2023年2月28日火曜日

成行きを大切に尊ぶ者でしか頂けないおかげの世界 (2023-02-28)

 今日も和賀心学 (2023-02-28)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


教祖様は、信心はせずともおかげはやってあると仰っておられる。確かに誰でも天地の御恩恵を頂いては居るが、信心をしなければ頂けない別物と言われる様なおかげも確かに有る。誰の身の上にでも成行きはあっている。しかしその成行きを大切に尊ぶ者でしか頂けないおかげの世界もある。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 137頁)


ビデオ: https://youtu.be/AMld3SMHzUo

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-28.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




用心せよ わが心の鬼がわが身を責めるぞ




自分自身心身共に 助かることの為の信心であれば

心の鬼は出番を失う




師匠が、自分自身、心身共に助かる事の為に、

と仰って居られますね、




先ず、自分自身が助かると言う事が、

まず第 1だと言う事でもありますね、




そしてその自分自身が真に助かると言う事は、

やはり、求めなければ頂けないものでもあると思いますね、




ここ 1ヶ月ほどでしょうかね、

その師匠のお話と言うのでしょうか、




出版物の検索を、それこそどこからでも出来ないかと、

誰でも出来ないかと、




言わばワールドワイドに、グローバルに出来ないかと思い、

取り組まして頂いておりますけれども、中々難しい、




ローカルでならそれが出来る、ですから今の段階ではその、

いわゆるその人のパソコンの中でなら出来る、




それはデータが出来ましたから、

例えば、ご希望が有れば、




USBドライブに入れてお送りして、

それをパソコンに入れて使うと言う様な事は、




出来るように思います、

あるいはそのデータを圧縮して、




その圧縮したデータをダウンロードして頂いて、

自分のパソコンの中で検索する、




と言う事は出来ると思います、

その事を改めて思わせて頂き、




教祖様が、信心はせぬでもおかげはやってある、

と申されましたけれども、




しかしその信心はせぬでも、誰にでもやってあるおかげ、

お天道様のお照らしなさるものであったり、




雨が、お湿りが誰にでも与えられて居る、

と言うのでしょうかね、




それとは別に、その信心しなければ頂けないおかげ、

と言うものが、またやっぱり特別に有ると言う事ですね、




その求めなければ、

こちらから求めて行かなければ、与えられない、




信心しなければ頂けないおかげが有ると、

なる程、誰の身の上にでも成行きは有ります、




言わば様々な事が起こって参ります、




しかしその誰の身の上にでもある成行きを

そのそのままにしておったのでは




いわゆる特別のおかげは頂けない、

と言う事になりますね、




やはりこちらから、おかげを頂こうと、

よし心の、それこそ身も心も助かる事の為に信心させて頂こう、




と言わば本気でその気になって、成行きを大切にしよう、

尊んで行こう、とこちらの方から何と言いましょうかね、




積極的に成行きを尊んで行く、と言う生き方にならなければ、

そう言う生き方になった時に初めて、




信心はせぬでも、おかげをやってあるおかげではない、

信心をしなければ頂けないおかげ、




と言うものが頂けれるのではないでしょうかね、

言わば誰の身の上にでも成行きはあって居る、




しかしそれは成行きを大切に尊んだ者にしか

頂けないおかげ、の世界が有ると言う事ですね、




確かに、誰の身の上にでも成行きはあって居るけれども、

その成行きを本気に、真剣に取り組んだ者でしか頂けない、




特別のおかげの世界、と言うものが、

また用意されて居ると言う事になりますね、




どうでも、信心をしなければ、成行きを尊ばねば頂けないおかげ、

を頂いて行きたいと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2023年2月27日月曜日

実験してみて下さい、必ず実証が現れます (2023-02-27)

 今日も和賀心学 (2023-02-27)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師はよく、実験してみて下さい、必ず実証が現れます、と仰って居られた。これは師匠の大確信だと思う。その確信とは、師匠の御教えを行じる、実験する所に必ず天地金乃神様が御働き下さり実証を現して下さると言う大確信だと思う。それは神様直伝の教えであることの大確信でもある。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 148頁)


ビデオ: https://youtu.be/fvtqHnhw_3g

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-27.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




心にかくる守りは汚るることはなきものぞ




確信こそ心の守りである

神様を信じて疑わない心




成行きとの対決に於いて

力を鍛える




そこから生まれてくる心を

そのまま心の守りにしたい




確信こそ心の守りであると、

神様を信じて疑わない心と、




さあ何を確信するのか、どこを神様を信じて疑わないのか、

と言う事になりますね、




確信にも色々有ります、

それこそ、この神様はいわゆる祟り障りの神様だ、と確信する、




教祖様はそうではありませんね、




この神様はそれこそ祟り障りをされる位の力が有るならば、

きっと助けて下さる、




いわゆる助けると言う事においても、力有る神様に違いない、

と確信されたのではないでしょうかね、




そこからそれこそ、

祟り障りの神であった金神様が、




慈愛溢れる、人を助けずにはおかん、

と言う神様に変わって行かれたと言うのか、




それはひとえに教祖様のその確信、

確信力によるものではないでしょうかね、




ですから私どもが、この神様を悪神邪神にするのも、

人間を幸せにせずにはおかん、と言うそう言う神様にするのも、




私どもの心一つ、確信一つ、

と言う所も有るかもしれませんね、




私どもが、この神様は悪い神様だ、と思えば、

悪い神様にもなられる、




この神様は良い神様だ、人間を幸せにする、

その事の一念しかない神様だ、




とそこを信じ確信する、言わばそこを信じて疑わない、

と言うのでしょうかね、




そこに、そう言う神様に成って行かれる、

と言う所も有るのかもしれませんね、




師匠はよく、御教えを実験する、そしてそこに実証が現れる、

と言う事を仰って居られました、




これなども、師匠の一つの確信、

神様を信じて疑わない心の現れだと思いますね、




師匠が教えて下さる、言わば天地金乃神様直伝の御教え、

それを行の上に現せば、必ずそこに神様がその証を見せて下さる、




と言うその、実験する、そしてそこに実証が現れる、

これは誰が実験しても、どこで実験しても、




そこには間違いのない神様の御働きを、神様が現して下さる、

と言うその確信がお有りになれたからだと思いますね、




実際、御教えを実験する、行ずる、

行ずる前に実験が要るのかもしれませんね、




自動車でも、買う前には試しに乗ってみる、

と言う事が有りますね、




試しに運転してみて、良かったら買うと言う事ですからね、

御教えも試しに、実験してみる、




そしてなる程この御教えは本当だと、

効果が有る、と言う事になれば、




それを行じ貫く、と言う事になるのではないでしょうかね、

為には先ずは、実験してみて下さい、




と師匠は、それこそ確信がお有りになるから、

申されるわけですね、その何と言いましょうかね、




やはり成行きを大切に尊ぶ、と言う事でも、

文字、言葉で聞けば、それだけなのですけれども、




実際にいわゆる実生活の上で行じようとする、

実験しようとする、とすれば、色々な問題が起こって参りますね、




言わば問題と言うより疑問点ですね、

ここはどうするのだろうかと、




例えば、成行きを大切にと教えて下さる、

よし、成行きを大切にしよう、言わば実験をしようと腹を決めた、




そしたら物売りさんが来たと、いわゆる押し売りさんが来たと、

さあこれも成行きだから買うのが本当だろうか、




と言う事になりますね、

友達が、よし成行きを頂こうと思っていたら、




友達が、お金を貸してくれと言う、

あるいは、何か頼み事をされた、




これも成行きだから、頂くのが本当だろうかと、

お金を貸してくれと言われたら、その貸してやる、




それが 100円、200円、1000円位ならば

良いのかもしれませんけれども、




それが 10万円貸してくれ、100万円貸してくれ、

と言われたら躊躇致しますね、




お金が有れば、

貸せるだけの金が有れば貸せるのでしょうけれども、




自分もお金が無い、それこそどうにかして工面して

貸すのが本当だろうか、と言った様な、




成行きを大切に尊ぶ、

と一口に言われますけれども、




実際それを形の上に、実験の上に現そうとしたら、

疑問点が、様々な疑問点が出て来ます、




右に行くのが本当だろうか、左に行くのが本当だろうか、

と言った様な所も出て来ます、




師匠は、そう言う時には、私が居るから、

ここに尋ねて来なさい、と仰いましたけれども、




もう今となっては師匠は居られませんから、

さあどうしたら良いのだろうか、と言った様な事が、




やはり教えを行じてみる、実際に行じてみる、

実験してみる、と疑問の所が湧いて参りますね、




さあどうしたら良いのだろうか、

と言う事になるわけですけれども、




もしその疑問点すら湧いて来ないと言う事であれば、

実験していないと言う事にもなりますね、




そして実際実験してみて、その答えを見て、初めて、

この頂き方で良かったのだなあ、




あの頂き方は間違いだったのだな、と言った様な、

そのそこに必ず神様の実証が現れる、




その実証を通して、成行きの頂き方を一つ一つ、

正しい頂き方を勉強して行くと言う事でも有りましょうね、




それは、その頂き方が、たとえ間違った頂き方であろうと、

正しい頂き方であろうと、そこには必ず実証が現れる、




神様の御働きが現れる、そしてそこから更に、

神様が、より真実の方に導いて下さる、




と言うその確信が、師匠には有られた、




師匠の教えを行ずれば、実験すれば、

必ず神様がそこに働いて下さる、と言う大確信だと思いますね、




ですからどうでも、先ずは私どもがその御教えを実験して、

そこに実証を頂いて、実感して行く、




その積み重ねで、初めて神様がより真実の正しい道に

導いて下さる、1回だけではダメですね、




だから、5回、10回と繰り返し、繰り返しの実験、

そこに初めて正しい方向に進む事も出来る、




と言う事になるのではないでしょうかね、

ついつい 1回ポッキリで良い答えが出たら、




そこで止めてしまう様な事にもなりませんからね、

行じ貫くと言う事が、やはり大切ですね、




実験を何回も何回も繰り返すと言う事が、

やはり大切だと言う事になりますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2023年2月26日日曜日

貫くこと、貫いて初めて成就する (2023-02-26)

 今日も和賀心学 (2023-02-26)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝教えて頂くことは、貫くと言うこと。師匠大坪総一郎師が病床にあられて、これまで一切神愛と唱えて来たが、間違いではなかろうかとふと心によぎられた時、間髪を入れず、猪に乗った大黒様の図柄の日本手拭いがお供えになったと。師匠は、一切神愛を貫けとの神様からのお知らせと頂かれた。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 175頁)


ビデオ: https://youtu.be/U8zGLPLXalM

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2023-audio/02-audio/Wagakokology_Labo-jp-2023-02-26.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




わが身がわが自由にならぬものぞ




我が身が自由になりませんが、

心は稽古次第で自由自在に使うことが出来るようになります




喜びに喜んで過ごせる稽古が信心です




ルールを守り約束に従う行き方、

信心も教えにもとづく生き方は




いかにも窮屈のように見えますが、

身につくと有難く楽しい生活が出来るようになります




自由以上の自由を頂くことのために




自由以上の自由とは、

一体どう言う事だろうかと思いますね、




自由に、そしてまたそれ以上に自由が有るのかと、

一寸考えさせられる様な表現ですけれども、




自由に勝手気ままに、

と言うのが有りますね、




その勝手気ままの自由さとは、

少し違う自由と言うのでしょうかね、




あれは、孔子でしたか、孟子でしたか、忘れましたけれども、

何歳かにして、その我が思う所に従えども、矩を踰えずとか、




言うのが有ったと思いますけれども、

いわゆる何を思うても、何をしても、




その何と言いましょうかね、

ルールの中と言うのか、その教えの中だと言うわけですね、




その中でいわゆる自由自在に、教えの中で泳ぎ回る、

と言うのでしょうかね、それが出来て居ると言うのか、




もうそこから先には行かないと言うわけですね、これなどが、

一つの自由以上の自由と言う事ではないかと思いますね、




私どもがどんな事を考えても、何をしても、

どう言う欲っぽい事をしたとしても、




その欲が、神様から許される、その範囲と言うのでしょうか、

それを越えないと言うわけですね、




何と言いましょうかね、ある意味外側から見れば、

窮屈な世界だな、と思えるのかもしれませんけれども、




内側の世界、中に生きて居るものからすれば、

自由勝手に振る舞って居るわけですけれども、




それでも、やはりその教えから出る事は無いと、

何と言いましょうかね、




そう言う心が出来上がった状態とでも言うのでしょうかね、

そうなると、もう楽ですね、




そこに至るまでが難しい、と言えば、

難しいのかもしれませんね、




その我が思う所に従えども、矩を踰えず、

と言った様なその境地に至る為には、




やはり今朝はその、貫かなければならないと、

一つの教えなら教え、それを貫く事が大切だと、




言う事を、ここ数日の成行きから

教えて頂いて居るように思います、




実は、ずっと取り組んで参りましたその、

師匠の御理解とか、出版物を全文検索しようと言う、




それが中々紆余曲折を経て、

上手く行きませんでしたが、




昨日やっと言わば我が家の中で、

手元の所では検索が出来るようになったように思います、




つまり我が家の中では自由に検索が出来ると、

これが、世界の人から検索出来るようにと言う事になると、




ウェブ版を、が上手く行かないといきませんけれども、

それがまだ上手く行きません、




けれども、1台のパソコンの中でなら、

上手く検索出来るようになったように思います、




やはり、貫かねばならないと言う事ですね、

ああこれが出来ないから諦めようとか、




これが上手く行かないから、もうこれでダメだ、

とそこで諦めたのでは、そこ止まりだと、




何とか打開する道はないものだろうかと、

やはり、こうする事が本当だ、こうする事が神様のお役に立つ事だ、




とそこに定まったならば、これはもう貫かねばならない、

その途中では、やっぱり山も有り、谷も有る、峠も有る、




様々な所が待ち受けて居るけれども、

それでも、貫かねばならない、と言う事なのですね、




師匠もよく仰って居られましたね、




その教えを行ずると、出来たり、出来なかったり、

と言う様な事ではならないと、




信心の稽古、それはどこまでも貫かなければならないと、

貫いて初めて、それが身に着くものだと、




その身に着いた暁には、それこそ自由以上の自由が許される、

と言う様な世界に住まわせて頂けれるのだと思いますね、




そこに至る前には、先ずはとにかく貫く事だと、

その師匠がそれこそ、




これまで一切神愛を唱えて来たけれども、

これは間違いではなかったろうか、




と思われた時に、神様から、貫く事だと、

言う意味のお知らせを頂いて居られますね、




やはり私どもは、貫くと言う事が、やっぱり大切ですね、

それは、信心辛抱と言う事にも繋がるのかもしれません、




とにかく、

貫くと言う事が、やはり大切ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます