の心ですね、

そしてその成行きを受けて行こうと言う心は、地の心ですね、




言わば人が助かる事の為の修行として、

この成行きを受けさせて頂きます、と言うその精進努力、




そこには天の心と地の心が同時に育つ、

と言うわけですね、




その成行きの頂き方、そこにはやはり、

ただ漫然と成行きを頂くと言うのでは、




天地に通うとは思えませんね、

神様に通う、神様の心に適う成行きの頂き方、




結局の所、成行きを尊ぶと言っても、

その神様が、どう言う頂き方をすれば喜んで下さるか、




と言う事になるわけでしょうけれども、

やはりただ神様に喜んで貰いたいと言う頂き方も有れば、




人が助かる事の為に、この成行きを頂かせて頂きます、

と言う事の方が、




神様はより一層喜んで下さるのではないでしょうかね、

天の心、地の心が同時に育つと言うわけですからね、




御徳を頂く為にあると、その合楽理念は御徳を頂く為にある、

神様の御信用を頂くと言う事ですけれども、




成行きの選択、

どちらを頂いた方が神様の御信用を頂けれるだろうか、




と言うそこに、どう言う心でこの成行きを頂いた方が、神様が

より喜んで下さるだろうか、神様の御信用を頂けれるだろうか、




と言う、そこに心を向けての

信心の稽古でありたいと思いますね、




先ずはとにかく、成行きを受ける、

それも人が助かる事の為の修行として、成行きを受けさせて頂く、




と言うその稽古を積み重ねる、




嘘から出た真ではありませんけれども、

本当はそうではなくとも、




段々にそう言う本当の意味においての、人が助かる為の修行として、

心の底から受けさせて頂こう、と言う心が育つ、




その為には、先ずはそれこそ形の上からでも、そう言う受け方を

稽古させて頂く、と言う事が大切なように思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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