今日も和賀心学 (2021-09-03)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
数十年前に、胃潰瘍で苦しみ、色々な成行きから死を覚悟した時がある。それは病院には行かないのが当然だから。死を受け入れるのか、それとも御用を全う出来るように病気平癒を願うべきか。師匠は、命ある限り御用をさせて下さいと願うのが本当だろうねと仰った。数日後胃壁が破れ急死一生となった。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 356頁)
ビデオ: https://youtu.be/I7c3GXcVUsw
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合掌
中原博信
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御理解第54節
徳のないうちは心配する
神徳を受ければ心配はない
まず御神徳を受けたい
ある人は
金光教の信心は一切をおかげにしていく道だ と説かれた
合楽では
一切をお徳にしていく道 を教える
先ずは
一切神愛論 のマスターから
御理解の 54節です
54 御用 と言う事になりますね
神様の御用をさせて頂きたい お役に立ちたいと願うならば
先ずは御徳を受けよと言う御神意を感じさせて頂きますね
御信用を頂く 神様から御信用して頂く
それが御神徳と教えて下さいますが
神様から信用して頂けれる様な私とは
どう言う私だろうかと思いますね
それはどう言う思い方をすれば どう言う願い方と言うのでしょうか
をすれば 神様から信用して頂けれるのだろうかと
昨日はある方からメールが来て居りました
その心臓が悪いと 痛むと言うのか 心臓発作と言うのですか
そう言うものでしょうかねぇ
苦しいですと ですから助けて下さいと言うメールが入って居りました
私どもはどうする事も出来ません
ただ出来る事は神様にお願いをさせて頂く
いわゆる祈る事しか出来ませんから
神様にお願いさせて頂きます
そう言う場合には それこそ先ずはその病気と言うのでしょうか
が治る様に やはりお願いさせて頂きます
さあこの辺が神様にお願いをする 祈ると言う事も
どうお願いをするのか 祈るのか
その辺の何と言いましょうかね 祈り方と言うのでしょうか
それによっても 神様の信用を頂けれる祈りなのか
神様から信用を頂けないとまでは言わなくとも
神様が の機感に適わない
神様のより機感に適う祈り方と言うのは
どう言うものだろうかと思いますね
人様の事を祈らせて頂く 願わせて頂くでも
何をどう願う方がより神様の御心に適うのかと言う事になります
勿論御神願御成就 この事によってその方の上にかけられた
神様の願いが成就します様にと言う願いは勿論ですけれども
やはり先ずは目の前にあるその痛みがなくなります様にと言う
そう言うおかげも勿論頂かねばなりませんので
そう言う願いもさせて頂こうと思いますね
これが私事になると また少し難しい所が有ります
もう 20年 いやもう 30年程前になりますか それ以上前になりますか
教会で修行させて頂いていた頃 胃が大変せきました
もう胃潰瘍をずうっと患って居りましたけれども
それで愈々痛みが激しくなる事が有りました
で色々な成行きとか そう言うものを見てみますと
これはどう思うも私も寿命が来たのかなと もう命が無いと
お国替えの時が近いのかなと言う感じを受けました
それでそれこそ どう願ったら良いのだろうか
どう祈ったら良いのだろうかと迷いました
と言うのは 色々な願い方が有りますね
これがもし今お国替えする それが神様の願いならば
もう今死んでも良いと言う腹を決めると言う事が一つ有りますね
と又 神様のお役に立たせて頂きたい どうでも御用をさせて頂きたい
だからどうでもこれは病気を治して頂き 神様のお役に立ちたい
神様のお役に立つには その痛み病気あっては家業出来難しと
も申されます様に 痛み病気あっては御用が全う出来ない
だからどうでもその 治ります様にと
この胃の痛みが治ります様に そして御用が出来ます様に
と言わば御用の為に お役に立つ為にこの病気を治して下さい
と言う願いも 方も有る訳ですね
さあどちらが本当だろうかと悩みました
ここで死んでしまう その事を頂くべきか
いやもっと御用がしたいから
もっと言わば生きさせて下さいと願うのが本当だろうかと迷いました
それでその当時 師匠の枕元で本を読む様な御用を
させて頂いて居りましたから
それが読み終わった後にお尋ねしてみました
こう言う風ですけれども どうお願いするのが良いのでしょうかと
どちらの方が本当でしょうかと
師匠の場合はいつもそうでしたけれども
意外な御理解と言うのかお答えを頂きました
これはその人 人によって答えが違うのでしょうけれども
その時の私に対してのご返事は
命ある限り御用をさせて下さい
と願うのが本当だろうね と言う御理解を師匠から頂きました
その時の私にとっては 命ある限り御用をさせて下さい
と願いなさいと言う事でした
それでそう願わさせて頂く事にしました
それから数日経ってでしょうかねぇ とうとう胃が破れて
それこそ九死に一生を得ると言う事になったのですけれども
それからまた 1ヶ月程して
師匠がお国替えと言う事になりましたが
その時その時の人の状況に応じて その祈り方
何をどう祈るかと言うのは異なって来ると思うのですけれども
詰まるところ私どもに出来る事
それはやはり祈ると言う事
神様に祈る事しか無い訳ですけれども
その祈りの内容がどうなっておるのか
今自分の所での祈りの内容が
どう言う祈りの内容になっているか
それがより神様の御心に適う祈り方になる様に
言わば心を改めて行く事が要ると思いますね
何をどう祈るのか
その祈りの内容が
より神様の御心に適う様な祈り方
を求めて行かねばならないと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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