2021年9月13日月曜日

心の中の雑草取り (2021-09-13)

 今日も和賀心学 (2021-09-13)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は心中祈念の時、草刈正雄と頂いた。神様のお役に立ちたい、人が助かるお役に立ちたいと言う心が育って来なければならない。その神様のお役に立ちたいと言う一念が光ともなり、自らの暗黒面を照らし心の中の草刈りが、雑草取りの精進が出来るようになる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 110頁)


        ビデオ: https://youtu.be/zV5Bt7YKDGc

        音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/09-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-09-13.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




我情我欲を放れて真の道を知れよ




大神の威徳にふれる歓喜は

我情我慾をふり捨てて 神の御胸に抱かれてこそ




話を聞いてわかるだけでなく

我情を放し我慾をせず そこから真の道が開かれる




我があっては真の和は生まれぬ

真の和があれば光は与えられる




光があれば真の道がハッキリわかってくる




光があればと

その光とは何でしょうかね




心に光を頂く

希望の光とも言われますね




それはやはり心が育ち

何と言いましょうかねぇ




目指すべき所がハッキリする

行き先が分かると言う事ではないでしょうかねぇ




どこへ向かえば良いのか その行き先が分からないでは

右往左往して 何と言いますか 混乱するばかりですね




信心はある意味において

私どもが向かうその先を示して下さる 向かうべき所を示して下さる




それが信心の一つの 何と言いますかねぇ

使命と言うもの 有難さと言うものではないかとも思いますね




私どもが向かうべき所がハッキリと定まるから

そこに向かって精進もして行けれる




また日々の生活と言うのでしょうかねぇ

その信心生活と言うのが定まって来ると言いましょうかねぇ




その行き先が分からないから悩みもするし

困った事にもなって来る




ではその行き着く先はどこか

それはやはり私どもの心が育つと言う事ですけれども




育つと言うだけでは

どう育てば良いのか未だハッキリ致しませんね




こう言う心が育たなければならない

こう言う心に育ってくれよと 神様が願って居られる




その神様の願いに沿うところの育ち方と言うのでしょうかね

そう言うものがやはり有ると思いますね




神様の 親の思いに沿うての育ち方

と言うのでしょうかね




今朝は心中祈念の時に

草刈正雄と頂きました 俳優さんがおられますね




どう言う事だろうかと思いながら

草を刈る ああこれは 草刈だから雑草取りの事だろうかと




心の中の雑草を取り除く 信心とは心の中の雑草を

一つ一つ取り除いて行く事だろうかと思わせて頂きましたねぇ




しかしその雑草を取る前には ただ雑草を取ると言うだけでは

何が何やら分かったようで分かりません




では具体的にどうしたら良いのだろうかと そう思います時に

私どもの中にどう言う心が育たねばならないのか




それは師匠が 合楽理念は御神徳を頂く道を教えると

ある意味御神徳を頂く事を目指しての道なのですね




しかしその 神様が 御神徳 御信用と言うものを

棚からぼた餅的に下さる筈は有りませんね




その御神徳も では何の為に頂くのか

それはやはり人を助けたい




神様のお役に立ちたいと言う心が育って来て初めて

その神様のお役に立ちたい




為にはどうでも御神徳を頂かねばならない

と言う心が育つのではないでしょうかね




ただおかげより御神徳の方が値打ちが有るから

おかげは一時的な かりそめの助かりに過ぎないけれども




御神徳を頂いたらもっとより良いおかげも頂けれる

助かる事が出来ると言うただそれだけの事では




愈々の時に ああもう御神徳などは要らない

もうこんなに苦しいなら死んでしまった方がマシだ




と言った様な事にもなりますね そう言う中にあっても

どう言う中にあっても投げ出さずに居れる心を頂く為には




私どもの中に 神様のお役に立ちたい

それこそ何が何でも人が助かるお役に立ちたい




と言う心が芽生えて来て

愈々育って来なければなりませんね




そしてその 人が助かるお役に立ちたい

神様のお役に立ちたいと言う心が育った時に初めて




為には

これはどうでも御神徳を頂かなければ




神様の御信用を頂かなければ

とても人が助かるお役に神様が使うて下さるとは思えない




神様のお役に立つ為には

どうでも神様の御信用を頂かなければならない




と言う心が育って来ますね

そしてそのどうでも御神徳を頂かねば 頂きたい




神様から信用して頂きたい

為には 私の中にこんな汚い心が有ったのでは




こんな浅ましい心が有ったのでは

とても神様から信用してもらえるとは思えない




この私の汚い心 浅ましい心を取り除かなければ

神様から御信用を頂く事は出来ない




言わば私どもの心の中にある雑草の様なもの

それこそゴミ 屑の様な心




神様にとても喜んでもらえるとは思えない

こんな心が有ったのでは 神様から信用してもらえない




それこそ神様の仰せに背く様な または嘘をつく様な

卑しい心と言うのでしょうかねぇ 我情我欲と言うのでしょうかねぇ




こう言う心が有ったのでは

とても神様から信用してもらう事は出来ないだろう




と言う そう言う心の中の雑草を取り除いて行くこと

取り除こうと言う精進をする事




そこに初めて雑草を取る 草を刈ると言うのでしょうかねぇ

自らの心の中の雑草を取る精進をさせて頂こう




と言う事になりますね そしてそれがおそらく

限りなくその精進が続く事だと思いますね




ですから先ずは 私どもの心の中に

神様のお役に立ちたい と言う心が愈々育ち




愈々膨らんで来なければならない

と言う事だと思いますね そしてその心が 神様のお役に立ちたい




人様の助かるお役に立ちたいと言うその心が

光ともなるのではないでしょうかね




そこから初めて私どもの心の何と言いましょうかねぇ

汚い部分を照らしてくれる その光ともなるのだと思いますね




ですからどうでも人様の助かるお役に立ちたい

神様のお役に立ちたいと言う心が愈々募って来なければならない




その心が育って来なければならないと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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