今日も和賀心学 (2021-09-07)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は改めて、私は丸々教の看板に惹かれてこの道に入ったのではない事を再確認させられた。私は師匠大坪総一郎師の信心に魅せられてこのお道に入らせて頂いたのである。私にはどこをどう切っても師匠の信心にフォーカスする以外ないのである。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 319頁)
ビデオ: https://youtu.be/3aJm8sZ3RPg
音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-09-07.mp3
合掌
中原博信
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御理解第42節
これほど信心するのに どうしてこういうことができるであろうか
と思えば 信心はもうとまっておる
これはまだ信心が足らぬのじゃと思い
一心に信心してゆけば そこからおかげが受けられる
一 そこからの信心が力になるのであり
二 そこからのおかげが本当のおかげである
三 足りぬことばかりの私に気付くとき
真の信心の姿勢が出来る
四 このような時 教祖さまならどのように受けてゆかれるだろうか
と思いをそこにおく時 自ずと新たな道が開けてくる
教祖様ならどのように受けてゆかれるだろうか
と師匠が仰って居られますね
ここが大切な所だと思いますね
教祖様ならどう受けて行かれるだろうかと
教祖様はどう説いて居られるだろうかではない所が
その 気にかかる所ですね
教祖様が教えられた教え
その教えに答えを求めて居られない
教祖様ならどうされるだろうかと言う
教祖様の信心に答えを求めて居られる
ここが師匠の信心だと思いますね
今朝は一寸変わった 意味が分かる様な
分からない様なお夢を頂きました
それはある社員食堂が有るのですけれども
その社員食堂で 社員によって値段が違うのですね
2つ値段が有るのです 一つは運営
その会社の運営に関わっている人向けの値段 それは安いんですね
それともう一つは それ程ではないと言うのでしょうか
一般社員と言うのでしょうか そう言う人達への値段
その運営に直接関わっていると言う人達の方が
値段は安いんですね で 2本立ての値段が有る訳です
ですから一寸どうなんだろうなぁ
これで良いのかなと思う所も有りますけれども
現実はそうだと言う訳です
ですからその 社員さんによって
食堂の食べ物の値段が違う訳ですね
安い人も居れば 高いとは言いませんけれども
普通の値段の人も居ると
特別に安い人がやっぱり居られる訳ですね
それは会社の運営に直接携わっている人達だと言う訳です
さあどう言う事だろうかと思うのですね
また一つその事を頂き 心中祈念の時に思わせて頂きました事が
私はどうだろうかと
また教会と言うものが有りますね
それはどうなっているだろうかと
はっきり言って私はその教団と言うのですか その何々教と言う
何々教団には余りと言って良いのか 全く興味は有りませんでしたね
私が興味が有ったのは師匠大坪総一郎師です
私が惹かれたのも 惚れたのも師匠大坪総一郎師ですね
その何々教 何々教団と言うものに惚れた訳ではありません
勿論今でもそうですね
教団と言うものには余り興味が有りません
興味が有るのは師匠大坪総一郎師です
ですから 私がお役に立ちたい あるいは現したい
と思うのは教団ではありません 師匠大坪総一郎師です
どうもこう言う所にも関わっているのではなかろうかと
思うのですね
人が信心を始める時にどうやって始めるか
今で言えば 三大宗教とか大きな宗教が有ります
ですからその宗教 何々教を勉強してみようと
何々教に興味が有る と言う入り方も有ると思うのですけれども
もう一つは 私の様に 何々と言う先生 その人個人に惹かれ
そしてその先生がたまたま何々教をして居られた
だから私も今 たまたま何々教の信者になっておる
と言うケースも有ると思いますね
私はやはり師匠に惹かれた
そして師匠がたまたま何々教の をして居られた
だから私もたまたま何々教をしている
と言うだけに過ぎない訳ですね
ですから何々教に興味が有る訳では全く有りません はっきり申して
何々教で人が助かるとも思えません
師匠の教えによって 合楽理念によって人が助かる
絶対の助かりの道だ
これは確信出来ます
大地を叩く程しに確信出来ます
しかし今の丸々教で人が助かるか
それはクエッションマークでしかありません
その芯と言う所に
どれ程深く関わっているかと言う事によって
例えば社員食堂での その値段が違うと言うのと
何かしら相通うものが有る様な感じがするのですね
ただ何々会社の社員ですと言って
その会社の社員であると言うだけの社員
それと その会社の運営そのものに携わっている人との間には
やはり差が有って然るべきだと言う様な感じもするのですね
ですからやはり 教会なら教会
丸々教に興味を持って人が集まって来ると言う場合も有れば
そこの教会長の先生に魅力を感じて人が集まって来る
と言う場合も有ると言う事ですね
今日は神様が どちらかと言うと 丸々教に興味が有るから
教会にお参りしました お参りして居りますと言う人ではなく
その先生そのものに興味を示して人が集まって来る
と言う様な教会であれ と言うのか
そう言う布教であれ と言うのか
神様が その取次者のあるべき姿と言うのでしょうかね
を それが全てではないでしょうけれども
一つのあるべき姿を教えて下さった様に思いますね
確かに丸々教と言う看板をかけておれば
そこそこには立ちゆいて行くとも教えて下さいますけれども
最近ではそうでもない様ですけれどもね
看板に人が寄って来るのではない
そこの主に人が寄って来るのだと言う信心をさせて頂け また
そうあらねばならないぞと 神様が教えて下さった様に思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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