2021年9月1日水曜日

今私どもは心の稽古場に居る (2021-09-01)

 今日も和賀心学 (2021-09-01)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、信心の稽古場、心の稽古場と頂いた。今私どもは心の稽古場に居るのだと言う認識、自覚をしなければならない。人はこの世に、今ある状況に置かれて居る、それはその人の心を育てる為の一番良い環境に置かれて居るのだと言うこと。心を育てる事に焦点が定まらねば、「今」の価値が半減する。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 249頁)


        ビデオ: https://youtu.be/UQm4XxDsZi0

        音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-09-01.mp3


合掌

中原博信

(ホームページ): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト番組名): 真の助かりを求めて (Wagakokology-jp)

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御理解第19




金光大神は形がのうなったら

来てくれと言う所へ行ってやる




時間空間を問わない自由無碍の働きを現わして下さるのであるが

私共は一歩でも金光大神に近づかせて頂かねばなりません




金光大神も楽

私どももおかげの早道でもある




それには ぎりぎりの自分を発見し

そこからの出発であり 一念発起でなければなりません




四角四面の鏡の中に入れられた蝦蟇は

自分のきたなさ あさましさに苦しみ タラリタラリと脂を流した




其の脂を練り上げたものが切傷の特効薬となる

これはガマの膏売りの口上である




私共も教えの鏡をみたら

自分のきたなさ あさましさがうつし出されてくるのである




それが自らの発見ともなるのである




自らの発見ともなるのであると

その自らの発見ともなる そして自らを発見したらどうするか




発見しただけで終わったのでは意味が有りませんね

ただ発見して喜ぶ 発見したらそれを役立たせなければなりません




その事によって自らの汚さ あさましさを見つけ出したならば

そこからそれを改まって行かなければなりませんね




教祖様がそれこそ

形がのうなったら 来てくれと言う所へ行ってやると




今 形がなくなって居られる訳ですから いつでもどこへでも

来てくれと言う所へ来て下さると言う事になりますね




そう言う時代になっていると言う事ですね




教祖様の時代は一粒万倍 一粒万倍でしたね

1人が助かれば千人も万人も助かる様になる




だから手本になる様な信心をせよと ある意味

教祖様の時代は千人も万人もと言うそこ止まりだったのでしょうねぇ




万国に残りなく

とは仰って居られますけれども 唐天竺と




教祖様の世界観 その当時の人達の世界観では

やはり唐天竺まで それ位だったのではないでしょうかねぇ




しかし今は それこそインターネット時代と言われる今は

瞬く間に世界中に広がる




あるテレビをインターネットですから 何ですか ビデオですか

そのインターネット配信のそれを見て居りましたら




日本では何でもない人が

中東諸国では大変大人気だと




大人気を博していると

言う様な事が番組であって居りましたが




日本でそれこそは何でもない人が

世界中のどこかでは大変な人気者になっていると




言わば世界で 何と言いましょうかねぇ 売れると言うのでしょうか

そう言う事も有る時代になっている訳ですね




私どもの世界がそれこそ 日本なら日本だけ

アメリカならアメリカだけと言う世界観から




地球全体を包み回す程しの世界観になって行かなければならない

と言う事をしきりに思うのですね




取次者もそれこそ 5 10人が助かると言う取次者から

いや 5 10人を助けよう 助けさせて頂きたいと言う取次者から




全人類を救おう 全人類を助けたい

と願う様な取次者になって来なければならない




教祖様がそれこそ 肥かたぎの百姓と自らを仰って居られますけれども

その村内だけの助かりから 日本国中の助かりへとなった




そしてまた世界の人々が助かる

世界の津々浦々の人々が助かる様な




それこそ全人類の金光大神 あるいは全人類の大坪総一郎

と言う程しの助かりの輪が広がって来なければならないと思うのですね




では全人類を救う為には どうあらねばならないのか

何を伝えたら良いのか




全人類が真に救われる と言う事は

どう言う事だろうかと思うのですね




今朝頂きますのは

この世と言うものは心の稽古場だと




私どもがそれこそ全人類が同じ方向を向いて進むとするならば

それは心を育てる この世には心を育てる為に来ているのだと




確かに様々な事が起こって来ます 日々の様々な

この度のコロナウイルスのパンデミックですか




新型コロナウイルス

そう言う 世界が困っていると言えば困っている




しかしそこには それによってお金を儲けている人も居れば

それで廃業を余儀なくされている人達も居られる




様々な日々の出来事が有る その事に確かに 右往左往する

しかしそこで止まっておったのでは意味が無い訳ですね




なる程 私どもが生まれて そしてまたあの世に還って行く

その間には様々な事が有る




その中の様々な事の一つに右往左往しておったのでは

本当の目的と言うのでしょうかね 本来の願い




あるいはこの世に生まれた本懐とでも言うのでしょうかねぇ

それが見失われてしまう それはどこに有るのか




あくまでも どこまでも

この世には私どもが心を育てる事の為に生まれて来たのだと




この世は心の稽古場だと言う事ですね




その事に全人類の人々が気付かなければならない

分からなければならない




そしてこの世には 日々起こっている事柄

それは全てが私どもの心を育てる事の為に起こっているのであり




その事の為に日々を過ごしているのだと

その先ず心を育てる その今はそれこそ心の稽古場に居るのだと




さあどうやって どういう心を育てて行こうか とそこに

全人類の人々が目を向けなければならない 気付かなければならない




その為のお役に立たせて頂かなければならないと言う事ですね

全人類がどうあったら助かって行けれるのかと言う事なのですね




為にはどうでも 全ての人々が

この世には心を育てる為に来ているのだ




今私どもは心の稽古場に居るのだと言う事を

何と言いましょうかねぇ 悟ると言うのでしょうかねぇ




ドンと腹の中に叩き込まれて

よし心を育てる稽古をするぞと




先ずは一心発起 一念発起 そこから初めて全人類の助かりが

光が見えて来るのではないでしょうかねぇ




目の前の出来事に右往左往していたのでは

真の助かりは得られません




私どもの 何と言ったら良いのですかねぇ

腹を据える所に腹を据えなければなりません




それは この世は心の稽古場だと

そこに腹を据えねばならないと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿