2023年2月5日日曜日

難儀な人を助ける方法は2つある。願い事を叶える事と、心を育てる事 (2023-02-05)

 今日も和賀心学 (2023-02-05)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


合楽理念は役に立ちませんと言われた方を少なくとも2人知っている。確かに合楽理念は役に立たない。それはここに鋸と金槌がある。鋸で釘を打ち、金槌で木を切ろうとしても、鋸も金槌も役に立たないのと同じだと。合楽理念を私願成就の為に使っても役には立たない。神願成就の為に使って初めて役に立つ。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 282頁)


ビデオ: https://youtu.be/Qdk5BnJYeEs

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-05.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第30節




神を信ずる者は多いが、

神に信ぜられる者が少ない




正札の店での買物は安心して買える

又、売る方も楽であるように、




神さまと氏子の上にもこの様な働きが出来るようになった時はじめて、

『神も助かり氏子も立ち行く』世界の顕現がある




信ずるところに安心があり、

信じられるところに徳がある




信じ信じられる稽古の手始めに先ず、

親に信じられる子になろう、子に信じられる親になろう




正札の店、正札が無いお店も有りますね、

客の顔を見て値段を決めると言うのでしょうか、




そう言う所が有りますね、

骨董品などが、その部類に入るのかもしれませんね、




この品物は幾らです、と値段が書いて有ると、

誰にでも、誰でもその値段で買う事が出来る、




しかし正札に値段が付いていない、と言うのでしょうかね、

そうなると今度は、お店の人とお客さんとの交渉次第




と言うのでしょうかね、お金持ちには高く吹っかけ、

と言う様な事になるのかもしれませんね、




身なりの良い人、この人はお金を持っていそうだなと言う人には、

例えば、壺なら壺を 100万と言い、




この人はあんまりダメかなと思う人には 10万と言う、

元値は幾らかと言うと、1万円位で仕入れてきたものだ、




と言う様な事かもしれませんね、

分かりません、




今朝は 2つの事を、実は教えて頂いたのですけれども、

その一つは、この御道は教祖様が神様から、天地金乃神様から、




世間になんぼうも難儀な氏子有り、取次ぎ助けてやってくれ、

とのお頼みを受けられたとこから始まると、




その難儀な氏子有り、と言う所なのですね、

どこに何故、難儀な氏子が有るのか、何故難儀をして居るのか、




大抵の場合はそうですね、

自分の思い通りに行かない所に難儀をして居るのですね、




もし、全ての事柄が自分の思い通りに事が運んで居るならば、

その人は難儀をしておりませんね、難儀ではありません、




何もかもが自分の思い通りに運ぶならば、

難儀だな、と思う人は居ないと思いますね、




まあ、るんるんかもしれませんね、

その思い通りに事が運ばない、そこに難儀を感じて居る、




ではその難儀な氏子を助けると言う事は、どう言う事か、

取次ぎ助けてやってくれと言う事はどう言う事か、




一つにはその難儀な氏子、言わば願いが叶っていない、

思い通りに行っていない、その氏子の願いを叶えてやってくれ、




と言う事も有り得ますね、

その氏子が、思い通りになれば難儀から解放されるわけですからね、




と、もう一つ有ります、

それは、ここに同じ境遇にある 2人の人が居る、




しかし片っ方は、その同じ境遇の中で、

元気に生活して居る、と言うのでしょうか、




その境遇の中で、何と言いましょうかね、

逞しく生きて居る、




しかしもう片っ方の人は、不平だらだら、

早くその境遇から抜け出したい、と言った様な、




いわゆる嫌なわけですね、その境遇に居るのが嫌だから、

何とか別の部署なら部署に行きたい、




しかしもう一人の、その同じ境遇でも、その境遇を逞しく生きて居る、

この人などには、難儀は無いと言えますね、




言わばその難儀な氏子であるかどうかは、

その人の心次第だと、言う所が有りますね、




師匠は、心一つですべてをつくる、と教えて下さいましたから、

その難儀な氏子を助けるには、2つの方法が有る、




一つは、その願い事を叶える、思い通りにして差し上げる、

と言う助け方と、




その人本人が、その難儀だなと思う環境、そこを受け貫く、

頂き貫く、その中で逞しく生きる手立てを与える、




と言うこの 2つの、言わば難儀な氏子を助けると言う、

そこには 2つの道が有ると言う事になりますね、




大抵の場合は、思い通りにしてあげる、願いを叶えてあげる、

そして難儀性を取り除く、




そこに皆んな、簡単ですからね、願う氏子としては、

そこに群がって来る、と言うのが大抵なのでしょうね、




自らの心を変えて、その難儀な環境の中でも逞しく生きる、

その術を身に着ける、言わば泳ぎを身に着ける、




そちらに精進努力しようとする人は少ないですね、




少ないけれども、一旦泳ぎを身に着ければ、

どう言う中ででも逞しく生きて行く事が出来る、




言わば、如何なる中にあっても、

難儀の無い世界に住む事が出来る、




片一方、今の願い事を叶えて欲しい、と言う、

そこに難儀を取り除いて貰う、




願い事が叶う、と言う様な助かり方では、

次から次にまた困った事が起きて来る、




次から次に願い事が起こって来る、と言う事になりますね、

その 2つの助かりようが有ると言う事ですね、




と、今朝もう一つ頂きますのは、

私が今まで、合楽理念は役に立ちませんと言うのを、




2人の方から、なんですか、聞いたと言うのか、

2人の方がそう仰って居られると言うのを聞いた事が有ります、




合楽理念は役に立ちません、確かに役に立たないのですね、

それはどう言う意味において役に立たないのか、




今朝頂きますのは、

例えばここにノコギリと金槌が有る、




その金槌で木を切ろうとする、板を切ろうとする、

これは役に立たないと言うだろう、




また釘をノコギリりで、その釘を打とうとする、

これもまた役に立たない、ノコギリは役に立たないと言うであろう、




言わば、ノコギリにはノコギリの使い道が有り、

金槌には金槌の使い道が有るのだと、




その使い道を違えるから、ノコギリは役に立たない、

この金槌は役に立たない、と言う事になると、




何故合楽理念が役に立たない、

と言う事になるのか、




それは、合楽理念をもって自分の願い通りに事が運ぶように、

その事の為に合楽理念を使おうとするからなのですね、




合楽理念は私の願い、言わば私願成就の為の道具ではないのです、

どちらかと言うと、神様の願いが成就する為の道具、




神願成就の為の道具、

それが合楽理念なのですね、




ですから、私願成就の為に合楽理念を使っても、

それは役に立ちません、




神願成就の為に使って初めて、

役に立つ、と言う事になりますね、




また稽古不足と言う事も有りますね、




如何に立派な例えば、道具をもっていたとしても、

その使い道が間違えると、やはり役に立たないと言う事にもなります、




色々な要素が有りますね、

神様の願いは、人間氏子に真実の助かりを授けたい、




頓服的な助かりではない、今願った願い事を叶える、

と言う助け方も有りますけれども、それでは真実の助かりではない、




神願成就による所の助かり、

これこそが、真実の助かりを人々に授ける事になるのだと、




言う事なのですね、合楽理念は、真実の助かりの理念だと、

言われる由縁がそこに有りますね、




私願成就の為の道具ではない、

神願成就の為の道具が合楽理念だと、




そしてその私願成就による助かりは

真実の助かりとは言い難い、




神願成就による助かりを頂いた時に、それが初めて、

真実の助かり、人間が真実、幸せになる助かりだと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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